物理学者・金振春苑長の
いわゆる「真のお父様解放」の為の特別講義の主要な問題点
文史福 (Moon Sa-bok)
2022.5.3
著者紹介
著者は祝福家庭であり、数十年間、真のお父様のみ言葉と摂理史を研究し、講義及び執筆活動をしてきました。この分野では秀逸な権威が認められてきた学者です。
目次
始めに
1.真のお父様の原罪血統観の問題
2.独生子再臨・独生女初臨観点の問題
3.真のお母様上位位相認識の問題
4.真のお父様の行跡を非原理的尻尾(行為)と規定した問題
終わりに
始めに
2022年4月、神の摂理史に最も恥辱的な一つの場面として記録される残酷な事件が発生した。真のお母様の直接の指示と主管により、4月19日から20日まで清平天苑教会大聖殿で進行された世界指導者特別教育において明らかにされた金振春天一国学術苑苑長の8つの講義の特別講義である。「真のお父様を解放しよう」という趣旨で進められた今回の講義の衝撃的影響が全世界の公職者と食口たちに一挙に伝わり、憤怒と慨嘆の声が至るところから起こっている。
今回の特別講義は、事前に全国地区別教育プログラムで先ず公開され、今回、世界の主要指導者たちが集まった場で本格的に行われた。金振春苑長の講義をモニタリングされた真のお母様は、金苑長に「もっと強く行け!」と激励され、直ちに米国と日本の巡回講義も指示された。金苑長はこれに刺激を受けて、涙ながらのショーまでしながら、さらに大きな声で熱弁を振るった。
彼は真のお父様が生前に行った全ての摂理的行跡を「非原理的尻尾(行為)」として一括規定し、ためらうことなく非難した。実に精神異常レベルの妄言を白昼堂々と隠すことなく吐き出した。
これによる否定的影響が取り返しのつかない事態に及ぶことを憂慮した統一家の核心指導者たちは天正宮に駆け付けて、真のお母様に今回の講義の即時中断を要請した。そのせいで、辛うじて米国と日本の巡回日程は取り消されたと伝えられている。しかし、そうしたところで、もはや「覆水盆に返らず」だ。
何よりも世界の食口たちに伝わった衝撃的な問題は、真のお父様と生前の真のお父様の摂理的行跡に対する真のお母様の否定的認識と態度にあった。その弊害の程度があまりにも深刻であったため、主要指導者たちは真のお母様が認知症になったと判断し、非常体制に入るべきだという意見が沸き上がったと伝えられている。
そこで止む無く、金振春苑長の問題の講義の主要論点の幾つかについて、その非原理的・反摂理的内容を確認すると同時に、真のお父様のみ言葉に明示された本然の正しい意味を詳しく考察してみたいと思う。
1. 真のお父様の原罪血統観の問題
金振春苑長は「真のお父様は柳寛順烈士の三・一独立運動の土台の上で懐妊して誕生したというが、正にその時点からメシヤとして出発したという内容を一度も見たことがない」と断言した。
そして「16歳の時に天の声を聞いて、イエス様との交感を通じて公的な路程を出発したという内容は物凄く多いけれども、生誕からメシヤの使命を持って出発したという内容は未だに見たことがない」と語ったが、はたしてそれは真実だろうか。
真のお父様のみ言葉の中から幾つかを調べてみると、以下のとおりである。
「暗闇の中で育ってきた神様です。万物の基本となる所から発展してきた神様です。その神様を知って私は侍ってきました。堕落の血統と関係なく侍りました。私が3歳や2歳の時に祈ると、声が聞こえてきて、『やあ、あなたはこういうことをしてはいけない。お母さん、お父さん、お爺さん、お婆さんの言うことを聞いてはいけない』と言ったのです」
「多くの予言をしました。私はそういうのが嫌いなのですが、声が聞こえてくるのです。遠い所から聞こえてくる雷鳴が人の話し声に聞こえるのです。『私がこのようにして昔話したことが、今日になってみると合っている話なので、その時の話を異常な話と思わないでいるべきだということを、あなたが知っていたということを覚えておいてくれ』と言って、『知らなかったと言うな』というのです。あなたが話した全ては必ず合っているが、正しい主人は一人しかいない。あなたがその主人になるというのです。先生がメシヤになるということを3歳や4歳の時から知っていました」
「文総裁が不思議なのは、幼少の頃から『メシヤだ』と言ったということです。神様が降りてきて無形の光のような状態で現れ、そこで私が『どこに行かれるのか』と尋ねると、『私は天の国の最後の宴を訪ねて行く』と、私の前に来て座ります。驚いたことに太陽のように飛んできて…月のように飛んできて、幾多の星が現れては『なぜこうしなければならないのか』と言うと、『あなたが主人です』というのです。人類の祖先だというのです」
16歳以前、2~3歳、3~4歳の時からあった真のお父様の神秘的な神体験に関する内容である。金苑長にとってこのようなみ言葉はどういう意味を持つのか。
例えば、人間の父母において、母親は腹中の胎児と一定の心理情緒的交流を持ち、赤ん坊とも生まれつきの心情の関係によって愛着の情緒を形成し、充分な意思疎通をするようになる。幼児期の5歳以前における養育者との関係形成の可否が生涯の性格形成に影響を及ぼす。
真のお父様の胎児期と幼少年期における根本の父母であられる神との心情関係と交流は、それよりもはるかに直接的で強力、神秘的な次元であった。誕生以前から極めて多彩で強力な天の愛の光のエネルギーが様々な神秘的現象を起こし、周辺に臨んでいたのである。
そのように、神と真のお父様の父子間の直接的交流は、2~3歳頃からあった。これは「誕生時から天の血統」であるか否かを論ずる理由すらないことを示す事例だ。
そういう意味で金苑長は、み言葉読解に深刻な欠陥があるように見える。「真のお父様は柳寛順烈士の三・一独立運動の土台の上で懐妊し誕生したというが、正にその時点からメシヤとして出発したという内容を一回も見たことがない」という言葉も極めて軽率な言辞と言えよう。次のみ言葉の事例にさらに深く注目してもらいたい。
「1919年3月1日は、韓国が日本から独立する為に万歳運動を起こすことによって多くの人々が犠牲になった日です。なぜ3月1日にそういう事件が起こったのか。私がこの期間に懐妊し生誕しなければならないからです。その時から10ヵ月後であれば1920年の正月です。それゆえ条件的な国でも探し出して主様が生まれなくてはならないけれども、条件的な国もなければ来られる主様が天中に浮いてしまうので、天はそういう役事をしたのです。私一人が出て来るのに多くの血を流さなければなりません。それで1919年は凶年となり、そういう良くないことが起こったのです。天の摂理はそうして来るのです」
「16歳で殉国した柳寛順烈士は、堕落していないエバと同じ立場でした。アダム国家におけるエバと同じだということです。エバの立場にあった柳寛順烈士の体をサタンの立場である日帝が6つに切り裂いてしまいました。6数はサタン数です。柳寛順烈士は国家に忠誠を尽くす為に一身を犠牲にしながら独立運動をしたのです。独立万歳運動の最中だった1919年に私は腹中にいました。独立してない地では生まれることができないので、そういう争いが私の生命を中心として起こったのです。その時から10ヵ月後の1920年に生まれました」
金苑長は「真のお父様が天の血統を持って生まれたという段落が17ヵ所、天の血統を持たずに生まれたという段落が21ヵ所もあり、物凄く衝撃を受けて信仰が全て崩れたと思った」と率直な自己告白をしている。「60頁に及ぶ原罪に関する、また血統に関するみ言葉を全て準備しましたが、その内容の両面性をめぐって信仰的に動揺した」とし、「それがお父様のみ言葉なので、どうしたらいいか」という苦悩の心境を吐露した。事実上、今回の講義の全般的な内容から見て、その時、金苑長は真のお父様に対する根本的信仰が完全に崩れたと思われる。勿論、それ以前にも真のお父様に対する信仰というものがあったかどうかさえも疑問である。
自称「物理学者としてみ言葉を最も分析的に研究した」という言葉を何度も繰り返しながら出した結果は、み言葉の段落の数を数えて秤にかけた、極めて痛ましく気の毒な境遇である。そういう結果から見て「天の血統ではないというみ言葉の方がより多いことを見ると、それは衝撃であるが、真のお父様は『原罪』を持って生まれた」と言おうとするのだ。
ところで、次のみ言葉の例を見てみよう。
「皆さんが『先生も堕落した血統がある』と言うなら、それ以上の恥辱はありません。霊界の人が来て皆さんに気合を入れます。『あなた達は生きていて、先生をそのようにしか分からないのか』というのです」
「あなたたちは『先生に原罪があるか、ないか』と言うことはできません。神様が原罪ある先生を使うでしょうか。16歳までのアダム・エバと血統が違っていません。なぜ16歳を重要視するのですか。16歳までは堕落していません。その継代をつないでいるのです。その前まで掘り下げていって、先生に原罪があるか否かということを自分たちが決定することができますか。無駄なことをしています。私がそういうことを考えずに、ここで教主の役割をして血統を正すなどと言えるでしょうか。私は幼い時から天が教えてくれました」
「16歳になる時までは本然のアダムの体です。天の国の、神様の全てを相続することができる本然的な、堕落していない、完成に向かう男でした」
2千年前のイエス様の場合、誕生と共に独生子・メシヤとして生まれたので、3人の東方博士が礼物を持って来て、その聖誕を慶祝する等の証拠事例があった。それと類似した事件が、真のお父様の場合、16歳以前に相次いで起こった。即ち、天からの通知と共に、地からの証拠が現われた。次のみ言葉を再び見てみよう。
「先生が10歳にもなっていなかった頃、70~80歳の人が来て敬拝します。どこかを歩いていると、私が調べ事があって歩いていた市場で会うと、敬拝するのです。『なぜお爺さんのような人が、通りすがりの少年のような私に、このように道を塞いで敬拝するとは何事ですか、なぜそうするのですか』と尋ねると、自分を教育しているというのです。『20年前、30年前から、ある人が大人として私を教育してきたのですが、その教育した人の言葉と顔付きが全く同じなので、おかしな話ですが、先生として侍ってきたので挨拶しないでいられますか』と言うのです。そういうことが分かりますか」
「先生の歴史は不思議なことが多いのです。私が生まれる時もそうであり、あらゆる兆候が本当に多かったのですが、私が10歳を超えるようになると、山に行って精誠を捧げる僧侶たち、金剛山を訪ねて行く僧侶たちが私たちの町に寄って私に挨拶すると言って訪ねて来ました。挨拶すると言うので、私に恥をかかせると、私が子供なのにこのようにすれば行く道を妨げると、その出来の悪い人々の挨拶は受けないと逃げ回っていたことを思い出します」
それでは金苑長が提示したその21ヵ所のみ言葉の段落の中に、真のお父様が「私は原罪を持って来た」と直接明らかにしたみ言葉の原文はいくつあるのか、基本的にそれに相当する原文の根拠を直接挙げて、聴講者たちが詳しく考察する機会を与えるべきなのに、量的な数字を提示することによって、まるでそれが事実であるようにあざむいた。はたして真のお父様は、自ら原罪を持って来たと語られたのか。
金苑長の主張とは違い、事実上、真のお父様が自分の血統的根源に関して言及した多くのみ言葉を幅広く調べてみると、それが「原罪があるか、ないか」という、相反する観点を提供する両面性を持ったものではないことが分かる。それは真のお父様が「サタンの血統」、即ち「原罪」を持って生まれたという内容ではなく、現実的に堕落した人間世界の血統の系譜に乗って、その中で生まれるしかなかったことを強調したみ言葉である。たとえ神の息子であるメシヤであっても、天から落ちて来るのではなく、厳然と人の息子として生まれて来なければならないからである。したがって、イエス様も堕落した人の息子として生まれたので、蕩減路程を行かざるを得ない。
『原理講論』の再臨論には、「マタイ福音書の冒頭を見ると、イエス様の先祖に4人の淫女があることが分かる。これは万民の救い主は罪悪の血統を通じて罪のない人間として来られ、罪悪の血統の後孫を救援されることを見せて下さる為であった」と明らかにしている。
次のようなみ言葉は、全てがそういう意味を持つ教えである。
「神様には蕩減が必要ありません。堕落した私たち人間に必要なものです。偽りの愛で偽りの父母が出てきて、偽りの愛・偽りの生命・偽りの血統によって汚れた血統ですが、この汚れた血統自体は神様と関係を結ぶことができません。これを誰が蕩減するかというと、人間が蕩減しなければなりません。人間として来られてその主人となる、人間自体の主人として来る再臨主もサタンの血統に乗って来ました。ザカリヤ家庭にイエス様が生まれたことは…。イエスの先祖が、メルキゼデクだ何だといったことを知らずにではありません。人の息子、堕落した人の息子として生まれたので、イエスも蕩減路程を経て行かなければなりません。受難を経て、国を克服しなければなりません」
「1代アダム、2代アダム、3代アダム!…3代アダムと言っても、その根本に生まれたのが、いくら再臨主であれメシヤであれ、堕落した血統を通じて堕落した女の体を借りて生まれ、天の預言者がいて、何があっても卵子と精子の種を分けて聖別して生まれたのです。それは神様の予定の中で生まれなければなりません。メシヤというのは、ただそのままでメシヤになることはできません。数千代の先祖が聖別された所において、精子の種、神様の精子、女の全ての負債を全て合わせて精子を育てることができて出産したのが母です。卵子を育てるのではないでしょう」
真のお父様は、生誕以後16歳になるまで創造本性を持った神の直系の血統の息子として育った。本来、神が子として創ったアダムの因縁で生まれ、16歳のアダム堕落以前の本性の継代を受け継いで、その16歳に至って神の直接的な下命を受けた。それ以後は自力の責任分担として摂理史的旧約・新約・成約時代に積もった蕩減条件を清算し、縦的・横的8段階のサタンの血統世界を救援し、本然の神の国を探し立てて完全勝利に至る。
6千年の摂理史3時代の代表者として、このような8段階を越える血統を清めなくては、神の本然の血統を完全に連結することはできない。天地の万民救援の使命を持ったメシヤ・真のお父様にとって、原罪とは全人類的な次元で四方八方に枝が伸び絡んでいる重くて手に余る荷である。真のお父様自体は原罪とは無関係だが、既に共有した縦的・横的8段階まで全て解決してこそ「ある、ない」と宣言できる、複雑に絡まった事案である。真のお父様がメシヤとしてこの地に来られた究極の目的は、全人類にご自身と同じ神の血統を接ぎ木しようとするところにある。
次のみ言葉はこのような部分を悟らせる内容である。
「8段階を越えて行くことができる6千年の代表の血統を清めなくて、どうして神様を代身した血統を連結させることができますか。原理を解釈もできない人々が、先生が純血か、どの血か、先生の血がどうだ、こうだと‥‥」
「堕落した世界は、血統が神様と連結されることができません。メシヤは神様の血統として降臨する存在、真の愛の血統を持った完成のモデル的な存在です。このようなモデルに全人類を接ぎ木して同じ実を結ばせるのが最後の目標です」
メシヤの血統問題、即ち真のお父様の血統問題には、創造主である神固有の縦的責任分担領域と地上人間の横的責任分担領域が連携されている。神性的価値の領域と人性的価値の領域を併せ持って来るのである。たとえ神の予定の下に経綸されたメシヤ再創造摂理を通じて、サタンの讒訴と原罪が清算された天の血統の神の王子が現れたとしても、サタンの讒訴と原罪を持った地上の現実的な肉的血統基盤を通じて誕生するしかない。したがって、そういう堕落世界の血統問題を、将来メシヤ自身の責任分担として全て解決しなければならない。統一原理では、神の責任分担95%と人間の責任分担5%という比率で表示し、み言葉ではこれを97%と3%として表示したりもする。
いずれにせよ、真のお父様の血統問題に関するみ言葉は、この2つの相対的な領域の要件が、その時によって異なって強調されているのである。したがってそれは相反と矛盾の問題としてアプローチすべき性質のものではなく、相互補完的責任分担の相関関係として理解すべき事案である。たとえ相反と矛盾と思われる如何なる主題のみ言葉であっても、それは大きなフレームにおいて一つの現象を多面的観点によって説破する立体的な教えなのである。
単純に分量の数を先立たせてみ言葉の意味を恣意的に歪曲すること、これは高次元の物理学者らしい仕業だというよりも、子供じみた未熟な算数レベルだと言わざるを得ない。今回の金苑長の講義において終始目立つ特異点は、正に「こういった単語は何回、ああいった単語は何回」と、数を数えることを誇るところにあった。み言葉研究は、分量の数に先立って、より深い心情的基盤から摂理的霊的次元を考慮して立体的観点からアプローチして分析する質的方法論が優先されなければならない。物理学者なので、み言葉をより洞察できるという自己アピールは、このような点で適切ではなかった。
み言葉とは、神本体から創出された創造理想のロゴスがその完成実体たる真のお父様に直接啓示され、人類に贈物として相続された天的な聖物だと言える。それだけに、み言葉が含む主題と内容の多様性と立体性は、宇宙創造物が持つ多様性と立体性の妙味をほぼ全て含んでいると言っても過言ではないほどに奥の深い境地にある。
それにも関わらず物理学者の金苑長は、真のお父様のみ言葉は全ての主題が物凄い矛盾を抱えており、そのみ言葉を残された真のお父様は世界で最も可哀想なお方だと露骨に非難した。これはまるで植物・動物・鉱物・人間は全て形が違うので互いに矛盾しており、牛・犬・豚・鶏も全てが矛盾しているので、そのように創った創造主は最も可哀想なお方だと語る、愚劣極まりない無知蒙昧な妄言と言わざるを得ない。み言葉の矛盾性を公開し発言する者が、そのみ言葉を語られた当事者を「解放する」とは、何と途方もない戯言であろうか。み言葉を口にする基本的な資格までも喪失した者の妄言は、そのみ言葉の感化によって新しい生命を得て一生を生きて行く大多数の食口にとって、どれほど酷い冒瀆であろうか。
金振春苑長は、今からでも自分が吐き出した暴言をじっくり考えて、痛烈な自己反省の自白書を発表すべきである。そして全ての公職から降りて、今後は深い省察の生涯を送って然るべきである。
2. 独生子再臨–独生女初臨の観点の問題
金振春苑長は、真の父母の理想が地上において初めて明らかになる事件が小羊の婚宴だとし、その事件の意味の説明に非常に集中した。独生女の本質が小羊の婚宴の本質であり、それが真の父母様の家庭の本質であるとしながら、そういう内容が明確になってこそ、我々の共同体が明確になると強調する。今更そんなことを言わなくても、その重要性を知らない食口がどこにいると思って、繰返し喚起するのだろうか。
それは一言で言って「初臨の独生女」の確定に本音がある。「真のお父様は再臨であり、真のお母様は初臨」という命題固めだ。この点を先立たせて終始、真のお父様に先立つ真のお母様の優越性を強調する。このような方式のアプローチは、例えば、曽孫までいるお祖母さんが夫の死後に、婚約し結婚した時代に遡って、両家の血統の来歴の優劣を分け、今更ながらに争おうとする、不届き千万な事態と言わざるを得ない。一体今になって何故、このような言い争いに熱を上げるのか、理解し難い。
真のお父様は今日の状況を見通しておられたかのように、次のように語られたことがある。
「血統は父子の関係以外にはありません。『お父さん!』と言う時、血統が同じでなければなりません。母親も『私の血統だ』と言い、父親も『私の血統だ』と言います。『何と、この子は私に似ている。あの子は父親似だから、父の血統だ』と言います。母親と父親が二人で愛して一つになって産んだのに、なぜ分けるのかというのです。それは破壊なのです。それは争いです。先祖になったら全て垣根になって保護してあげようと考え、良いものを保護しようとすべきなのに、なぜ自分のものにしようとするのですか。『私のものだ』と言っても、自分のものがどこにありますか。個人主義を主張できる土台になっています。掘り下げてみれば、父の精子、一つの分子です」
それにも関わらず、問題の禍根である金苑長は次のように述べた。
「お母様は初臨なので、天の血統であり、原罪がない。初臨なので継承ではなく誕生から始まる。初臨は生まれる時から天の血統なので壊すことができない。お父様のみ言葉によって6千年ぶりに初めて明かされて、独生女は初臨であられると理解できた。お父様は再臨主として、原罪なしに誕生したというみ言葉がない。再臨とは、イエス様の生涯路程を継承する意味がある。お父様の路程はイエス様の誕生の条件を壊してはならない。お母様はどうしてこういう部分を知っておられるのか」
「初臨の独生女・真のお母様は天の血統であり、真のお父様は原罪があるお方でイエス様の基盤とその路程に依存しているので、それを脱することができない」というのである。さらに「真のお母様がどうしてこういう深い内容までご存知なのか、とても感動させられた」という涙ながらの証しである。それでは、そういう真のお母様の観点に同意される当事者である真のお父様のみ言葉の根拠はあるのか。
事実において、真のお母様は初臨の独生女ではあり得ない。2千年前にイエス様の相対者が初臨したが、聖婚まで至ることができずに決裂した。独生子イエス様が30歳になるまで、相対者である独生女が地上に来ていなかったなら、聖婚はいつ誰とするのか。初臨の独生女は用意されていたが、独生子に会うことができずにイエス様の初臨摂理は失敗し、代わりに女性神である聖霊を通じて役事した。初臨の独生子と独生女が婚姻できなかったので、全て失敗した立場で実体として再臨するのである。
真のお父様のみ言葉を見てみよう。
「イエスは独生子だが、間違えて独生女を失くしたので、独生女を探さなければなりません。そうしようとすれば、母と父の二つの族属が一つになってしなければなりません。ガリラヤのカナの婚宴に行った時、母マリヤがイエスに「葡萄酒がない」と言ったのに対して、(イエスは)「婦人よ、あなたは私と何の係わりがありますか」と言ったでしょう。それはどういうことか分かりますか。母親であれば、息子が30歳を超えるまでに結婚できる準備をしなければならないのに、それもできずに、他人の婚宴に来て何をしているのかというのです。その話が本当かどうか、聖書を見ろというのです。その背後にこうした曲折の暗雲に覆われていたら、太陽が私の前に昇りますか。とんでもありません。再創造過程がそうです。主体と対象を設定したというのです」
独生子イエス様が真の父母の使命を成し遂げるには、独生女を実体の新婦として迎えなければならなかった。真のお父様は、兄妹の立場で堕落したアダムとエバの立場を復帰するには、イエス様の産みの父、ザカリヤの娘、即ち洗礼ヨハネの妹と聖婚しなければならなかったと語られた。しかし、ザカリヤとエリサベツが傍観し、異母兄である洗礼ヨハネがイエス様の進路をさらに難しくした。復帰されたエバの立場であるマリヤはヨセフと聖別しながら、地上の天使長復帰圏を通じて本然のエバであるイエス様の新婦を探し立て、国を立てる時まで同行し協助しなければならなかった。それゆえ真のお父様は「ヨセフとザカリヤの両家が一つになって独生女を探し立てなければならない」と語られた。独生女が出てくるにおいて、ザカリヤ家庭でその準備をしなければならなかった。ところが、そのような準備ができなかったため、イエス様は母マリヤに対して無念な感情を吐露された。実際の対象者が誰であれ、初めから全く準備すらできなかったというのは話にもならない。
さらに、最初に独生子・独生女実体創造理想の初臨摂理はアダムとエバの時であった。原理では、イエス様は後のアダム、その相対者は後のエバとして来ると言っているが、それは即ちアダムとエバの再臨摂理を意味する。厳密に見ると、真のお父様と真のお母様は第3アダムとエバの降臨である。そのため、誰が初臨であり、誰が再臨かという差異区分は何の根拠も意味もない論理の捏造である。
真のお父様は次のように語られた。
「イエス様とは何者かと言えば、神様の独生子です。本来は神様を中心として人類の先祖アダムが独生子でしたが、アダムが堕落して死んでしまったので、再び探さなければならなかったのです。それではエバは何かと言うと、独生女でした。このアダムとエバが思春期を過ぎて成熟し、人生の青春期を迎えるようになれば、神様が結婚させて下さったことでしょう。ところが、それができなかったので、キリスト教を中心として小羊の婚宴という名辞を立てたのです」
再臨主は、イエス様の時まで神側が勝利した根本摂理の基盤の上に、創造理想を完成する本然の子女として来る。イエス様のように血統を浄化する事前の過程の必要なしに、誕生から神の創造本性を受け継ぎ、イエス様が生まれて成長する時までの勝利的基盤の上にまっすぐ立って成長される。そのため、真のお父様は、誕生の時から原罪と無関係な神の独生子・メシヤとして来た。
イエス様の基盤とは、原罪のない神の独生子の血統の基盤である。真のお父様は再降臨であれ、第3次降臨であれ、誕生からその基台の上で天の血統の独生子として来られる。そういう誕生の事件を再臨と言うのは、使命の面においてイエス様の代身者であるためである。真のお父様はイエス様と別個の独立的個性体である神の直系の息子として来られて、前任の使命者から使命を継承したのである。
真のお父様は次のように語られた。
「先生は血統が違います。イエスの血統と違います。16歳まで自然の血統として現れました。イスラエル民族の骨髄の内容の伝統を支持できる、そのような血統に生まれて現れました。家門を見れば、驚くべき家門です」
真のお父様が16歳でイエス様を通して天命を受けた事件は、原罪のない「血統の引き継ぎ」ではなく、「使命の公式的引き継ぎ」だった。16歳の召命事件とは別に、真のお父様の天の血統は誕生の時からであり、公的使命は16歳の時に神の召命に応答する時に出発した。真のお父様が受け継がれたイエス様の路程とは、固有の原理路程と現実世界の復帰路程を同時に行くことである。
金苑長はこのような基本原理の語彙を使って、しきりに派手な言葉遊びで何か特別に違うものが潜んでいるかのように、いろんな所を切り裂く悪習が身についているようだ。「分析」は建設的で発展的な「総合」の為の過程の作業となるべきであるのに、両方を敵味方に分ける悪い道具として悪用している。これは「ディテールに悪魔が潜んでいる」という言葉がその如くに実感できる行為である。
再臨主がイエス様の基盤から来られるからと言って、天の血統をイエス様から受けるのではなく、それは根本の父母である創造主たる神の愛と生命の淵源から直接受ける。どうして人間イエスが別の個体である使命代身者に神の血統を直接伝授しようか。
さらに再臨主の血統は、旧約・新約・成約の3時代を代身した総体的価値の結実であると同時に、四大心情圏の新時代を開く本然の完成血統である。真のお父様は当然、イエス様の基盤を継承しながらも、その次元をはるかに超えた神の創造本性の心情的血統を直接相続した根源的位相と価値と使命を持って来られたお方である。したがって、それ以前の長成時代のイエス様の血統過程やその次元に過剰に結び付けて、同等に規定するというのは全く望ましくない。
真のお父様は次のように語られた。
「イエス様は処女から生まれたと言うが、先生の母は処女だったのか」処女と言ったらそれは狂った人たちです。処女がどうして子供を産みますか。父を通さなければなりません。ですから、イエスの先祖と文先生の先祖は根本が違います。イエスは何千年前ですか。2千年前ですが、違うというのです」
「本然の神様が創造した役割を果たしてこそ、本然の種が出てくるのです。そのためイエスの血統と先生の血統は違います。イエスの血統を受けて出てきたのではありません。本来完成した神様の血統の中からアダムの血統、その次にイエスの血統、再臨主の血統があります。再臨主を完成の血統と言うのは、蘇生時代・長成時代・完成時代があるからです。再臨主の中は、3時代の実を代身した価値の実が結ばれます。それを植えておけば、アダムの実の位置、イエスの実の位置、再臨主の実までもそこから出発します。そのため、統一教会では第3アダム時代だけでなく、完成3代再臨時代だけでなく、四大心情圏の時代を語っています。四大心情圏の時代には第1次アダムも入っており、第2次アダムも入っており、第3次アダムも入っています。その実になることができるものを植えれば、間違いなく天国に入ることができる完成した息子娘が出てきます」
「イエスと文総裁を見る時、イエスは独生子ですが、文総裁は何ですか。独生家の王です。家の王です。息子と王の違いです。先生の血統は違います。イエスと違います。血統が違います。その歴史を皆さんは知りません。先生は知っているというのです。そのため、先生は『学而知之』(学んで之を知る)、『生而知之』(生まれながら之を知る)、『神而知之』(神によって之を知る)なのです」
このようなみ言葉は放り出しておいて、金苑長や真のお母様は、遥か昔のどこかの谷を彷徨っている状況である。金苑長の言葉や真のお母様のみ言葉を聴いてみると、初臨の独生女という真のお母様の本来の相対は初臨のイエス様のようだ。再臨された真のお父様はイエス様に体を貸した代役で、初臨の独生女の補助付添い人程度と認識されている側面が多分にある。そうならば、初臨の独生女という真のお母様は、初臨の独生子であるイエス様をまさか自分の本当の新郎と思っているということなのか。真のお母様が幼少の頃に経験されたキリスト教信仰の情緒としては、そうした郷愁もあり得そうだ。
しかし、そういうことは絶対にあり得ない。何故なら、1971年1月3日に真の父母様は「実体聖霊聖婚式」という名前で、イエス様と張貞順女史を予備祝福された土台の上に、1998年6月13日の3億6千万双第1次祝福式の時に実際の祝福をして下さった。これによって、イエス様は2千年前に迎えることができなかった新婦を実体聖霊として迎えた。天総官文興進様は、霊界ではイエス様の兄の地位にある。したがって、真のお父様は「文薫淑様と張貞順女史は姉妹のように仲睦まじく過ごさなければならない」と指示され、このお二方を中心家庭の女王として侍らなければならないと強調された。
さらには、真の父母様の息子格であり、真の子女様たちとは兄弟の序列であるイエス様を未だに真のお母様の新郎の位置に立てて真のお父様と対比させる行為は、誤解の素地が大きいため、控えなければならない。ともすれば、嫁を押しのけて母子関係を結ぶ破倫に相当することを知るべきである。真のお母様にとって独生子は専ら真のお父様であり、そこに初臨だの再臨だのと問い詰めるのは、埒もないことである。完成摂理時代の真の父母様の使命圏の領域からイエス様を解放し、そのお方の陰から抜け出すべきである。
次のような勧告のみ言葉も参考に詳しく考察されたい。
「イエスだけ信じれば全て終わると考えるのです。イエスを信じてできることとは何ですか。イエスに対して神様が信じるのかというと、信じることができません。なぜなら、イエスの時に世界を救うことができなかったからです。神様はイエスを信じることができません。なぜなら、キリスト教を持って世界を救うことができなかったのです。それが事実ですが、そのことを知らなければなりません。そうしようとすれば、どうすべきかというと、イエス以上の位置に進み、神様を再び知らなければなりません。その道しかありません」
金苑長の言葉どおり「独生子が天の父の実体であり、独生女が天の母の実体」だとしても、必ず独生女に先立って独生子が先に来るのが創造の秩序であり順序である。神は主体であるアダム創造の骨組みをモデルとして、対象であるエバを創られた。したがって第3アダム・独生子・真のお父様が、主体的に第3エバと独生女・真のお母様を、神のみ旨に従って探し立てられる。
真のお父様は次のように語られた。
「メシヤは何をすべきかと言うと、独生子として来て独生女を探し立てなければなりません。探すのには、唯単に探すことはできません。アダムを通じてエバを創ったので、この世界に来てエバを探さなければなりません。サタンが奪って行ったエバを探さなければなりません」
「独生子が何を探して来なければなりませんか。独生女を探して来なければなりません。そうしてこそ、合うのではありませんか。独生子がこの地に来たなら、独生女に会わなければなりません。独生女がいなければ創り出すか、隠れているなら、奪って来てでも創らなければならないというのです」
メシヤは男として来て女に出会い、真の父母となって顕現される。即ち、小羊の婚宴をされることによって神の血統の因縁を中心とした夫婦となり、人類の真の父母になる。
メシヤに関して定義した真のお父様のみ言葉を調べてみると、神の息子、完成したアダム、神の血統を相続した長子、真の愛の血統を持った完成のモデル的な存在、真の父、横的な真の父母、人類の真の父母、神の愛を背景に真の愛と生命の種を持って来る真の父母、真の祖先として来るお方、王として来られるお方等々、時によって各々違った強調点で教えて下さった。
ところが、金苑長は、真のお父様がその手続き的過程で、ある一面を浮かび上がらせて説明された句節を「相互矛盾と対立の問題」だと言った。過度な分析的考え方が総合の美徳として結実されない奇形的探求の態度は、摂理史の認識と解釈においてもそのまま表れた。恐らく金苑長には「メシヤが女として来ないで、息子、アダムとして来る」と言われたみ言葉が非常に気に入らない様子だった。
いわゆる「実体的天一国時代」という今日に至って、そういう歪んだ人々によって、私たちは真の父母様のお二方が争う状況に出くわした。
金苑長が語った「同等権」も真の愛を中心とした同等の価値を言うのであって、主体と対象の位格までも同じであることはあり得ない。さらに対象である独生女が独生子より優れているという主張を展開するのは、原理的には主管性転倒と言う。真の愛の独生女が正しいのなら、独生子を自分よりも高める謙譲の姿勢を通して本然の主体と対象の関係を定着させてこそ原理的な真の母となることができる。
人間始祖の原罪は、アダムやエバの個体一人で犯したものではない。それはまた、人類歴史を通じて子々孫々に遺伝され、天地の万民が関係性と連帯性を持って共同連携された罪の根である。根とは、幹と枝と葉まで一つに連係された一つの体制の根源である。したがって原罪やサタンの讒訴問題は、関係性と連帯性を離れ、いくつかの言葉の恣意的宣言によって有無の如何を断定することはできない。
独生女が良い血統の対象者として用意されるとしても、原罪のない血統の主体的根源である独生子に出会い聖婚する一定の手続き的過程を通じてこそ、初めて天の血統の新婦として確定することができる。対象である独生女が、主体である独生子と無関係に一人で天の血統の独生女としてどうして完成するというのか。
この点に関して、真のお父様は次のように明快に語られている。
「今までの救援摂理は、アダムを再創造する歴史です。神様の息子を探し出すことができませんでした。4千年ぶりに現れたイエスは神様の息子です。独生子です。血統を清めて来ました。独生子というのは血統を清めて現れたからです。原理のみ言葉を聴いてみると、血統を清めなければならないという内容が出てきます。アダムを手本としてエバを創ったので、血統を清めたその男が女に出会って血統を清める仕事をしなければなりません。アダムがエバの言葉を聞いて血統を汚したので、エバを絶対服従させて血統を清めなければなりません。それで、神様の血統を受けることができる、縦的な基準で90度の女性になる時、ここから愛の天地調和が、血族が起こるのです」
「メシヤは血統を清めて来たお方です。タマルの歴史を皆知っていますが、血統を清めてこそ初めてイエスが来て「私は神様の独生子だ」と言ったのです。この独生子という言葉は、歴史上、革命的な術語です。神様を中心として初めて現れた独生子なので、愛を中心として血統が連結され、父子の関係が回復されます」
百歩譲って「真のお母様が原罪なしに天の血統の初臨独生女として来られた」と言うなら、その資格要件はどうして成されたのか。初臨のイエス様は、イスラエル選民史を通じた腹中血統転換の背景の中でサタンの讒訴条件を解消した原罪のない天の血統の独生子として誕生することができた。そういう復帰原則に従うなら、真のお母様が初臨の独生女として誕生されるには、それに相応しい腹中血統転換の為の根本復帰基台を独自に持たなければならない。
エバが神とアダムをあざむいて天使長と血縁関係を結んだので、タマル、バテシバ、マリヤなどの信仰の女性たちが、それと反対の経路で命をかけて天の血統を復帰してくる過程があった。真のお母様が原罪のない初臨の独生女として誕生されたのなら、それに相応する復帰基台はどのようなものであったのか。真のお母様が初臨の独生女として来られる根本的血統転換の基台は何なのか。
真のお父様は次のように語られた。
「むやみに結婚することはできません。天のみ旨に従わなければなりません。3代を経て再臨主に侍る為に行動した血族でなければ母は出ません。神霊集団を代表した女性とか、鉄山の白南柱とか…」
そのように真のお母様の母方の祖母の趙元模女史と母の洪順愛大母様は本来、真のお母様誕生の母系の信仰基盤でありながら、天の新郎として来られる再臨主に侍る為の3代の新婦圏の基台だった。しかし、これは初臨のイエス様の場合と歴史的に連係するに値する根本復帰基台ではないのである。したがって真のお母様が純粋な本性を持たれたとしても、誕生から原罪のない天の血統を直接受けることとは別の問題である。そのような理由から、真のお母様が聖婚される時に独生女として立つ為には事前に血統転換の為の信仰の女性復帰基台摂理がなければならなかった。
真のお父様のみ言葉によると、メシヤは女性解放の為に来られるお方である。真のお父様は歴史以来、女性のために最も苦労と受難を受けた代表的男性だった。数多くの女性を教育して立派な妹、妻、母、祖母、女王を作るのに大変なご苦労をされた。代表的女性を立てて、偽りの父母が作った邪悪な愛の道の事縁を全て防ぎ止める闘いをして、血統を探して継いで下さる。
神が見る時、アダムの前では全世界の女性は一つと同じである。真のお父様は神の体となり、全時代を代表する80代から10代までの8段階の女性の愛の橋を架けて、その紐のエキスを抜いて、本然のアダム自体を備えたという勝利の御印を得て解放されなければならなかった。数多くの女性が堕落の穴に陥ったのを、愛の紐を結んで、乗って上って来られるようにされた。私娼窟のような所から女性たちの悪習慣を経験し、あらゆる曲折を経て、堕落していない基準まで聖化させ定着させて、真のお母様を立てられたのである。
真のお父様のみ言葉の中から何ヵ所かだけ見てみよう。
「独生子イエスの前に独生女はいません。独生女の一族はいません。ザカリヤ家庭とヨセフ家庭が一つになってこそ一族があるのですが、一族がないので、王権を立てることができる基盤もなかったのです。王権の代表者となることができる女性たちを中心として、血統が違う大使を立てなければなりませんでした。アダムの妹たちを、エバの妹たちを得なければなりません。血統を清めた妹たちを通して、ザカリヤ家庭の血統を連結して国を立てたなら、全て終わるのです。先生も同じです。母を中心として正常な血統ではできません。既成教会が反対することによって追い出されたので、全てを再び探して復帰したのです」
「エバを探す仕事をイエスができなかったことを、また再び母を立てなければなりませんが、再び立てる為には80の老人から12歳、70年期間に7千年の歴史全体を蕩減して、心情的恨によって破壊したこの全ての生殖器、ぼろ布を縫って整理して、堕落していない基準まで聖化させて神様に侍らなければならないという事実を知らなければなりません。それで、イーストガーデンに行ってみると、『勝恨成就』、その次に『一心定着』という標語が貼ってあります。このような標語を中心として、先生の一代でこうした恨の峠を越えて、再び探して再創造する為の道を歩んで来たのです。アダムとエバが偽りの父母になったので、真の父母が偽りの父母が作った全てのボロ布を縫わなければなりません」
金苑長が無謀にも「非原理的尻尾(行為の隠語)」として批判した真のお父様の女性中心の内的復帰摂理とは、全て真のお母様が独生女・天の新婦として資格を得るにおいてサタンの讒訴条件を解消する為の天秘の復帰過程である。このような一連の摂理的過程がなければ、真のお母様は真のお父様の前に天の新婦の資格を得て聖婚に至ることができない。だから「真のお父様の再臨と真のお母様の初臨」がお二方の平等権を分ける条件になるというのも話にならない。金苑長は何故、そのような語彙を使って、お二方の位相を人為的に分け、衝突させることに没頭するのか、全く理解できない。
真のお父様が聖婚を前後して断行された内的根本摂理とは、敢えて比喩するなら、切り捨てるべき「行為」ではなく、不動の「中心である頭」であり、最も深い「中核の根」の領域に該当する根本である。それに伴なう全ての儀礼は、神の解怨成就と心情圏復帰の為の神聖で厳重な聖なる礼典過程である。それを土台に真のお母様も現れ、小羊の婚宴も可能となり、結局、私たち人類は真の父母様によって神の血統の子女として重生することができるようになった。
だから、これは、何も知らない一介の物理学者が浅薄な論理の言葉遊びで雑談でもするかのように吐き出した戯言などでは決してあり得ない。金苑長自身も祝福を受けているなら、正にその根本摂理の根から重生した者なのである。ところが、自分が生まれたその根源となる根を尻尾だと言いながら、切り捨てるべき不純物として取り扱う無法者がどんな摂理史を論ずるというのか。
金苑長は講義の中で次のように語った。
「お母様がご覧になると、再臨メシヤの使命を継承されたお父様の立場が原理どおり行くべきなのに、そうできずに、本当に無念さがあると語られた。そういう尻尾を付けている立場で、1960年の聖婚の時は、お父様が新婦を決定する立場ではなかった。原理的な目から見ると、聖婚以前にサタンたちが霊界で沢山讒訴する内容は、見方によってはボタンがちゃんと掛かっていないので、これを再び外して本然の姿どおりに掛けなければならない」
一体その「原理的な目」というのがどんな目だからと言って、自分の神聖な結婚にサタンたちがくっついて讒訴すると言うのか。こうして見ると、真のお母様は小羊の婚宴の為の神の内的摂理が如何なる理由で進められたのか、よく知らなかったようである。むしろ、そのような摂理的方向と逆行して、真のお父様が原理に反した道に進まれることによってサタンの讒訴条件を残したと規定した。さらに最初のボタンから誤って掛けられたという言葉によって、聖婚の神聖性や真の家庭の位相の根幹をひっくり返しているのだ。
このように真のお母様のみ言葉によると、小羊の婚宴はサタンの讒訴条件がある状態で行われたと言うことだ。そうだとすると、それが何の小羊の婚宴であり、完全な真の父母の聖婚の出発点になるだろうか。
金苑長は次のように言葉を続けた。
「天の父母様の永遠のパラダイムは小羊の婚宴である。サタンの讒訴条件がない小羊の婚宴が行われなければならなかった。小羊の婚宴以前にお父様は結婚してはならない。復帰摂理をしてもならない。お父様が中間で結婚した状態で小羊の婚宴をしたら、サタンが讒訴する条件として尻尾が付いたままの状態になる」
真のお母様は、このように真のお父様が自分と聖婚する前に文聖進様の生母・崔先吉女史や文喜進様の生母・金明熙女史と婚姻したことをサタンが讒訴する非原理的尻尾として規定した。初臨の独生女より先に他の女性と婚姻したことはサタンの讒訴条件となり、初臨の独生女と聖婚する前には如何なる復帰摂理も行なってはならないという主張である。
しかし、これに関して真のお父様は次のように明らかにされた。
「英米仏が日独伊と戦った第2次大戦以後に韓国を中心として一つになったら、お母様は再び必要ありません。先生においては聖進の母と聖進です。その時において、そのまま一次的に全て終わるのです。ところが、キリスト教が反対することによって、先生の一家、文氏の家門自体が分裂したのです。兄弟も二つに分かれ、家庭も二つに分かれ、息子娘も分かれて、国まで南北に二分されてしまいました。それで、その中から闘って母を選び立てる為に14年かかりました。1945年から1960年まで14年を中心としてイスラエル民族と共産主義の脅威や混乱した社会、政治世界の国の前に圧制を受けたのです。その中で闘って、大韓民国において8代政権が反対する立場を勝利してきたというのです」
「1960年に聖婚式をすることによって、初めて家庭の枠組みを持つようになりました。聖進の母が反対したので、この家庭の枠組みを中心としてこのような歴史的な蘇生の過程を経るようになったのです。初めに出来なければ、蘇生・長成・完成の3段階を経なければなりません。聖進の母がエバの立場であり、喜進の母はマリヤの立場です。マリヤがイエス様を連れてエジプトに行ったように、喜進の母も喜進を連れて日本に行かなければならないのです。皆さんが知らない中で、蕩減復帰歴史はこのように巡りました」
真のお母様が真のお父様の前に新婦として来られる前に、真のお父様の家庭出発基台である崔先吉女史や、彼女が不信する立場に立つことによって第2次として登場した金明熙女史を中心とした摂理は、その時代ごとに神の天命による明らかな天的背景がある。特に真のお父様が崔先吉女史とお見合いをされた時は1943年(陽暦)10月頃だが、これは真のお母様が同年(陽暦)2月10日に生まれて8~9ヵ月ほど後に相当する。
真のお父様は、遠からず祖国光復と共に到来する再臨摂理出発の時が切迫した時点で、速やかに家庭的基台を成して国と世界に進出しなければならなかった。そうした中で、どこで生まれたのかも分からない赤ん坊が新婦になるのを待ちわびながら40歳になるまで時間を遅らせなければならないという主張は、はたしてどういう意味なのか。それが正しいとすれば、神霊と通じた大母様や趙元模祖母が祈祷して真のお父様を探し出し、「うちの娘が育つまで結婚せずに待って欲しい」とお願いすべきではなかったか。
崔先吉女史や金明熙女史は当時、不毛な摂理環境において不運にも責任分担を果たすことができずに真の母の位置に進むことができなかっただけである。人間の責任分担が摂理完成の鍵であるということは、原理の基本的教えである。幸か不幸か、その方たちが躓いたせいで、真のお母様は第3次に準備された新婦の位置に進み出る幸運を得た。独生子である真のお父様の善処によって、一定の事前復帰基台の上で独生女の資格を得て、天運天福が臨んで聖婚に至った。元はと言えば、崔先吉女史や金明熙女史の家庭の伝統と信仰の基台は、真のお母様の母系基盤に決して劣っていなかった。
真のお父様のみ言葉は次のとおりである。
「先生がみ旨を知ってから聖進の母と結婚したことも、私の勝手にしたことではありません。霊界から指示があってしたことです。その人も霊界の指示の下で会ったのですが、その人の名前は崔先吉です」
「聖進の母の家も祈祷して全て霊通した人たちです。先生の写真を見て祈ると、霊界から教えてくれたというのです。本当に教えを沢山受けました。東方や西方から大きな鏡が現れて、空の真ん中に来て一つになるとか、その中で太陽が昇って世界を照らし、それを天地の東西南北の星と月がずっと取り巻き、その月光が映って万国が花園に変わったといった話です。彼らは夢のような啓示を沢山受けたというのです。祈祷してみるとそのようになるので、その女性の心が別の男性にあるでしょうか。死んでも私の愛というようになっています」
そういう中で、今さら真のお父様が40歳になるまで結婚もせずに14年の歳月を虚しく過ごさなければならないという判断は、当時の摂理の現実状況を度外視した深刻な歴史認識に対する誤謬と言わざるを得ない。真のお母様は、その14年間に真のお父様がどのような道を歩まれたのかよく知らないため、そのような自己中心の抽象的論理を展開するしかなかった。「私は誰にも学ばずに全て分かった」と語られたみ言葉は、こういう点で支持を受けるのが難しい。妥当性に欠けた主観的主張は真理になり得ないのである。
3. 真のお母様の上位位相認識の問題
真のお母様は1956年3月頃、春川鳳儀初等学校卒業直後、大母様に従ってソウル青坡洞本部教会で真のお父様に初めてお目にかかった。その時真のお父様は、真のお母様の挨拶を受けてから神の前に「こんなに立派な女性を韓国の地に送って下さってありがとうございます」と祈られた。その後時間が経ち、1959年10月から真のお父様のご聖婚が予告され、多くの新婦候補者の推薦があった。
そんな中でも真のお父様は、真のお母様に注目されず、その翌年になってオ·ヨンチュン執事など数人の執拗な推薦によって、最終的に真のお母様を新婦候補者に決められてお呼びになった。その時、数多くの候補者の中から劇的に召命を受けた結果として、真のお母様の位置に立つことになった。いくら初臨独生女だと自負しても、導きの最終決定は神と真のお父様がしてくださらないとその場に確定しないのだから、これは特恵であり恩賜だ。そのようにして真の母の位相に至ったとしても、その天宙史的責任分担に勝利しなければならなかった。
ところが、金苑長はこのように語った。
「お母様はすでに1956年3月に大母様を通じてお父様に会った。それで1959年までの4年間、教会礼拝に参加しながら多くの内容を聞いて知っていると言った。ところが、お母様はただ神のみ旨しかなかったので、どうすればそのみ旨を果たすか、そのことについて多く悩んだという。お母様はそのような状況を分かったが、その当時幼かったので、周りで助けてくれる人もおらず、また強く話せる立場ではなかった。それでお母様は我慢して耐えなければならないと決心したという。
お父様についての噂をたくさん聞いて知っていたので、その内容を抱えてそれを何とか解決して差し上げなければならないと決心された。それで、真の父母の位置に出て、真の父母の責任を洗い流そうと決心されたということだ。お母様は何度もお母様の志を話したいと思ったが、お父様はあまりにも強い性質を持っておられ、強いカリスマを持ってすべてを主宰された。世界の指導者、外部の人々もたくさん知っていて、対社会的な内容があるため、お父様のために話ができず、ずっと胸に抱いて50年間待たれていたという」
真のお母様は聖婚以前の4年間、真のお父様に関する怪しい噂を聞いて多くのことを知っていたという。それでも真のお父様の性格やカリスマがとても強くて何も言えないまま、少なからず50年間胸に抱いて時を待っていたという話だ。
真のお父様はこう仰られた。
「先生に女たちが話すことは男の問題、汚い問題です。私は会ってあげないのです。明らかにすることがそれしかありません。ありとあらゆる意地悪な女性たちの行脚路程が、それほどむごたらしいということを私がよく知っているのです。その世界でお母さんを抜き取って育てなければならないということが、どれほどすさまじいことですか。お母さんは知りません」
真のお母様がいわゆる聖婚以前の尻尾として表現される真のお父様に関する噂とは、1955年梨花女子大・延世大教授退職と学生退学事件に続く、西大門刑務所受難事件前後に生じた雑多な噂をいう。これは徹底的に反対勢力が量産した事実無根の悪性スキャンダルが主である。それでも真のお父様は、当局のあらゆる調査の末に、白日の下で無罪放免になったことで、噂は事実と無関係であることが立証された。もちろん、その後もそのようなデマは、真のお父様の摂理路程に多大な弊害を及ぼした要因として作用した。それで無念な曲折だったのだ。
その当時、真のお父様に加えられた噂の核心は、「淫乱集団の頭目」というものだった。淫乱とは何か。性的に奔放で乱雑なものを言う。刑法上わいせつ罪は、むやみに性欲を興奮・刺激する行為と関連した犯罪の総称で、普通、正常人の性的羞恥心を害して善良な性的道義観念に反する行為を指す。統一教会は本当にそんな集団だったのか。
ところが、真のお母様は新婦確定当時、召命に何の疑問もなく、まるでモリア山上のイサクのように従順だったと証言された。ところが、現在の真のお母様のみ言葉に照らしてみると、真のお母様は真のお父様の過去の不正を知り、法を犯した者と認知されながらも知らないふりをして、平然と新婦の座に出てきて聖婚に至ったと理解される。
新婦の座に召命された当時を回顧される真のお母様のみ言葉はこうである。
「聖婚日の1ヵ月前頃にお父様が夢に現れ、神様からその日が近づいたので準備しろという特別な啓示が下さいました。その時、私にはそのような大きな事の是非を判断する能力がなかったので、無我にならざるを得ませんでした。そして祈らざるを得ませんでした。「今までも私はみ旨のままに生きてきました。これから神様のみ旨が何であっても、神様の摂理の目的が何であっても、私はあなたの娘として何でも命令する通りにします」と、啓示に対して私の心を答えて見せました。私が18歳の春の2月頃でした。私は完全に無我の立場になって準備していました。神様のみ旨通りに完全に身を捧げることを願いました」
元老たちの証言集によれば、警察の捜査段階で数々の先輩食口が尋問を受けたが、偽りの投書の内容に焦点を合わせ、とても口にすることもできない幼稚な質問を躊躇なくぶつけてきたという。特に姦淫行為など濡れ衣を着せ、自白を強要されたが、食口たちは潔白と真実で抗弁した。受難を恐れたり避けたりせず、少しでも更に一緒に経験することをむしろ誇りに思った。強大な公権力の迫害にもかかわらず、その惨憺たる受難を堂々と克服し勝利できたのには、そのような食口のみ旨に対する堅固な信仰が存在していた。
さらにその当時、大邱と釜山に来ていた鉄山の聖主教団の家族たちは「淫乱集団」という新聞報道を見て、「いよいよ再臨主が来られた」と考え、統一教会に自ら入教して真のお父様を再臨主様と侍った。金聖道おばあさんが「淫乱集団で有名なところなら訪ねてみなさい」という遺言があったためだった。これは聖主教団が神の根本摂理の内容を知っていたということだ。
そんな中、真のお母様は、まだ幼い学生として、反対勢力によって操作され流布された噂を4年間疑いもなくそのまま信じたと話される。それに聖婚以後も特に態度の変化なしに、その噂の内容を胸に深く抱いて50年以上の歳月を耐えてこられたということだ。
大多数の食口が、み旨を中心にすべての状況を理解し、一致団結して戦っていくその時代に、真のお母様はそうだったということだ。当時、真のお母様の番人となった伝説的信仰の手本である洪順愛大母様と趙元模外祖母は、真のお母様に一体何を教えられたのか。彼女らは聖主教団に8年以上出入りしながら再臨信仰をして来られたが、金聖道おばあさんに何を学ばれたのだろうか。
いずれにせよ、崔先吉女史や金明熙女史、韓鶴子真のお母様のすべてが、第3次アダムとして来られた独生子真のお父様の前に、同等の価値で、それぞれ予備された相対者として自己の責任分担の遂行を前提に召命された方々だ。真のお母様は、前のお二人が犠牲になった血の滲んだ歴史の土台の上に立たれて、最終的な責任遂行を通じて今日の地位に至られたのである。したがって摂理史の正しい理解のためには、その苦難の過程に潜む心情的な事情と曲折を推し量る公的態度が要求される。
真のお父様はこのように警告のみ言葉を残された。
「お母さんを中心にしてもそうじゃないですか。下手すると3時代お母さんを選ぶのです。再臨主が3時代圏内まで行くのです。旧約時代、新約時代、成約時代、お母さんが3回裂かれやすいということです。こんな話をするのは、お母さんがしっかりしなければならないということです。お母さんの好きなようにすると、そんなことが起こるということです。国を建てて憲法を立てる時、問題になってはいけないということです。そういうことを予想しながら、お母さんに対して私が注意してきたのです。お母さんは私に対して注意しないが、私はお母さんに対して注意しようと思います。お母さんをもう一度立てるのがどれだけ大変ですか。そうするには、祝福家庭を全部掃いてしまわなければなりません」
人間責任分担遂行の課題は、真のお母様だからといって例外ではなく、むしろその重大さが一番大きい方である。そのような理由で、金苑長が聖婚以前の真のお父様の結婚問題をかけて、真のお父様の資格云々というのは、本質的な心情史観と責任分担の原理とはかけ離れた詭弁に過ぎない。これは終始一貫して真のお父様の内的摂理の行跡に深い疑問と疑いを抱いてこられ、如何なる肯定的解決もできなかった真のお母様の観点がそのまま反映されたものだ。とても残念で悲しいことと言わざるを得ない。
真のお父様が聖和されてから10年経った今になって、その疑いの包みを解き放たれて「非原理的尻尾」云々と言って、あらゆる恥をさらしている真のお母様の姿。それなら、むしろその時勇断を下して真のお父様の側を離れられたなら、今日の不幸な事態はなかったのではなかろうか。それが何なのかは分からないが、どうにか解決して差し上げなければならないと決心され、真の父母の責任を洗い流すと決心されたとして、今になってどうしてこのようなやり方の前後矛盾した、慌てうろたえた解決策を出されるというのか。
金苑長はこのように話した。
「今まで私たちは、お父様が堕落した女性の中で一人の女性を選び、7年間お父様がお母様を教育し、再創造すると教育を受けてきた。しかしそうではないということに気づくようになる」
しかし、真のお父様はこう語られた。
「16歳の時、神様との関係が切れたのを、16歳以上で来て、未婚の男として来て再び思春期時代を経て、この地上に聖者の位置では聖人の女はいません。千人の男の中で一人の男は得ましたが、千人の女の中で一人の女を見つけられなかったと言ったのです。それを誰が作らなければなりませんか。アダムが失ったのでアダムが探して育てなければなりません。うちのお母さんもそうです。育てなければなりません」
しかし真のお母様は、真のお父様をはじめ、誰からも学んだことがなく、ひたすら一人で悟って成長されて完成された方だと明らかにされた。もっとも初臨独生女という歪曲されたアイデンティティ認識と「再臨主の非原理的サタンの讒訴条件」を認定していることを考慮すると、このようにしか、他に何を語ることができるだろうか。どうしてそんなにも敵に対するように、徹底的に真のお父様の観点に正面から対抗する意見だけを出すことができるのだろうか。同床異夢で、別の考えを抱いた妻を一生そばに置いて、真の愛の理想家庭を夢見られた真のお父様の過去の歳月はどんな日々だったのか。まったく計り知れない。
このような情況が表現された真のお父様のみ言葉は、数え切れないほど残っている。いくつかだけ転記する。
「父母様が一番仲が良く関係が良いと言いますが、先生が仲良く創造していくことをお母さんは知りません。それが創造の面白さです。ただ死にそうに荷物をまとめて飛び出していきそうな様子なのですが、『どこに何時間行くのか見てみよう』とそっと見守っているのです」
「先生も満17歳の娘のようだった女性を連れてきて、天宙の母になれるように導くことが簡単ではありませんでした。若い女性なので欲も多かったので。青春がはかなく流れていくと残念がっていました。それでおじいさんのような夫がぶつぶつ言うと逃げました。そのようなことがないわけがありませんでした」
「お母さんがおとなしいお母さんだと思いますか。女性は同じです。女性は全く同じです。みんな同じです。ありとあらゆることがあります。知っていても知らないふりをして、頭があることも平地のように考えていくことです。それを超えなければ穴があきます。モグラの形に穴を開けて私の行く手にもやってきます。女性たちのせいで私がどれだけ苦労したかわかりません」
そのような中でも、真のお父様は、真のお母様を完全な位置に立たせるための苦労と努力を一生やめられなかったと考えられる。次のみ言葉を見てみよう。
「いくら絶対的な神様だとしても、お母さんの基準を安着させることができなければ、地上世界はサタンの主管を受けることになっています。神様の前において個人から天宙まで、歴史の最初から最後までお母さんの道が愛を中心に平坦でなければなりません」
「お母さん解放、お母さんを育てて解放するために出てきましたが、これはどれくらいですか。58年が過ぎました。40年が過ぎたのです。お母さん一人世の中で育てるのがどれほど大変かわかりません。だから妖しい女性たちのすべての傷を私がすべてカバーしてあげなければなりません。カバーして、そのテント、カバーしたものに刺やら何やらつんつんと出たものがなくなったその道を、裸足で走っても血が出ないように包みかぶせて育ててきたのです」
「お母さんを育てるのが簡単だと思いますか。それでは、皆さんがお母さんと言うときは、お母さんを育てるのに苦労したおじいさんの頭が白に映るようになる時は、苦労した神様の代わりに侍ることのできる心の準備をしなければならないのが、あちこちの世界のどこにでも住む女性たちがしなければならないことではないですか。お母さんを持たせたからです。お母さんをお母さんらしく育てておいたので、よくやった夫ですか。だめな夫ですか」
しかし金苑長の話によると、真のお母様は、このような驚愕を禁じ得ない告白までされた。
「再臨された立場で尻尾のあるお父様に、初臨として尻尾のない個性完成した新婦の立場にあるお母様が敬拝をするということが原理に合うのかと反問された。原理的に見ても、お母様がお父様に敬拝をすることができるかということだ。私たちは全て見てきたが、実は原理原則的にも合わないという本質を知らなければならない。むしろ天の立場から見ると、お母様がサタンの条件がない初臨でずっと完成した新婦なのに、どうしてお母様が50年間お父様に敬拝しなければならないのか。それをお母様は何度も話したいと思ったが、話すことができなかったと言った」
実に驚くべきことだ。ここまでくると、真のお母様が「初臨の独生女」とあれほど粘り強く主張した深い内心がそのまま現れたということになる。再臨の独生子の上位に立ちたいということだ。
1、2年ではなく50年の歳月の間、大衆の前で心にもない敬拝ショーを演技されたということなのか。今日のこのひと時のために、多くの忍苦の時間に耐えながら、夫のカリスマに押されて身動きも取れず、その前に頭を下げる服従と従順の真似をしながら、真の母という地位を手放せなかったのだろうか。それでは、私たちすべての食口は、その偽りの敬拝ショーをする方の前で、億万歳万寿無窮を願い、涙ぐましく侍り、礼を捧げて来たのだろうか。
続いて金苑長の証言だ。
「お母様は53年間、とてもつらく困難な道のりだった。それを我慢して待ってきたのは、ひたすら天の父母様の事情を知っているからだった。天の父母様の事情を知り、天の父母様に誓った約束の基準があるので、辛くても50年以上我慢して耐えてきたと話した。それ自体が奇跡だと感じた」
その天の父母様の事情とは何であり、天の父母様に誓った約束の基準とは何だったのだろうか。50年以上耐えてきた「奇跡」を起こした究極の目標は何なのか。
真のお母様は、そのように我慢して耐えながら、つらく困難だった道のりが、すべて真のお父様のせいだったという被害意識がかなり強いように思われる。もちろん、長年耐えてきた苦労と事情の深さを誰が測ることができるだろうか。それでも皆が、真のお母様はそのすべての苦渋と苦難を賢く消化し、肯定的に解消してこられたと認識していた。しかしそんな気配はみえない。ひたすら恨みに満ちた心情で、長く我慢して待ってきたという事実だけを少なくとも10年間訴えておられる。このようなやり方で真のお父様の位相と偉業を卑下し、傷つける一連の報復が、最後に試みようとされたことだったのだろうか。
金苑長はこのように力説した。
「イエス様がされようとした最も重要なことは、独生女に会って、子羊の婚宴をすることだった。そのような次元で見ると、独生女の本質、お母様の本質的な役割と理想とその価値をお父様がその当時正しく話されたら良かったのに、それが残念だ。再臨主は、独生女に会ってこそ使命を果たすことができる。53年間我慢されてきたが、今の時を知って私たちに注文してくださったお母様を思うと、何が奇跡だろうか。まさにお母様がこの時期に出してくださったことが奇跡だと言える。お母様は天の父母様の実体なので、人間的な考えで判断して天のみ旨に逆行する誤りを犯してはならない」
独生女とは、こんなに自負心を持った方なのか。その上、そのような独生女の独歩的威勢を背に受けた金苑長は、おべっかの極致点で聴衆に向かって「み旨を逆行しかねない誤りを犯すな」と強い訓戒まで添えているので、本当に見苦しい。
さらに、このような言葉も付け加えた。
「お母様のおっしゃるみ言葉をよく見てほしい。原稿もなくそんなに長くないみ言葉で、明確な目的に向かって下さるみ言葉であることを感じることができる。『どうしてそのように前後左右が明確になるのか』と尋ねたところ、『私は本来の原則である本然の人生に向かって生きてきたためだ』と答えられた。お父様には多くの困難があるが、独生女の基準で、その問題も解かなければならない。そうでなければ基準がないのにどうやって解くのか。世の中の人々が認めることができる道は何か。お母様を通じてそのような困難を解決するのだ。
独生女について、これ以上語らないでほしいという方もいると聞いている。しかし独生女の中には根本が入っており、本質的な天の父母様の夢と希望があるということを知らなければならない。実体聖霊独生女の真のお母様を直接的に体恤し、体験し実感しなければならない」
全く誤りのない独生女万能主義の解決策だ。金苑長はこのように言葉を続けた。
「お母様が残念なことを何度もお話しされた。『お父様の聖和以後、世の中にもないことが真の父母様の家庭で起こるのか。だから私は恥ずかしくて生きていけない。私が世の中を見るにとても恥ずかしい』そんな話を何度も聞いた。お父様が全体を主管され、強いカリスマを持ってなさるので、お父様が独生女の本質とお母様の本質的使命と価値を、ご子女様たちに丁寧に繰り返し理解できるように教育してくださったら、私がここまで苦労しなくてもいいのに、私がとても大変だとおっしゃった」
真の家庭の分裂の原因を、真のお父様が独生女教育をきちんとできなかったためだと言い張られる様子である。子女教育は一般的に母親が主導しないだろうか。ましてや「非原理的尻尾」がある真のお父様が、どうして完全無欠な原理的存在である独生女の本質と価値を教育するだろうか。それは独生女自身だけができる固有の領域だろう。
かつて子女教育問題に関して、真のお父様はこのように整理してくださった。それを見ると、真のお母様の理解は、真のお父様の観点と全く相反することを確認することになる。
「堕落していない本然の来られる再臨主である夫の教育を受けたお母さんが、息子娘と一つになった基準でカインを教育するのです。教育して、行く道がどうだということを教えることで、カインが屈服せざるを得ません。屈服とは何か。祝福を受ける道が開かれるのです」
「これから夫を、息子を、自分より大事に考えなければなりません。お母さんがそうでなくては、お母さんの本来の位置に戻れません。神様の息子を無視して、神様の息子を通じた夫を無視してはいけません。その夫が父になり、その父が祖父になり、その父が天国の王になるのです。全部台無しにしておいたのが女だというのです」
「お母さんは息子娘をもう一度産むのです。お父さんから種をもらって、お母さんが血肉を分けてあげるのです。ですから絶対に息子娘を教育しなければなりません。家庭の堕落の原因や家庭の破壊の原因、このようなすべての混乱した原因は、お母さんが正さなければなりません。赤ん坊は精子を一つもらって、卵子と合わせてポケットに入り、お母さんのすべての血肉を受けるのです」
金苑長は、真のお母様の深い意中をこのように伝えた。
「一つの人類大家族を私たちが作らなければならないが、一日でも早く真の父母の良くない尻尾を、サタンが讒訴する尻尾を、私たちが整理しなければならない。お父様が基元節を前に聖和された内容も、そのような深い内容が土台にある。天の父母様が原理原則なので、本当に天の父母様の前ではサタンの讒訴条件があってはならない。その基準で聖和についても理解しなければならない」
初臨の独生女の過度な自尊心と優越感は、ついに再臨の独生子の最後の聖和問題にまで及び、剖棺斬屍(ぼうかんざんし:既に死んだ人間の罪を問い、墓を暴いて屍を斬り刻む)するように故人の一生とその偉業を粉々にしている。これは亡くなった方に対する最小限の道理も喪失した深刻な名誉毀損であり、人格殺人と言わざるを得ない。ここまで来ると、真のお父様本郷苑3年侍墓というのも見せかけの行為になってしまう。金苑長は、老年の認知症現象に近いそのような発言を、刺激なく説明しようとする何の努力もせず、まるで自分の言葉のように聴衆に相次いで話した。
「真の父母が尻尾を付けて、どうやって人類を祝福し、人類天宙大家族を語ることができるだろうか。私もとてもつらいとおっしゃった。今回の行事を通じて全て公開されたが、その方々が、今はお父様とお母様について研究しているが、インターネットの資料が膨大なので、全て研究してセミナーをしているが、お母様も心配をかなりされている。攻撃されたらどうするか、そんな心配をされるのだ」
独生女の位相と普段の自尊心に釣り合わず、かなり緊張されている。そのように切らなければならない尻尾が多いのに、独生女一人で、どんな方法で天宙大家族を成されるというのだろうか。非原理的な尻尾のついた真のお父様と共にされた祝福が、本当にまともな祝福だと考えても良いのだろうか。世の中の人々でも、わざわざ自滅の道を自ら急いで進んでいる集団を、あえて攻撃するのにエネルギーを浪費するだろうか。
真のお父様は早くから、み言葉の中でこのように警告された。
「父の愛で血統が生ずるわけではありません。母一人でも血統は存続できません。血統の始まりは、母と父の2人が一つにならなければなりません。男性と女性の二人が一つになってこそ血統が生まれるのであり、一人では永遠に血統は生まれません」
「体と心が分かれて戦っているのに、血統が入ることはできますか。また女と男、夫と妻が喧嘩しているのに、そこに神様の血統が成り立たないのです。父母と子女が喧嘩しているところには連結できません。血統を中心として父子関係は成立しません」
神の真の愛を中心に、自分を低くし、相手を高め、互いに為に生きる伝統が、祝福家庭の血統を通じて継承できるのか、昨今の事態は疑問を抱かせている。これは世界各地の食口が、喪失感と嘆きと怒りを隠すことができず苦悩する理由だろう。
真のお母様は、根拠のない初臨の独生女の亡霊に捕らわれて、追い出した子供たちが、近いうちに手を挙げて、助けてくれと忍びこんでくると言われた。しかし、そんなことはありそうにない。そのような無理な期待は振り払って、真のお父様の生前に残された頼みのみ言葉を詳考されて、まず一家の慈愛に満ちた妻と母の位置を回復しなければならない。人類の中心軸である真の家庭の和合と定着に関する真のお母様の固有責任が履行されない限り、天一国の実現は夢そのものに過ぎないと考えられる。
まるで今日を予見するかのように、真のお父様は生前に、このような血のにじむ願いを残された。
「独裁性であれば独裁性が出てきます。ところが相対性を立てられなければ、独裁性は一人で孤独になり全部なくなります」
「父母の愛と生命と血統を中心として、父は骨と同じで、母は肉と同じです。それゆえに、父を尊敬せざるを得ません。家庭に入ってからは、父を、母から息子娘が尊重視しなければ、骨を折ってしまうのです」
「相対でないものはなくなります。相対圏内で愛というものをなくせば、血統が生まれないので家庭も出てこないし、氏族も出てこないし、民族・国家・世界も生まれません。愛を否定することは、この宇宙、天の国を否定することであり、神様を否定することであり、自分の国と自分の家庭全体を否定することです。愛のために生まれたのですが、その為に生きなければなりません」
4. 真のお父様の行跡を非原理的な尻尾と規定した問題
金振春苑長は講義中に「真のお父様は非原理的尻尾が多い」という言葉を数え切れないほど繰り返した。その一つの現象的態度だけを見ても、妄想障害やチック障害のように、相当な異常症状があるように見えるのに十分であった。講座の主な目標はそこにあり、反論の負担を軽減するための妙手として、韓半島サミットの奇跡を叫び、未来の天一国理想が盛り込まれた憲法というものを、雑多な画面構成で長々と付け加えて発表した。
その尻尾観と関連した豊かな言葉の饗宴の一部を無作為に要約してみると、こうなる。とてもうとましく退屈であるが、その実状を理解するために整理してみる。真のお母様のみ言葉を伝えた金苑長の言葉だ。
「真の父母様の尻尾がついてまわるのが残念だ。尻尾は主にお父様に関する尻尾だ。世の中の人たちが多く注目している内容だ。お母様には讒訴条件が見つけようとしても見つからないのだが、お父様にはある。どうやって、この尻尾を整理することができるか。どうすれば、世間のマスコミや世間から真のお父様についてまわる尻尾を切ることができるか。インターネットなどからきれいに消すことができないだろうか。
来年、天一聖殿天苑宮天の父母様聖殿を奉献する前に、お父様に付いた尻尾を整理しなければならない。お父様の聖婚以前の尻尾、その後の尻尾をきれいに整理できないだろうか。蕩減条件が必要ない本然の状態と価値、お父様とお母様の立場でもきれいに整理されてこそ、完全な始祖になる。来年、本当に欠点がなく問題点がない場で、天の父母様をお迎えしたいと言った。個人的にも家庭的に傷のないきれいな姿で、天一聖殿を受け入れなければならない。そうでない状態で、天の父母様が臨まれるかということだ。
この期間を通じて、きれいに整理してお父様を解放して差し上げよう。聖婚以前の内容もサタンの讒訴条件であり、聖婚以後にあった様々な内容がすべてサタンの讒訴条件となる。これをどうやってでも拭き取らなければ、お父様も自由になれないのだ。頻繁に霊界で多くの讒訴があるので、お父様もとても苦しまれるということだ。そんなことで苦しんでおられるお父様を解放して差し上げなければならない。これ以上、お父様の尻尾がついていることがないように解放するのだ。欠点のないお父様、清いお父様、完全なお父様として解放して差し上げなければならないのではないかということだ。
お父様が生存していらっしゃるなら、誰がお父様にそのような尻尾に対して聞くことができるだろうか。むしろ天上のお父様に聞くのが、より簡単かもしれない。「霊界にいらっしゃるお父様が私たちをどうぞ助けてください。どうすれば、真の父母の尻尾を整理できるだろうか」と今回の特別精誠期間に祈りながら、叫びながら、身もだえしてくださいと言った。天心苑を通じて精誠を込めてでもしがみついて、天上にいらっしゃるお父様に伺ってでも、具体的な題名を持って切実に、昨日よりはもう少し深く絶叫してみたら良いという心情をお伝えする。
お父様を讒訴せざるを得ない部分に対して、私たちが解放解決して差し上げなければ、子孫万代にいつまでも傷にならざるを得ず、清らかではない私たちの共同体にならざるを得ない。もう天の前にこれ以上申し訳ないお父様になってはならない。お父様を解放して差し上げなけらばならず、救って差し上げなければならない。そして、お父様もそのように私たちを助けて下さるようにお願いしろということだ。
私たちが完全な天一国の民になるためには、傷のないきれいな立場に立たなければならない。真の父母様の家庭としても、讒訴条件を整理するために、今回の特別精誠が必要だ。皆さんが本当に新しく生まれ変わらなければならない。私たちにもサタンの讒訴の条件があってはならない。私たちの指導者たちの胸の中にしこりを抱いて今まで来たことに胸が痛むが、今はその内容を打ち明けてほしい。良くないしこりの部分をすべて下ろすことができなければならない。正面から向き合い、堂々と理解し説得することが必要だ。
お父様の聖婚以前の尻尾、聖婚以後について回る真実の尻尾を私たちの中でも伏せて黙認して来ており、私たちの2世3世たちも、皆知っていながら伏せて生きている。具体的な内容を原理的に誰でも認めることができるように、私たちが完全に精誠を込めて整理できればと思う。お父様がどこにも引っかからないように解放して差し上げ、自由にして差し上げるのが真の孝子の道だ。お父様が影がないようにして差し上げるのが子女となる道理だと思う。2世3世たちが全く気にならないようにすることが、私たちの使命であり責任だ」
真のお母様は何の讒訴条件もない完全な体なのに、真のお父様は、切って整理しなければならない残念な尻尾を持った方だということだ。それは世の中の人々が注目し、霊界でも讒訴する尻尾だということだ。ところが、これまで内部的にもその尻尾を原理的に誰も認めるように整理する考えができず、皆知っていながらも伏せて黙認しながら過ごしてきたという。2世3世までぐらつかせながら、その尻尾を切って差し上げることが、真のお父様に影のない解放と自由を与えて差し上げる孝行だと力説する。
しかし、真のお父様に非原理的な尻尾があり、影があると考えながら、統一家を離れずに残って隠して黙認してきた人は誰か。おそらく、金苑長自身だけではないかと思う。そうでなければ、そのような評価と判断を金苑長に引き継がれた真のお母様だけではないかと思う。そのように、霊界と世の中を最もよく知っておられる当事者たちが整理して差し上げなければ、誰に任せるのだろうか。
いずれにせよ、金苑長が終始疑問を抱いて問題視する、いわゆる尻尾と称する真のお父様の行跡の内容は、例外なく神の摂理完成のための過程で必須的に要求された摂理的意味を持つ聖業に該当する。聖婚以前であれ以後であれ、真のお父様が行われたすべてのことには、必ず深い摂理的理由と意図がある。ところが、どうしてそれを数十、数百回繰り返して尻尾と規定するのか。今回の講座で、金苑長自身が尻尾という言葉を何回言ったか、算法学者として数えてみてほしい。
このぐらいにして、参考に真のお母様と金苑長が、ともに疑問を持つ真のお父様の根本摂理で、基礎的な事実のいくつかを真のお父様のみ言葉によって簡略に概観してみることにしよう。
本来、再臨主は、女性神霊集団と縁のある3時代の女性の協力で聖婚してこそ、旧約・新約・成約時代の新婦圏がつながり、父母圏定着時代に入ると言われた。真のお父様はアダム家庭・イエス家庭・再臨主家庭の妻の立場である3人の女性と真のお父様の前に一人のカインを蕩減復帰しなければならない。
最初、韓国光復直後、イエス教イスラエル修道院で文聖進様の生母・崔氏を中心に、金百文氏と3人の女性に関する摂理があったが、彼らの不信によって挫折した。その後、平壌摂理で金元弼氏とエホバの夫人朴おばあさんなど3人の女性がその基台を復帰できず、池承道おばあさんなど3人の女性食口が使命を代身した。そして、韓国摂理ではソウルで、崔聖模氏の次男・崔スングァン氏を中心として、その母・李得三氏と二人の姉妹の崔淳実・崔淳華氏など3人の女性復帰摂理があった。これは家庭単位の復帰モデルを国家レベルにつなげようとする基礎基盤だった。
これに関連する真のお父様のみ言葉の一部を挙げると、こうである。
「3人の娘と息子1人の四位基台です。先生の代わりに息子になれる一人と三人の女、三人の女の失敗ではないですか。アダム家庭の妻、イエス家庭の妻、再臨主家庭の妻で3人の娘、この3代が引っ掛かっていきます。このような問題が起こります。3代が反対したことをもって、一時代において蕩減復帰できるのです。崔聖模になったので、その息子・崔スンヨンの弟・崔スングァンと母と2人の娘です。一人の息子と3人の女性を中心として完全にそのまま父親だけがひとつになればアダム時代・イエス時代・再臨主時代を一度に蕩減をすべてするのです。それで次男が今、崔スンヨンの財産、朴大統領を中心として、生命保険とか、すべての経済権を崔聖模が管理してきたのです。これが第2次の失敗です。崔氏です。朴氏、崔氏、その次に韓氏です」
「得三氏がお母さんです。それで統一教会の熱心分子なので、私が自分の夫に会ってみて、自分の息子娘に会い、その家にも何度も行きました。それで行く時は、統一教会の、まあ、こうした人たちがお母さんと一つになったら…崔スングァンという次男がいるじゃないですか。そして、2人の娘がいたのですが、そうしたら完全に家庭的にすべて来ることができました。世の中の天の国を正すためのその基礎が、すべて最高の家庭が越えてこなければなりません。妻から息子、息子は次男。だから娘たちが来なければなりません。二つの世界の娘、三人の娘までも来なければなりません。それで、朴おばあさんも娘が6人で、息子が4人でした。再臨主が第3次再臨主ではありません。1960年以降、第4次再臨時代を迎えました。日付を中心として1952年になるのがどれだけ延長しましたか。50年以上過ぎました」
「本来は、得三氏の墓も、私たちの原殿に持って来て侍らなければなりません。そうなると、その娘たちもみんな飛んでいってしまいます。蕩減復帰が怖いのです。話を聞いてみたらそうでしょう。その次は政界、学者圏、その次は兄弟を立てていかなければなりません。お母さんも全部忘れたことでしょう。なぜそうしなければならないか。天の前に反対になるのは、そのような反対する立場で自然に訪ねてくるべきです。訪ねてきた人々は、死ななければ反対して行くのです。死ななかった人々、通り過ぎたことは、これから私が許してあげなければなりません」
真の父母様の家庭とは、本来サタン主管の人類血統と環境各8段階を復帰する公的責任を負って出発した。真の父母様の家庭が本来の創造原理の道だけを行くことができない深い悲しみと喜びがここにある。特に縦的摂理史に宿ったさまざまな怨恨の事情を清算して、復帰モデルを確立しようとする摂理は、1968年の神の日宣布の時まで、少なくとも7年路程で行われた。これは1945年の韓国光復直後、摂理から言えば21年の完成期の路程に該当する。そうした7年路程で家庭的モデルを定着させ、国または世界に進まれる摂理上に崔淳華氏の息子・朴サムエルもいる。
これと関連した真のお父様のみ言葉を挙げると、こうである。
「先生は、愛の道をいい加減に扱いませんでした。皆さんが神様の前に出るには、この世界で条件に引っかかってはいけません。7年間、ありとあらゆる路程を経ても引っかかってはいけません。神様の前にそこに解放された基準で、神の日、子女の日、万物の日…それが1969年まで、1970年を超えるまで伝統を立てなければなりません。それで、国家的基盤、世界的基盤、イエス様が国家的なものを越えて世界に出て行くことができる道を経て来ました」
「先生でいうと、父母の日、子女の日、万物の日、1960年から1968年の一日、神の日から始まりました。その時から絶対愛の時代に移ります。絶対愛圏です」
いずれにせよ、このような根本的な摂理基台は、真の父母様の家庭を中心にした8段階復帰摂理として総体的に実らなければならなかった。寄りによって文聖進様の母方は崔氏で、外祖母が韓氏だった。エホバの夫人朴おばあさんの夫も韓氏で、真のお母様の祖母も崔氏だった。真のお母様の三位基台基盤である信愛忠母様崔元福先生も崔氏だった。真のお母様の時まで崔氏、韓氏が寄りにもよって、色々な蕩減の因縁の中で、中心摂理に関連していた。このような一連の縁も、ある摂理的理由の必然性を伴っている。
サタンの血統の世界的秩序を正して天道を立てるには、真のお母様が12人の女性の協力を得なければならない。真のお母様を中心として、縦的3時代がそれぞれ横的に展開された立場の老年・中年・未婚の三位基台と霊界を代表する三位基台まで、12数の代表を編成して橋を架ける。十二支派、十二弟子、十二ヵ月を代表する女性たちが3段階ずつ四方に立って十二の真珠門を開き、真のお母様を敬い、犠牲にすることができる環境を造成した土台の上で、真のお母様の位置を設定した。
信愛忠母様崔元福先生などの三位基台、池承道おばあさんなどの三位基台が、縦的母の立場の洪順愛大母様と横的娘の立場の真のお母様の心情的足場にならなければならなかった。神とサタンと真のお父様だけが知っているこのような摂理的マリア格女性復帰原則の上に、母子協力のための3人の子女を祝福して立てることができる。真のお父様の骨髄を通じて勝利のナイロン縄、電波のような心情圏に沿って上がり、一番後ろには真のお母様を立てて、サタン世界の血統を切り、天の血統を連結する儀式がある。真のお父様はそのように僕の僕から、僕、養子、庶子、直系子女の名分を持って真のお母様を復帰し、様々な苦労の末に縦的原理基盤を築いて、誰も引っかからないようにしておいて、真の父母の名を公表された。
真のお父様はこう語られた。
「絶対愛を中心とした神様は、堕落したエバを抱くことのできる愛の道を永遠に見つけることはできません。これはメシヤを通じて探さなければなりません。体を通じて全て失ったので、偽りの愛をして偽りの父母になったので、体を通じて、愛の十字架上の数々な谷を泣きながら訪ねて行き、全て復帰しなければなりません。女王からおばあさん、お母さん、自分の相手、長女まで、女を全部愛の縄にかけてつなげなければなりません」
「アダム家庭以上、イエス以上、父母が心情的十字架を背負ったのです。イエスは肉的な十字架を背負って血を流しましたが、先生は肉的心情世界の血を流したのです。それで内面的心情的十字架を通りましたが、皆さんがすべての血統問題を中心として、汚したものを洗い切るためには、十字架の中の十字架を背負わなければならないのです」
「3代まで、8段階の過程を失ってしまいました。それを探すことのできることをしなければなりません。そこにみ旨に反することはあり得ません。み旨の伝統を立てるために、蘇生・長成・完成のそれを越えなければなりません。それが間違ったので、ひっくり返して連結しなければなりません」
「ヤコブ家庭でレアとラケルが姉妹争いをしたので、イエス様の時に母マリアが、いとこ姉妹であるエリサベツと一緒にイエス様の結婚相手を育て、姉妹の位置に立てなければならなかった。その時に成し遂げられなかった歴史を蕩減復帰するためには、おばあさん、お母さんが合わせて、レアとラケルの位置を取って、3代圏が信任しなければならない。趙元模おばあさんと洪順愛大母様は、ひたすら思い焦がれて会った天の愛の主人となられる真のお父様を天の新郎として侍った位置を真のお母様に完全に移譲した。大母様は、縦的な母の位置から横的にレアの立場を復帰した後、ラケルの立場の真のお母様を真のお父様の前に奉献し、真正の娘の位置に降りて来て、侍る道理を尽くさなければならなかった」
「このような摂理的な基盤で、真のお父様を慕い思慕するすべての女性の代表的資格者として立てた真のお母様は、誰よりも真のお父様を兄、婚約者、夫の立場で喜び、父、祖父、王として侍る道を行かれなければならなかった。宮中王室の王妃のように女性の花として嫉妬せず、他の女性たちを姉妹たちと考え、王后の地位に導かなければならなかった。したがって真のお母様は、愛の敵手を愛さなければならない公的責任を負うことになられる。それでそのような相手が蕩減の峠をすべて越えてから、人類の歴史に精魂を込めた聖人たちと祝福してあげ、子女がいない場合は養子も選んであげられた」
真のお父様は、そのような公式根本摂理プログラムを聖婚直後、真のお母様にすべて説明され、最初の約束通り忠男の道を進まれたと言った。真のお父様は、離婚もされ、色んな噂もあったが、ぞんざいに生きられなかった。神の血統は純情で純潔でなければならないので、真のお母様が忘れても最初の約束通りに正しい道を行かれ、正午定着された。1968年真の神の日を境界線として、龍が昇天するようにきれいに節操を守り、神の天道を連結しなければならなかった。傷がつく誤った行動をされたことがなく、天国の貴公子としてサタン世界の女性たちを救おうと天のプログラム通りに行動された。
次の真のお父様のみ言葉をよく見てみよう。
「お母さんに話した通り、間違いなく行くことです。いくら女がいても脇道を行ってはいけません。個人的な事情でそんなことは大丈夫? 違います。大統領は勝手に行動することができません。憲法があると同時に、憲法を通じた部署別の法を中心として、方向が12方向なら12方向に対して、それが完全にできる法になっていれば、各部署までも守らなければなりません。私はそうです」
「正道を進まなければならないのです、正道。お母さんに対してお父様もそうです。先生がこのように、このように行くとしたら、そのまま行くという通りに行くのであって、あれこれ言いませんでした。約束した通り行かなければなりません。お母さんは分からないでしょう、約束したことを。全部忘れてしまったでしょう。しかし、先生はその道を進んでいます。そのような原則によって神の日を策定しているのです」
かつて霊界の悪魔の巣窟が淫乱に根をおろし、その綱が何年引っ張っても先が出ないほど長い。真のお父様はそこで神が首を締められていることを知って、二度とつなげることができないように切り捨ててしまおうと決意された。涙の基盤を経て、女の涙の谷を埋め、男の欲望世界の塀をすべて壊して出てこられた。神の命令がない限り、何も行動されることができなかったし、なさりもしなかった。神を傷つけないようにどんな場合であれ、天敵の威信と体面を守り、み旨を尊んで来られた。
「真のお父様は、真のお母様を最初に祝福され、摂理の道を始めたので、そこでやり遂げなければならないといつもおっしゃった。そのような面で、真のお母様や至近で使命を持った女性たちは、真のお父様を尊敬せざるを得ない立場だった。真のお父様は誰でも勝手に接することができず、誰かをだまして行動されなかったからだ。真のお父様が女性たちを指導する過程で守ってきた純潔な血統は、伝統の根として神の王権樹立の核心価値となった」
金苑長は自ら、「月火水木金金金」と休みのない研究の中で、多様なみ言葉に触れ、「原理と摂理と生涯」で真の父母様の本質を理解すると自慢した。それでもその適用においては「非原理、反摂理、脱生涯」の観点で深刻な偏重と歪曲を繰り返した。先ほど概観した事実の中で、何かみ言葉の一つでも詳考したことがあり、講壇で紹介したことがあるか。ひたすら偏重した真のお母様のみ言葉の断片的なかけらを分別力なく盲信し、真のお父様の行跡に対して「サタンの讒訴条件」にひっかかったと話すことを躊躇しなかった。統一家の学者であれば、もはや度胸のある者ではないか。だから、米国や日本に行こうとするなら、刀で切られる覚悟をしろという公然の言葉があるのだ。
このようなみ言葉も厳重に考察してほしい。.
「ここに、お母さんの三位基台が必要です。お母さんのお母さんの三位基台も必要です。そうでなければ、帰る道がありません。堕落しない本然の位置を越える道がないではないですか。そんなことでああだこうだという女は、口を裂いて、舌を抜いてしまい、目を抜いてしまい、耳を全部壊してしまわなければなりません。怖く難しい天の秘密でした。それをすべて成し遂げたので、こういう話も教えてあげるのです」
金苑長が終始掲げたいくつかの公式というのは、自分勝手に立てた公式であり、それが原理やみ言葉に適した普遍的公式とは言えない。復帰原理という普遍原則のいくつかに基づいて分析したと言いながら、どうして真のお父様が主宰された摂理路程には復帰原理が何も適用されなかったのだろうか。もっともらしく列挙した分析の枠組みに復帰原理がどのように適用されたのか。尻尾という真のお母様の判断だけが一方的な物差しになって、すべての真実と事実を黙殺し歪曲してはいないか。
言葉では多様な見方で多様な状況を考慮して分析しなければならないとしながら、出した結論は非原理的な尻尾を規定したこと以外に何が残っているのか。真のお父様が夢に何度も自分を前に立たせて褒められる体験をしたという証言までしながら、故人を貶める不道徳の極致を見せた。
その上、摂理を知らない世人たちは、彼らの無知と不信のために、真のお父様の摂理的行跡について曲解し非難している。それなのに、統一家の最高学者という者が、どうして彼らの誤った歪曲に便乗して、徹底的に彼らの見方で真のお父様の行跡を罵倒できるのだろうか。そのような者がどのようにして、その尻尾というものをきれいに切り、解放と自由を捧げるというのだろうか。
次の真のお父様のみ言葉を考察してみよう。
「真の愛の神様は、失ったエバを実体的な体で接することができる道が永遠にあり得ません。しかし偽りの父アダムがこのようにしたので、真の父がこれを救援復帰するためには、その愛の十字架を負って、生死の境を隠しておかなければならない立場に立ったのです。真のお父様が引き受けたこの重大な天地の秘密倉庫を開く鍵を持っていることを知らなければなりません。誰も知りません。3段階を上がらなければなりません。それで統一教会の女たちは三位基台があります。このような意味で『先生が離婚した。絶対・唯一・不変・永遠の愛を主張するレバレント・ムーンはだから、詐欺だ』と言いますが、まあ詐欺だと言えるでしょう。しかし神様の側で見ると詐欺ではありません。伝統の中の伝統だということを知らなければなりません。そのようなサタンも話せず、神様も話せず、先生も話せないことを皆さんの口で評することは、完全に引っかかってしまいます。永遠の秩序を正さなければならない責任が先生の責任です。むやみに愛することはできません。だからといって女たちをいつもそんなに連れて愛することはできません。条件的な基準を超えなければなりません」
最も不正な金苑長の問題は、「完全な真のお母様と非原理的な真のお父様」のフレームで、二人を衝突させ仲を裂くことである。真のお母様がされた些細なことにも「びっくりした」「奇跡だ」と感嘆詞を連発しながら、真のお父様の行跡を語る時は、否定的な口調に急変するうわべを飾る態度だ。今まで自分の信仰の道で見たことのない最高の奇跡を成し遂げたのは真のお母様だとあらゆる美辞麗句を動員して、賛辞がやまなかった。そう言いながら、真のお父様には、否定的な問題だけを残した尻尾の付いた問題人物として、烙印を押そうとする意図は明白だ。
金苑長は、今回の特別講義がこれまでの疑問を解く時間となれば良いと言ったが、そのような疑いの種は、本人はもちろん、誰よりも真のお母様が抱いていらっしゃるという悲しい現実を赤裸々に伝えてくれた。大多数の食口は、真のお父様に侍り、み旨に従いながら、どんな事案であれ、私たちがまだ推し量れない天の隠れたみ旨があると確信して、心嬉しく前進して来た。それでも実際に、真のお父様と一心同体の基準で生涯を同伴してきたという真のお母様は、そのすべての偉業をすべて疑いの目で見つめながら、見せかけで同行したと告白された格好になってしまった。その長い歳月の間、偽善的な演技をしながら真のお父様に同伴してきたと吐露した結果になったのだ。
終わりに
真のお父様は、それほど大変な生涯路程においても、真のお母様の言行が真実ななものだと信じたかったし、またそのように信じられていたと思われる。そうしてでも成し遂げなければならない究極の摂理があったからだ。そのもの悲しく切ないみ言葉のうちの一つを挙げると、こうである。
「私たちのお母さんが立派なことは、先生の言葉を全部信じました。先生を絶対に信じて先生の言う通りに絶対順応しようとしたのが、お母さんの偉大なところです。数多くの女性が反対する位置ですが、それを消化して父として信じることができる娘の位置に行ったのです。復帰路程なので、娘として、父に傷があっても、自分が全て責任を負うと言うことができてこそ、エバは罪の根を絶つことができます」
真のお母様は、真のお父様が先頭に立って成し遂げられた基盤で暮らしながら、世の中の苦労を一人でされたように訴えられるが、身寄りがなく孤独な世の中を生きるのに大変でない人がどれほどいるだろうか。統一家の食口の中には、み旨のために献身し、財産を使い果たして、家族間でも口に出せない出来事を経験し、苦しくため息をつきながら持ちこたえている食口がどれほど多いことか、真のお母様はご存知だろうか。それによって、数多くの2世、3世がこの世の中に流れて行く現実をご存知だろうか。万人の母として、そのように痛ましい人生を生きていく家庭の事情を、少しでもくみ取られるならば、80歳を目前に控えた状況で、そのような駄々っ子のような泣き言や愚痴は、もう自制されるのが正しいと思われる。
そうした豊かな基盤を喜んで提供してくれた当事者を反対に卑下し、非難に専念する行為は、まさに恩知らずといえる。大会の席上では、真の愛と平和の原理を論じながら、後ろでは夫と子供たちを皆非難し、裁くことを繰り返されるなら、平和の母、統一の母として歴史に残ることができるだろうか。
韓半島サミットで真のお母様が新たに究明したと金苑長が強調するメッセージも、考えてみればすべて真のお父様が早くから明らかにしてくださった原理のみ言葉の語彙である。真のお母様自ら創り出された真理体系はどのようなものだろうか。10年間執着された独生女という言葉自体も、真のお父様が創り出した摂理の新造語である。そのように毎回真のお父様のものを借りて使う立場で、貸した方を下位に置いて、自分の独自性だけを表そうとすることが、どれほど望ましくない行動だろうか。
金苑長は、大いに興奮して、国内の各教団に行って講義することを夢見ていると話した。真のお父様の「非原理尻尾観」をこれからは外に出て流布するとは実にあきれたことだ。それならすぐ外に出て自力でやってみて、武勇談を報告してほしい。清平山中から一歩も外に出ず、井の中の蛙のように閉じこもり、世情に疎く、インターネットに流れる低級なチラシ情報に蜂の巣をつついたようなありさまではないだろうか。そのような浅はかな文書に惑わされ、まるで世の中が真のお父様を非難し、讒訴すると騒ぐ者が、統一家の現教育現場を代表するとは心苦しい。
真のお父様の生前に、天一国完成の最後の道を毀損するために行った不適切なことが山ほどある。真のお父様の聖和の直接的な原因は、内部の争いと恥ずかしい法廷訴訟、それによる基元節の基礎基盤摂理の座礁にある。そのすべての分裂と決裂の中心に立って、真のお父様の聖和の原因まで、真のお父様の尻尾問題に根拠を置くことは正しくない。
真のお父様が亡くなられて10年になるまで、真のお母様は子女たちと法廷闘争で自ら証言台に立たれ、残酷な姿をいまだ見せていらっしゃる。さらに子女たちからは、バビロンの淫婦などと口にできないほどの恥辱的な言葉で讒訴されている。それこそ最も生々しい尻尾行動でなくて何だろうか。その尻尾をどうなさるつもりか、お伺いせざるを得ない。
真のお母様は早くから、文聖進様の生母と文喜進様の生母のためにも、人知れぬ献身的な後押しをされてきた。そのような真のお母様の姿に、誰よりも感動し感謝されていた方がまさに真のお父様でいらっしゃった。真のお父様の摂理路程で生まれた、それぞれ母が異なる子女たちも勝利された真のお母様の真の愛の懐に抱かれる時、そのすべての苦労と曲折の歴史は美しい結実を収めることができる。敵対して解決する問題は世の中にはない。ただ真の愛の答えだけがその「尻尾」というものも切り離し、永遠の解放と自由に至る唯一の解決策である。このようにして切り離し、あのようにして切り離す、引き裂く方法で最後は誰と一緒に真の家庭理想の花を咲かせようとされるのだろうか。
真のお父様はこうおっしゃった。
「もう真の父母以外には他の話をするな。メシヤも何も、救世主も何も、再臨主も何も、全部古くなった糞をして臭いをさせる名前です。真の父母一つしかありません。メシヤが来て活動すればいいですか。民族を解恨するための供え物です」
「救世主も偽物です、メシヤも偽物です、再臨主も偽物です、真の父母だけが本物です。真の父母だけが!神様の愛と生命と結びついた血統を持つその父母だから、真の父母です」
「真の父母一つが必要なのに、ごちゃごちゃしたものが4つもついています。救世主、メシヤ、再臨主、真の父母までの4つが必要ありません。堕落と縁のない解放的な真の父母だけが、この4つを全て消化することができます」
真のお父様はそのように、メシヤだの、救世主だの、再臨主だのという旧時代の語彙を捨てて、ひたすら真の父母の名前を前面に出して行きなさいと促された。独生子・独生女という言葉も同じだ。そうした中で、初臨だとか再臨だとかいう争いは一体、何か。
真のお父様は、このように大切なみ言葉を残してくださった。
「神様が、その家庭に臨在されるようになるというのが原理の根本的な精神です。その家庭は祝福中心家庭として立っていますが、祝福中心家庭というのは、神様の助けも、メシヤの助けも、真の父母の助けもなく完成した立場で毎日の生活を報告するのです。祈りという言葉は、蕩減復帰のあるところで言う言葉で、それを越えた人には蕩減復帰とか、祈るとか、切に願うというそんな立場ではないということです。神様と共に生きていくその家庭は、神様の前で毎日報告の生活です。何でも生きているものは成長しなければなりません。止まったら大変なことになります。一瞬、1秒間でも成長するようになっています」
「神様がいなくても、祝福中心家庭は神様の代身として行かなければならず、メシヤの代身、真の父母の代身として行かなければなりません。神様、メシヤ、救世主、宗教すべて必要ありません。宗教がすべてなくなります。すべての宗教の究極的な目的は家庭の完成です。国家ではありません。最初の出発点は家庭です。そのような家庭が集まって国を成すのです。それが神学の結論です」
真のお父様は、祝福中心家庭にはメシヤ、真の父母、ひいては神の助けさえ必要なく、むしろその位相と価値を代身した自律的実績の人生を生きるよう相続してくださった。このような時に、過度に偏重する垂直的集団主義の目印である歪曲された「新独生女論」は、摂理をあまりにも遥か遠くに逆戻りさせる退行現象を引き起こしている。今私たちは、神と真の父母の名前を代身して、その方々の長年の夢を私たち自身の人生の中で共に協力して成し遂げる道を進まなければならない。
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