パシセラブログの管理者より記事引用の許可を頂きました。過去記事の中からお父様聖和後の清平プロジェクトに関係する記事を選んで掲載します。これを読むと「石像」は、清平プロジェクトの一環としてかなり以前から計画されていたのではないか、という疑問が湧いてきました。
凱旋門は天国の入り口。出迎えたミリタリー服を着ている人物は天国の守備兵という設定ではないかと思います。

ここからパシセラブログ
笑えない清平の話

原理講論の中の創造・堕落・復帰の話の中で、最も記述が不足しているのは創造原理です。統一教会においては、創造原理の内容が理解がされたかどうかの基準を「メシアが自分に必要であり」「誰がメシアであるか判断できる点」に置いているのを見ました。原理講論の中では、復帰原理の内容、特にアベル・カインの話が最も強調され「アベルを信じる。メシアを信じる」という教育が繰り返されるのを見ました。講師と呼ばれる人の中では、復帰摂理、特に、文先生が統一教会を設立した後の第二次摂理のことをどれくらい詳しく知っているかが高く評価されるのも見ました。この理解の仕方と教育には大きな問題があります。

私は統一教会の組織の中で「神様との直接的関係を求めるのは堕落性である。サタンがそうだった。私はアベルのために必死なのだ。あなたもそうあるべきだ」と真剣に叱られたこともあります。これは今では笑える話ですが、笑えない話もあります。

例えば、統一教会で今も強く推し進められている清平の聖地建設プロジェクトです。統一教会ではこれを、国家復帰のためであると教会員に教えています。清平での初期の建設が進んでいた頃統一教会では、清平のことを「バチカンのように」と言っていたのを聞きましたが、これは清平がバチカン市国のように国際法上の主権国家として認められるのを願っているのでしょうか?清平の聖地が完成したとして、それで神様の創造の目的を達成することができるのでしょうか?神様の創造の原理に、巨大な聖地の建物を作ることが目的である、という話がどこにあるでしょうか?

過去2000年の摂理はキリスト教を中心としたものだったし、統一教会のリーダーたちはキリスト教をモデルとして考えた人たちが多くいたので、バチカン市国のようなところをモデルとするような考えも、人間の考えとしてはあり得ることです。でも、神様はバチカン市国の代わりになるような聖地をまず作って欲しいと願っているでしょうか?
他宗教においても、自分たちを独立国家のようにみなすようになって、狂ったことをした例があります。銃を持つようになったりするのも、宗教団体の役職に大臣の呼称を使ったりするのも、考えられない間違いをするようになる例です。

統一教会では清平の建設を、文先生ができなかったことをする事業であると教えています。しかし、どんなに立派な統一教会の聖地が清平に建設されたとしても、神様の目的が実現することにはならないし、文先生ができなかったことまで成し遂げたことにはなりません。もしも清平の建設が、文先生ができなかったことまで成し遂げる大事業だと言うのなら、清平の建設が始まる前までの文先生の生涯は何を意味するのでしょうか?自叙伝において、私の生涯は清平の建設に至ることであった、とあるでしょうか?あるいは、清平を通して人々の先祖解怨をすることであった、と書いているでしょうか?

統一教会では清平を、天国に至る門であるかのように教え、善霊が訪れて働く場所であると教えています。本当でしょうか?善霊とは、神様と神様の側にいる善霊人と天使を総称するものです。でも、悪霊も善霊のふりをしてだまそうとします。どのように見分けるのでしょうか?それは原理によって、でしょう?神様には目的と理想があります。それを決して変えることはありません。そして、神様には決して無視できない、御自身が立てた創造の原理があります。そこには、長子権と血統の原理が含まれています。これを決して無視することはできません。統一教会の問題は、この長子権と血統の原理を完全に無視して、主管性転倒を様々なレベルでしたところにあります。これはいずれもっとはっきりと書きますけれども、そのような統一教会が進める清平プロジェクトが、天国に至る門になり、善霊が訪れて働く場所となることはできるはずがありません。もしも「清平、清平」と借金を背負ってまでも献金を進めるのなら、社会からの非難も継続し、子供達の多くは親を理解できずに離れ、統一教会における血統は一代で終わるようになるのが予想されます。それが、善霊が働いた結果と呼べるものになる道でしょうか?

統一教会における血統転換の話とか、復帰摂理の話は人々にアピールしやすい内容があります。それは「あなたが救われる、あなたの先祖が救われる、天国に行けるようになる」という話ができるからです。統一教会はこのアプローチを多用してきました。宗教団体としては運営しやすいやり方です。

走り出した列車を止めるのが難しいように、統一教会という列車を止めるのも難しいことです。でも、その列車がどこに行くのかを知る必要があります。分かったら飛び降りる必要もあります。
降りてどこに行くのでしょうか?神様の創造目的を実現するところです。その中心は、神様の理想家庭です。創造原理に基づいたら可能になります。それは、統一教会がいま教えていることとは違います。本物の笑顔と喜びが可能になる世界です。
統一教会では「お父様、お父様」と呼んでいますが、統一教会を見ながら、文先生は喜んでいるでしょうか?晩年の時期に起きた、あまりにも大きな混乱がそのまま地上に残っていることに対して、私のようなものが全ての責任を持つこともできなければ、そのようなことを天から期待されているとも思いません。天から見てあまりにも重荷なことが明らかです。でも、実子である長男を見習うことはできます。「私が成し遂げます」と慰めながら涙する姿から見習うことはできます。元殿を共に訪ねて、その場で感じる霊界は、統一教会で教えているものとは違います。

カテゴリー: 原理的観点

2件のコメント

· 2020年10月13日 5:03 AM

このコメントにはその通りと思えるところが幾つかあります。そこで質問があります。真の子女様の多くが堕落してますが、それでも神の血統として生まれたんだ。と信じていますか?

    daichi · 2020年10月13日 9:39 PM

    近さん

    コメントありがとうございます。
    お父様聖和後の摂理の混乱の大きさを見れば、お父様は本当に神の血統だったのか?という問いかけが心の中に浮かんでくる方がいるのも、無理からぬことかも知れません。しかし私はお父様は神の血統を持ってこられた方であることを信じることができます。

    ちなみに近さんが今回の記事に関して、「その通りと思えるところ」を教えていただけると助かります。

    神の血統に生まれたアダムとエバも堕落したのですから、神の血統に生まれた方が堕落するというのはあり得ることだと思います。
    神の血統に生まれたとしても、結局は責任分担を果たすかどうかがその人物を決定するはずです。

    特に真の母を探す摂理は困難を極め、お父様が歩まれた茨の道について行かなければならなかったお母様の道もまた、茨の道だったはずです。夫婦が一体化することも、かなり困難だったことでしょう。

    一般の家庭とは事情が異なる面もあるとはいえ、真の子女様たちにとっての家庭環境、あるいは権謀術数のうずまくイーストガーデンの環境は、決して理想的なものではなかったようです。そういう意味で、神の血統に生まれたとしても、正しく成長し責任分担を果たしていくことが難しい生育環境だったと言えると思います。

    しかし、真の子女様の中でただ一人でも責任分担を果たし、真の家庭(理想家庭)を築き、神の摂理を推し進めている方がいるとすれば、お父様は神の血統を持ってきてくださった方だったと言えるのではないでしょうか。

    顯進様のご長男の証しを以下の記事に掲載していますので、ご参照ください。

    「この目で神の救いを見た」
    https://align-with-god.org/blog/archives/918

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。