1960年の聖婚以来、アボジはオモニの蕩減復帰について逐一指導することができませんでした。
人間には全く理解できない心情の十字架を、自ら悟って越えることを期待されたからです。
責任分担を与えられた人間の行動に、神様が干渉することはできません。
その人物に関する預言は必然的に、矛盾する正反対の内容が現れるようになります。

原理講論では、イエスが栄光の王として迎えられるのか十字架で殺されるのか、同じイザヤ書の中に矛盾する預言が見つかる理由を説明します。
神様は人間の責任分担に干渉できないので、100%確定した未来を断言するのは不可能なのです。

預言の二面性と言われるこの現象は、真の家庭の運命にも当てはまります。
「霊界で真の父母様は完成し、光り輝いている」と祝福されるみ言葉があるかと思いきや、「お母様が反逆したら大変なことになる」と言う警告も繰り返し語られています。

1999年以降に語られた「父子協助時代」は、二面性を持つ預言の典型です。
教理研究院は、「三男派」がお母様を貶めることを正当化するために、「父子協助時代」の意義を歪曲していると批判します。
ところが「父子協助時代」に関連するみ言葉はかなり多く、「お母様軽視」とも受け取れる内容のオンパレードなのです。

 

 先生を中心とした子女たちが生まれたために、父と息子、父子協助時代になるのです。母子協助時代ではなく父子協助時代なのです。真の父母が出てくる前までは、母親たちは息子たちを育てながら迫害を受けて来ましたが、神様を中心として、直接、真の父母を中心として、息子と娘が生まれたために、これからは母親がいなくてもかまいません。母の時代は過ぎ去り、父子協助時代へと越えていくのです。(父子協助時代宣言, 2000.11.11)

 今までの蕩減復帰時代は母子協助時代でした。これからの天国時代は父子協助時代です。 母親の意見は通りません。父親の意見が絶対になるのです。分かりますか。統一教会も「オモニが先生よりも優れている」そうなればいいでしょう。オモニが先生よりも上ですか、先生よりも下ですか。郭錠煥。「下です」。そうです。(父子協助時代, 1999.9.13)

 堕落した時、エバが中心になりました。ですから復帰時代は母子協助時代です。分かりますか。今は父子協助時代です。オモニは外れるのです。アボジが復帰したという条件の時代です。父子協助の時代に入るので… 今までの復帰は母子協助によって行われてきましたが、今は、第4次アダム圏時代に入ったので母子協助時代ではないのです。父子協助の時代です。オモニはいなくてもかまいません。エバが堕落してもアダムさえ堕落しなければいくらでも再復帰できるのです。 (伝統と教育と実践, 1999.11.7)

 母親が死ねば息子娘が新しい母親を探し立てることができ、父親も新しい妻を迎えることができるのです。好きにすることができるのです。分かりますか。(第17回愛勝日記念礼拝におけるみ言, 2000.1.2)

 オモニを見ると血統が違います。血統には父子が残るのです。分かりますか。何を言っているのか。「はい」オモニは畑です。畑。種は畑さえあればどこに植えてもいくらでも実を結ぶのです。ですから、父子関係には血統が接続されているというのです。そのため、オモニがいなくても、オモニはいつでも探して立てることができるのです。何を言っているのか分かりますか。オモニが責任を果たせなくなっても、息子とアボジさえいればオモニはいくらでもいる、そういうことなのです。アダムさえいれば、母親、エバは創造することができますね。アダムの息子が堕落していない血統にさえなれば女性はいくらでもいます。いくらでも探して立てることができるというのです。分かりますか。郭錠煥。「はい」(父子協助復帰時代, 2000.3.6)

 第4次アダム圏時代が何かというと、母子協助時代ではなく父子協助時代です。分かりますか。オモニがいなくても息子がオモニを探し立て侍ることのできる、アボジがオモニを探し立てることができるのです。何の話か分かりますか。 (第4次アダム圏定着時代, 2000.4.21)

 1960年代に祝福結婚が行われたのです。キリスト教が受け入れていたならば、今のオモニはオモニではありません。聖進のオモニがオモニだったのです。(第4次アダム圏定着時代, 2000.4.21)

 女性が前に出ることはできません。女性が前に出るには、血統、息子を生むか娘を生むかして子女と一緒になって父親より優れていれば先に立つことができます。女性一人では相続できません。息子娘がいてこそ相続されるということを知らなければなりません。分かりますか。息子娘がいてこそ、血統があってこそ相続されるのです。(祖国光復の旗手となれ, 2000.4.23)

 オモニが来た時は蕩減時代であり、それを過ぎて孫を迎えて父子関係の道を立てた後は、オモニも祝福した息子の後に従わなければなりません。オモニが、アボジが、後代に孫が行く道の責任を持てないのです。(8段階愛の主人のモデル, 2000.12.23)

 息子と父親の二人さえいれば、母親はいくらでもいます。父親が男やもめになったら、その父親も自分の妻を連れて来ることができ、また、息子も自分の母親を迎えなければならないでしょう。それが父子協助時代です。母子協助時代は父親がいません。それは大変なことです。種がありません、種が。父子協助時代になっていれば、畑はいくらでもあるのです、堕落した世界に。時代が変わるのです。何と言うことでしょう。しっかりしなければなりません。孝律(ピーター金)も父子協助についてはよく分からなかったでしょう。(父子協助時代と祖国光復, 2001.10.31)

 

「母親は幾らでも交換可能」とも受け取れる一連のみ言葉は、創造原理に反しています。
母子協助から父子協助時代が開かれたという説明はまだ理解するとしても、その後は父母が力を合わせて子女を協助すれば良いだけの話です(母親を排除する必要はない)。

父子協助時代宣言で繰り返し語られた「母親排除」の内容は、来るべき艱難の7年路程を預言したと捉えるのが妥当でしょう。
艱難の7年路程とはすなわち、オモニが責任分担を果たせない結果引き起こされる天宙史的葛藤のことです。

教理研究院が反論するように、「霊界で真の父母が光り輝いている」という祝福のみ言葉があるのは事実です。
アボジはオモニが路程を勝利されるたびにその功労を労い、位置を与え、感謝の意を示しました。
晩年は「真の父母は最終一体」と繰り返し宣布したことで、オモニにアボジと同等の権威が賦与されるまでになりました。

最終的に、矛盾する預言のどちらが成就したのでしょうか。
「母親は取り換えても良い」という預言は、本来あってはならないことです。
しかし「十字架はあってはならないこと」と咎めたペトロが「サタンよ引き下がれ!」と叱責されたように、責任分担の原則は厳格で赦しがありません。

天の父母様聖会の食口が、父子協助時代宣言よりも希望的な「最終一体の真の父母」を信じたい心情は理解できます。
「責任とはお母様ではなく、真の子女や祝福家庭のことだ」と、オモニを擁護したい気持ちも理解します。

しかし現実に起きているのが「お母様問題」であることは明白であり、オモニがあらゆる点で被害者のように捉えることには限界があります。
真の父母とは権威ではなく責任であり、責任が果たせない場合にどうすべきかと言うところまで、思いを馳せないといけなかったのでしょう。

家庭連合-教理研究院の嘘

「お母様だけが絶対正しい!」と頑迷にしがみつく食口が出現することを見越したから、「母親は必要ない」と原理に反する預言までしなければならなかったのです。

 

父子協助時代宣言のみ言葉を補足するとすれば、こうでしょう。
「お母様がお父様の遺言を軽視するようになるなら、お母様に賦与した全ての権限は無効とする。その場合全祝福家庭は、お母様を真の父母として従ってはならない。」

 

オモニをどれだけ好意的に擁護しようとしても、アボジの遺言に鑑みれば間違っています。
その場合いまここで私にできることが何なのか、遺言を訓読しながら祈り求めるのが良いのです。

カテゴリー: 原理的観点意見

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