アボジが聖和された後の一番大きな変化は、天正宮の訓読会がなくなったことです。
アボジにとってみ言葉は公的なもので、何年も前のみ言葉を訓読されてご自分で感動されることもしばしばでした。
朝5時にはじまった訓読会が、午前中丸々掛けて午後までずれ込むことも稀ではありませんでした。
オモニを中心とした集会では、オモニの登壇からいきなり本題に入り、訓読会はありません。
お母様は全てを理解されているから問題ない、時間の節約になって良くなったという意見もありますが、そもそも訓読会にはどのような意義があったのでしょうか。

訓読会の一つの意義として、将来的に起こり得る分派問題への対策がありました。
訓読会がはじまった当時私はカープにいましたが、責任者がこんな解説をしたことを覚えています。
「訓読会の意義は、お父様が霊界に行かれた後に統一運動が分裂しないためです。
私はお母様派、あの兄弟は顯進様派、この姉妹は仁進様派というように(冗談めいて)・・・」

聞いていた兄弟姉妹は、クスクス笑いだしました。
現実にそんな日が来るであろうことを、想像すらできなかったからでしょう。
「お父様聖和という『その日』が来ることは、何の問題もない。
地上に残されたお母様が首尾よくご子女様をまとめて、『中断なき前進』がなされるのだから」と。

同じ頃、テレビで韓国の家族企業が紹介されていました。
創業者の死後、ファミリー企業を分担された息子たちを、母親がしっかり束ねているのです。
統一家もいずれそうなるのかしらと、ワクワクするような気持ちでその番組を観たものです。

 

私は訓読のことを生涯走り続けるマラソンに喩え、み言葉を10回、20回と繰り返し読むことで復帰する内容が、あると考えています。


天一国経典が発刊された際、公平を期して赤い天聖経も訓読しました。
赤い天聖経では、祈祷をまとめた章で全ての「アーメン」が「アージュ」に置き換えられています。
「アージュ」が公布されたのは2005年くらいですが、60年代や70年代の祈祷まで、「アージュ」で結ばれているのです。
おそらくワードの一括変換の機能を使ったと思われますが、いくら何でも酷い手抜きだと感じました。

 

しかし本質的に大きな問題を見付けたのは、真の父母経です。
アボジのみ言葉が掲載される中で唐突に、2014年の独生女宣布が挿入されています。
引用が別冊に分けられているので、普通に読んでいたらアボジのみ言葉かと錯覚するところでした。
清平役事の項においては、金孝南訓母がはじめからいなかったことにされ、役事や先祖解怨を「真の父母様が」なさったことになっています(訓母メッセージの『私が』を『真の父母様が』に変換)。

・・・などと2年前記事に書いていたら、11.11メッセージでオモニから更に踏み込んだ説明がありました。

真の父母経を作れと言った。そうしたら、それが出てきた。ところが、見るとこれは違う。これはお父様の日記だ。これではない。経典ではない。それでもう一度してみろと言った。真の父母から始まらなければならないと言った。ところがそこにも私が知っている、私が経験した天の父母様が少し足りない。(清平修練苑, 2020.11.11)

真の父母経が不十分だという点については、オモニも私と同じご感想のようです。

オモニが訓読されないという事実と併せると、問題の本質が見えてきます。
ある時期よりオモニは、再臨主ではなく独生女だけが、天の父母様の実相を明らかにできるというお考えをお持ちだったようなのです。

アボジの生前は、決してそれを語ることを許されませんでした。
新しい真理を明らかにするのは再臨主であり、「君たちにはすべてを教えた」とご自分の使命完了を宣言されたからです。

 

アボジは、「私は独生子なので真理の全ては語れない、独生女によって、全ての真理が明らかになるであろう」とはおっしゃいませんでした。
重要な概念は全て宣布・宣言として、繰り返し説明されたアボジなのに、「独生女が明らかにする天の父母様の実相」について一度も言及がないのです。

 

アボジは自ら語られたみ言葉を、天から賦与された公的な内容と捉えておられました。
ダンベリーでは、ご自身のみ言葉を読み返して感動なさっていたと証があります。
最終的に八大教材を遺言と位置付け、祝福家庭はアボジが霊界に旅立った後も、自ら学び研鑽するよう指導されました

 

いま誰かがオモニに対し、「お父様のみ言葉を訓読されないのはどうしてでしょうか?」と質問したらどうなるでしょうか。
おそらく烈火のごとく、お怒りになるのではないかと思います。
「お父様が語られなかった独生女と天の父母様について、いまこうして教えてやってるのに!」と。

 

お母様を批判するなんて恐れ多い!と、口を閉ざせば自然に解決するのではありません。
まさにいまこうなることを見越して、20年以上前から訓読会の重要性を強調されたのですから。
聖霊を汚して地獄に落とされたくないと怯えている人たちは、まずは遺言を真摯に訓読されては如何でしょうか。
時空を越えてアボジと対話できる時間が、そこにあるのです

過去記事
お父様の遺言は八大教材教本

カテゴリー: 意見真実

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