本来の復帰摂理
前回まで3回にわたって、ソクチョ事件に関連した内容でした。この時期になる前の辺りから、教会員がすり込まれていた、間違った信仰観があります。それが、末子の文亨進氏に兄の文顯進会長が服従するというアベル・カイン復帰がなされなければならないというものです。
でも、アベル・カイン復帰は、アダムとエバがサタンを中心として家庭を成したから必要になった、というのが、文鮮明師の教えであり、原理講論にある教えです。もしも文鮮明師の家庭の子女の間でアベル・カイン復帰が必要ならば、文鮮明師はサタンを中心として家庭を成したことになります。
アベル・カイン復帰というのは、神様がサタンに奪われた長子権を復帰するための摂理です。その長子権復帰の条件が立てられた後で、神様の長子として生まれたのがイエス様でした。ゆえに、文鮮明師は「メシアは神の愛によって初めて誕生し、神の愛の前に立つ神の長男です。(1983年4月3日)」と語っています。
神様の長子として誕生したメシアの家庭から生まれたアベルの子女に対して、カインの子女として、アダム家庭のカインの蕩減復帰をする役割があるのが、祝福家庭です。
メシア家庭の長子
メシア家庭においてあるべきものは、自然な愛の秩序であり、夫婦関係、親子関係において、自然な愛の秩序がなければなりません。その愛の秩序の出発点は神様との関係であり、子女達の中で長子権を与えられるのは、神様が長子として認めた人です。
本来なら、その長子は一番年上の男子がなることができれば良いのですが、人間には責任分担や状況があり、そのようにならないことがあります。ゆえに、生まれた順番では3男に当たる文顯進会長が、神様から長子として任命されることになったのであり、それを文鮮明師が認めたのが1998年の式でした。そして、いったん長子が決定されたら、他の子女は長子に対して、父に対して接するような態度で接しなければなりません。そのように接するように、文鮮明師はお子さん達に指導していました。
実子の間には、もう復帰摂理のアベル・カイン復帰などというものはありません。長子に弟妹が従うのです。ましてや養子である祝福家庭は、アベルを守る責任があるカインの弟妹であって、実子の長子の上に立つなどということはありません。
天聖経の「真の家庭と家庭盟誓」の三大王権、四大心情圏、皇族圏の説明の中で、文鮮明師は以下のように語っています。
「兄が中心者なので中心となって、自分の直系の兄弟達を右側、復帰されるべき立場にある人たちを左側としながら、一つにしなければなりません。堕落したのでこのようなことが起こったのです。堕落しなければアダム家庭の兄弟が一つになれば、それまでなのです。」
王、父、長子というのは、原理的な権威の位置です。神様を出発点として立てられた霊的な権威に対して、直系の兄弟姉妹とカインの子女は、一つになるべきで、アベル・カイン復帰などを掲げて挑戦してはなりませんでした。
自然な愛の秩序の破壊はカインの子女から始まった
統一教会の教会員が末子の文亨進氏に兄の文顯進会長が服従するというアベル・カイン復帰を吹き込まれるようになったのは、実は、カインの子女である統一教会幹部に文顯進会長を服従させようとしたことから生じたものでした。
文顯進会長をソクチョ事件で追い込み、文鮮明師が他界した後は、文顯進会長をおとしめる文亨進氏は必要では無くなったのです。そうして、天一国憲法と呼ばれるものを通して、統一教会幹部が相続者となることができるようにしたのです。
もしも統一教会員が最初からこのような図を見せられて、「支持するか」と聞かれたら、支持する人はもっと少なかったでしょう。しかし、末子の文亨進氏に兄の文顯進会長が服従するというイカサマ神学による中間的段階が入ったので、よくわからなかったのではないかと思います。今、統一教会に文亨進氏はいますか?なぜいないのか?必要でなくなったから、ではないですか?
文亨進氏の登場
文亨進氏が相続者として登場するようになって行ったのは、2005年の初めからです。郭錠煥先生の本、「事必帰正」の155ページから159ページにかけて、混乱の始まりが書かれています。
2004年の末、文顯進会長は、文鮮明師の特別祈祷を受けて、韓国と日本で巡回講演をし、大きな成功を収めました。ところが幹部達はその巡回を中傷して、「お父様に代わって顯進ニムが過剰に目立ち、権力が顯進ニムに集中している」という主張までしました。
結果として、2005年1月3日、文鮮明師は、「顯進は西洋、國進は東洋、亨進は宗教に責任を持つ」と突然発表しました。おそらく、韓鶴子夫人の意見が強く入っていたはずです。なぜなら、この頃は、文鮮明師の後を相続するのは自分自身でなければならないと、韓鶴子夫人はもう思っていた頃だからです。喜んだのは幹部でした。「3子女の役割分担」、「黄金分割」などと言いながら、美化しました。
統一教会の幹部は、地縁血縁によって政治的に党派を作る強い傾向がありました。それぞれの実子の婿や嫁がどの地縁血縁かによって党派を作る傾向がありました。ゆえに、3人の子女間の役割分割は、幹部の党派の間の権力分割と受け取れるものでした。そして、文顯進会長が長子として血統的に相続をするのを邪魔する道が生まれました。同じ血統を持つ弟たちを対抗させれば良いからです。
幹部達は、文亨進氏を「宗教的天才」などと、文鮮明師に褒め称えていました。一人だけではなく、何人も同じことを繰り返せば効果があります。文亨進氏を宗教分野担当とさせることは、のちに、末子の文亨進氏に兄の文顯進会長が服従するという図式を展開するに好都合でした。教会員は、心を代表する宗教に、他の部門が服従するはずだと考えるからです。
2008年4月6日の儀式
文顯進会長がカインとして弟に従わなければならないという、イカサマ神学が登場するようになったのは、2008年4月6日のハワイでの儀式に関する、金孝律氏の報告が始まりだったと思われます。この件は、「事必帰正」の本の197ページから198ページに書かれています。
金孝律氏はこの行事を韓鶴子夫人の完成宣布儀式として宣伝し、これによって韓鶴子夫人は完全であり、夫と同格であるとしました。また、この儀式では文顯進会長を韓鶴子夫人の右に、文國進氏を韓鶴子夫人の左に立てて祈祷したのですが、金孝律氏は「顯進ニムがカインで國進がアベル」と宣伝しました。
この金孝律氏の説明がおかしいのは、敬礼式の時、主体である男性が右に立つのを考えてもわかることで、文顯進会長が右側、文國進氏が左側に立ったのは、文顯進会長が長子として主体だからだったはずです。
「事必帰正」には、文顯進会長がこの儀式に関して説明された内容が以下のように載っています。
「霊界では長子の孝進様が弟の立場であり、次子の興進様が兄の立場となって、兄と弟の位置が入れ替わっていますが、地上では顯進様が霊界の兄である興進様の位置と役割を代身し、國進様が霊界の弟である孝進様の位置と役割を代身するという意味だったということです。お父様がこの儀式を行った背景には、『真の家庭内でお母様が家庭の秩序と兄弟間の秩序を正しく立てる責任を果たさなければならないという期待が込められている』と顯進様は見られました。」
実際、この儀式の時のビデオを見ると、文鮮明師が語りかけている相手は、ほとんど韓鶴子夫人であり、その表情も厳しく、「責任を果たせ」という姿勢を示しているもので、とても韓鶴子夫人の完成宣布儀式などと解釈できるものではありません。
しかし、統一教会の幹部は、この儀式を「カインがアベルに従順屈服し、お母様を通してお父様の前に出なければならない」という概念で捻じ曲げました。これは、神様の長子として誕生したメシアの家庭に再度アベル・カイン復帰が必要だと、堕落圏に引き戻す理屈でした。実際、こうした統一教会の幹部の主張は、文鮮明師の家庭の中の愛の秩序を破壊することになりました。
カインの子女の責任
金孝律氏は、ハワイの行事を韓鶴子夫人の完成宣布儀式として宣伝し、「顯進ニムがカインで國進ニムがアベル」と宣伝しました。
金孝律氏は、米国で文鮮明師の家庭と子女の世話をする特別補佐官として、最も天使長的な仕事をしていた人です。本来なら、自分を犠牲にしても子女を守り、韓鶴子夫人が夫とズレていたら、韓鶴子夫人ではなく、文鮮明師に従うべき人です。しかし、そうしなかったことの例が、ハワイでの行事の宣伝に示されています。
金振春氏の独生女信仰講義に表れているように、韓鶴子夫人は、なぜ夫に40年も50年も敬拝を捧げないといけないのかと葛藤し、自分を夫の上に立てる考え方を既に持っていた、と考えられます。そのような自分を主張する思いになってしまったのは、韓鶴子夫人の母への霊媒とされていた金孝南氏が、誤った考え方を吹き込んだからです。
金孝南氏も、金孝律氏と同様にカインの子女です。カインの子女は、アベルの子女である実子に対して対象の立場で一つとなり、アベルの子女を生命を賭けてでも守るという責任を持っています。
金孝南氏でも、金孝律氏でも、この責任は変わりません。どんな霊媒師でも、どんな特別補佐官でも、あるいは、どんな特別な教会の中でしていても、祝福家庭の第一の責任は、復帰されたカインとして、アベルの対象となり、アベルを守ることです。これはどんなに強調しても強調し足りないことです。
ところが、中心的カインの子女が、韓鶴子夫人が主管性を転倒するように誤導し、韓鶴子夫人の過ちの後押しをして、さらに、アベルの子女の中の長子を攻撃して、血統的継承が挫折するようにして、愛の秩序を破壊したのです。そのようにしておいて、自分達弟子がカトリックの法王のような位置に座ろうとしている、それが許されることでしょうか?
長くなるのでここで区切りますが、次回は、2008年4月6日のハワイでの儀式に至るまでのことを追ってみたいと思います。
天宙史的葛藤について、より深く真実を知りたい方は、以下の動画を御覧ください。(概要欄の目次のリンクをクリックすると途中から見ることもできます)
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