今回は、CARPと韓国留学生舎監先生として歩んできた、祝福二世青年のマイストーリーです。二世を愛される顯進様の姿を目の当たりにし、2005年当時すでに顯進様に対する反対勢力との葛藤を経験しながらも、家庭で乗り越えてきたストーリーです。

顯進様との強烈な出会いと信仰の出発点

まず、私は個人的に顯進様が好きでした。一番最初の出会いが強烈で、私が韓国に留学していた当時、早朝の3時頃に突然全体のお知らせがあり、韓国の本部教会に顯進様が来られてみ言を語られるので、皆行きましょうと言われました。「マジかよ!」と驚きました(笑)朝の5時に来られるので、1時間30分前には会場に着いて精誠捧げましょうという、当時のノリでした(笑)

顯進様が朝5時に物凄いパワフルに語られて、その時自分が将来どうしようかと漠然と思っていた時だったので、やっぱりみ旨のために働こうかなと考えるきっかけになったのが顯進様でした。自分の信仰の出発点だと思います。

顯進様が当時「二世は全員カープへ!カープで訓練しなさい!」と仰っていたので、大学卒業後はカープに行きました。当時は千葉学舎というところで歩んでいましたが、そこで2年程過ごした時、松波会長から「韓国の寄宿舎の先生が辞めるので、新しい人を探しているが、中島君どうですか?」と言われました。感謝して受け入れ、韓国の留学生寄宿舎でスタッフをしていました。

韓国留学生寄宿舎の舎監先生時代と信重様の教育

顯進様の三男である信重様(当時中学生)韓国語を学ぶために、韓国に留学して来られ、寄宿舎で一年間過ごされました。とても緊張しました。お子様に対して何か間違いがあってはダメですから。だからと言って特別扱いもダメだといわれました。郭珍満さんから電話が来て、「寄宿舎の方針は、どういうものですか?」と聞かれました。郭珍満さんは凄く腰が低く、ソフトに話されますから、ついポロっと「特別扱いしようと思っています。」と言ってしまったら、「あ、それはやめてください。」と言われました。「ルールを破ったらちゃんとダメだと厳しく教えてください。」と。実際に男子達が夜中の就寝時間を破って遊んでいた時がありました。そういう場合は「君たちそんなに体力が有り余っているのなら、腕立て伏せをやりましょう。」と言っていました。その時その中に信重様もいらっしゃったので迷いましたが、厳しくするよう言われているので信重様にも「はい、腕立て伏せやりましょう。」と指示をしたこともあります。

寄宿舎にご子女様がいらっしゃるので、あるとき顯進様がついに寄宿舎を訪問して下さることになり、二世達にみ言を語ってくださいました。「皆さんは本当に神様の夢と同じ夢を見ていますか?神様の夢が、どれくらい大きいか知っていますか?」と語られました。

当時とても感動を受けていたので、個人的には顯進様についていきます、という気持ちでいました。私は寄宿舎の先生をその後3年で辞めて、それからは家庭で主夫になりました。妻はノルウェー人の二世で国連に勤めていて、妻の仕事で転勤を繰り返すようになり、み旨に直接関わるのが難しくなってしまいました。しかし自分が出会った顯進様の勢いも素晴らしかったし、自分一人くらい抜けてもこのまま顯進様は前に進まれるのだろうと、希望的に、少し楽観的に考えていました。

顯進様の真実の追求と家庭を通した導き

2008、2009年頃、当時自分は国外にいてほとんど情報に触れることがありませんでしたが、2010年、2011年頃から「あれ、何かがおかしい」と気づき始めました。真のご家庭の周りで顯進様の周りで、思っていたものと全然動きが違うと気づき始めて、自分で色々調べていきました。調べていくうちに、「あぁ、大変なことが起きているのだな。」と気づくようになりました。だからと言って主夫の自分ができることも何も特にないし、社会的な立場もないし、当時は子育て中で幼い子3人抱えていました。妻の仕事も簡単に辞められる程軽いものでもないので、悶々としていました。

結局妻と話し合って家族でアメリカから日本に移住しようという話になりました。妻はアメリカの国連本部に今勤めていますが、やはりアメリカという国はアメリカ人の為の国ですから、外国人が外国籍のまま暮らしていくのは老後も考えると、かなり厳しいです。子供の学費も大学は数千万かかります。ノルウェーか日本かに定住を目指そうという話になり、まずは自分が日本に帰って定着準備を始めることになりました。

私の両親も元々教会に問題意識は持っていました。アメリカの清野清さんという777双の方も、当時から神山会長とも声明文を出したりされていました。もう聖和されてしまったのですが、清野清さんの霊の子が自分の父親です。そういうご縁があり父親は別ルートで顯進様のことを聞いていたそうです。運も味方し、両親も自分も「やはり教会が間違っている」という結論になり、特に葛藤もなく参加できました。

質問者:教会は客観的に見ると成功しているように見えるけど、おかしいなと思われたのは顯進様の周りを調べてからですか?

顯進様が謹慎させられたと聞き、疑問は湧きました。色々な噂が実しやかに語られていましたが、例えば一番多かったのが「顯進様が堕落した」ということで謹慎を申しつけられたという噂でした。当時は何のコネクションもないですから、真偽も確かめる術はないです。ただ実は自分は顯進様に対する攻撃を直に見たことがありました。

ある時、自分がカープの千葉学舎にいて、千葉学舎からカープ本部に人事になったときがありました。その時Service for Peaceの大会のことで当時の劉大行会長にお願いに行きました。するとそのお願いが、拒否されてしまったのです。私は拒否するものなのかと驚きました。自分は韓国語ができるので通訳として行きましたが、色々な理由をつけて劉会長は「顯進様の運動に教会本部として協力しない」と言ったのです。その時「これは何だろうか?」と疑問に思いました。噂を聞いてみると、以前21修で顯進様が人事をして40歳以下の教区長を半分以上人事した時がありました。それを劉会長がお父様に讒訴してまた引き戻された、という事件がありました。その当時はそこまで詳しく知りませんでしたが、劉会長は顯進様嫌いなのだと感じました。最終的には協力することになったのですが、この時ご子女様に対して、反対する勢力あることを直に見たのはやはり大きかったです。ですから謹慎の話も何か裏があると思うようになりました。間違いなく正義ではないと思いました。その時私は学舎長からカープ本部に人事になり、本部職員になっていました。当時はKM兄が副会長だったので、通訳ならKM兄がする方が立場的に適切だろうと思っていました。しかし後々話を聞くと、劉会長は非常に扱いが難しいので、KM兄が行って関係が拗れたら、物凄い難しくなってしまい、様々なことがやりにくくなってしまうということで、本部としては温存したかったようです。当時副会長で将来的にはカープ会長になるだろうと言われていましたから、自分が代わりに通訳に送られたのだと思います。色んな思惑があったのだろうと思います。それが2005、2006年頃でしたが、その頃から顯進様に対する抵抗勢力が教会にあるということは認識として持っていたので、その前提で調べられたのは大きかったかなと思います。

質問者:FPAに入会して感じることは?

最近やはりひしひしと感じるのは、FPAにいなければ今の状況を三世の子供に説明ができないということを思います。少し極端で言い過ぎかも知れないですが、全て負債感なく嘘つくことなく答えることができる、という点です。正しい場所にいるのだと言うことができます。さらには、おじいちゃん、おばあちゃんもそうなんだと言うことができれば、これも本当にスッキリしていると思います。もしそのまま教会にいたら、高額献金の話なども言葉を濁していたと思います。40年間、二世をやってきましたが、色んなこと隠されてきたのだな、と思います。30、40歳になって初めて知ったってことも沢山ありました。やはり今は全て子供に説明でき、少なくとも知的に論理的には説明できるというのが、とてもありがたいことだと感じています。

質問者:実際にそういうことはお子さん達とも話していますか?

一番上の息子は高校2年生なので、この歳なら大丈夫だろうと思い、かなり細かいところまで時系列で話しています。彼にとってはただの情報でしかないので、「ふーん、そうなんだ、残念なことだね。」と話しています。ただそこに嘘も誤魔化しも何もないので、そういうスッキリさは感じてもらえているのではないかと思います。下はまだ小学生・中2なので、少し早い気がしています。

質問者:二世圏、青年圏にメッセージを送るとしたら、どのようなことを言いたいですか?

正直、安倍元首相の襲撃事件があってから、元二世と言われる方達の声をSNSで拾って見たりしています。それから知り合いの二世に話を聞いてみても、元でも現役でも信仰的には満身創痍となっていて、もうボロボロな状態です。ですから正直、かける言葉が見つかりません。この状況でプッシュ気味の言葉はかけにくいです。本当なら「いつまで組織にしがみついているんだ」と一喝したいですが、そうすると吹き飛んでしまいそうです。ただ、私の子供たちにもよく言うことですが、「神様はいるし、天国は出来るんだよ。」ということは、自分の確信として、自分の信仰告白として伝えたいと思います。その確信や熱を、親子関係の中で、三世である自分の子供にも、そして他の二世にも伝えていけたらと思っています。


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