最近、お母様はお父様と対等であると強調され、お母様がお父様を選んだとか、原理を誰からも学んだことは無く自ら悟ったと語られていますが、果たしてどうなのでしょうか?

1960年の聖婚式に参席され、その後、お母様に原理講義をされた郭先生がインタビューに答えておられます。

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第三編『誰が誰を配偶者として選んだか』

インタビュアー:お父様にもお近くで侍る経験をされましたが、お母様にも草創期からお近くで侍る経験を多くされたと聞いております。お母様が真の母として選ばれた時の話をお聞きしたいです。

何故なら最近、お母様がご自分について語られるみ言と、どのような過程を通じてお母様になられたのかについて真のお父様が語られたみ言葉が、食い違う部分が多いので、初めてお母様が選ばれた時にどのような状況であり、どのようにお母様の座に就かれたのか、説明していただければ有り難いです。

郭会長:配偶者選びの話が出たので思い出しますが、お母様のみ言葉の中で「再臨主は再臨主候補が何人もいたが、私が選んでお父様が再臨主になった」といった、反摂理・非原理的なことを語られたということを私は聞きました。

1960年に聖婚式を見守った人たち、その式典に参加した人たちの立場では、お母様がお父様を選んだという話を聞いたら、恐らく笑わざるを得ない、あまりにも呆れ果てて笑うしかないと思います。

高校2年だったお母様が、どうして再臨主を選び聖婚式を行うことができるのでしょうか。再臨主は堕落した世界で如何なる女性によっても選ばれることはできません。それは言語道断です。

1960年にお母様が選ばれた時、お父様の前に新婦候補は何人かいました。聖婚式の前にその候補の中から、韓鶴子お母様がお父様によって選ばれたのです。

み言においても神様は100%精誠を込めて経綸し、アダムを創られ、第2アダムを送り第3アダムを送られる、言い換えればアダムを送るのは神の経綸であり選択なのです。

そのアダムが100%苦労して精誠を込めて新婦を選び、妹のように後には妻のように、そして母の段階まで育てるというのが、お父様のみ言であり摂理です。

そうして1960年にお父様がお母様を新婦候補の中から選び、聖婚式を挙げられました。

その聖婚式に参加した私を含む全ての人たちは、その日にお母様を初めて見た人たちが大部分です。何故なら高校に通われて寄宿舎におられ、また礼拝にも出席されていなかったので、事前に見た人はほとんどいないと言っても過言ではありません。

しかしお母様が北朝鮮から避難して来られる時、お母様が母親と外祖母と一緒に避難の道を、38度線を越えて来られて、ソウルを経て大邱で生活され、済州島に行って暮らされ、その後には外祖母と一緒に春川に行って暮らされ、そこで恐らく中学校まで過ごされたのではないかと思うので、ソウルにいた中心幹部や食口たちはお母様を知らなかったけれども、先ほどお話ししたようにそうしたお母様の避難経路の事情と、その後の済州島生活といったことを知っている人もいました。

お父様がお母様を選んで聖婚式を挙げられ、それでお母様は「私は原理や全てのことをみな自ら知った」とおっしゃっていますが、聖婚式直後にお父様が私に指示されて、お母様は私の原理講義を聞かれ、確か12日だったか2週間だったか、一日4時間くらい原理講義を聞かれました。

インタビュアー:会長が直接原理講義をされたのですか?

郭会長:はい。(お母様は私の講義を)聞かれ、その次にお母様が私にその原理、その時は原理の本しかなかったので、「骨子を書いてくれたら有り難い」と言われたので、私がノート2冊に原理の骨子を書いてさし上げたこともあります。

ですからお母様が生まれる時から原理を全てご存知だったというみ言も、事実とは違う話です。

結論的に、お母様はお父様によって選ばれ、聖婚式をお父様の新婦として挙げられるようになったのです。

第四編につづく

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