真のお父様はお母様を「第二の教主」と語られました。そのみ言葉を根拠に「天の父母様聖会」ではお母様と絶対的に一つになることが強調され続けています。

「四位基台」や「三大王権」「皇族圏」など原理と摂理の基本から考えた時に、「第二の教主」とはどのような意味のあるみ言葉なのでしょうか?

郭先生がインタビューの中で明確に示しておられます。

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第四編『お母様が第2の教主?』

インタビュアー:真のお母様についての質問をもう一つさせていただきます。最近お母様の自叙伝が出たことはご存知だと思います。お母様が「お父様が私が第2の教主だと語られた」「私はお父様から第2の教主として指名された」と語られて、今や自叙伝にも書かれていると言います。これをどう理解したら良いでしょうか。

郭会長:それはないですね。常にお父様のみ言葉を、その時の状況や摂理的な進展に従って解釈しなければいけません。

お母様はご自分がお父様を再臨主として選び、6千年後に初めて生まれた無原罪の人だとまで言って自己を高めていますが、お父様から第2の教主の指名を受けたということは、考えてみれば互いに矛盾するのではないでしょうか。

しかし自叙伝でそんな話までしているのは、お母様が権威や地位を高めようとする姿ではないでしょうか。

これは矛盾した内容です。

最近の時点では取り上げる価値もない歴史的な事実です。

私が聞きましたから。またその時の状況を誰よりも私が見てきたので、お父様がアメリカでこのみ言葉を語られたのを、私は直接聞きました。

ところがその時、お父様の年齢は1980年代なので60歳代でした。常識的に考えれば60歳になられたお父様が、後継者また第2教主について語られるはずがあるでしょうか。

その当時アメリカでのお父様の状況は非常な状況で、常識では簡単に理解できないとても緊迫した非常な状態でした。アメリカの主流社会の指導層はお父様を監獄に送ろうとして到底口にもできないことをしました。

強引に脱税の濡れ衣を着せて監獄に送ろうとし、検事が巧妙な方法でお父様を悪者として宣伝し、それで陪審員たちが82年に有罪と結論を下しました。

有罪と陪審評決が出れば裁判所で裁判をしなければならず、有罪にしなければなりません。それがお父様が監獄に行かれた悔しい事情です。

アメリカ社会には実に異常な組織が様々にあります。例えばマフィアのような組織は監獄でも殺人を起こし、残虐な罪を犯します。

ところが何の力もない立場で迫害され、全国民が立ち上がって反対し、私の息子娘を返せと追求するような状況で、お父様はそういう危険に直面し監獄に行かれました。

ダンベリーから出られた後も、お父様はそういう世界的に危険な状況の中でも、生命をかけてご自身が成し遂げるべき摂理的な目標に向けて、冒険的な道を宣布され推進されました。

その代表的なものが1990年のモスクワ大会であり、その翌年の1991年に北朝鮮を訪問し金日成主席と会談されました。

いつどんな危険が襲って来るかも知れないということを、お父様は甘受されながらその道を行かれたのです。

内的にお父様はどれほど不安に思われ、万が一の事態を心配されたことでしょうか。

1980年代の半ば興進様が祭物として聖和されました。真の子女様にそういう問題が生じたということは、その次の段階は真の父母様ではありませんか。

けれどもお父様は屈服されませんでした。

そういう立場であったためまず世の中の前に、また宗教的な意識に浸っている人々の前に、第2の教主という中途半端なポジションで、極端な事態に備えられるお父様であられたと思います。

お父様はこの地に教団をつくり、教派をつくり、宗教団体をつくる為に来たのではないということを何度も明言されました。

この第2の教主という言葉は一般的に宗教団体の中でも新興宗教やさらにはカルトまで含めて、その創始者や継承者を言う場合が大部分であり、その為にその言葉自体に対して、一般的に否定的なイメージが多いのです。

敢えてこのようなみ言葉をお父様はなぜ語られたのでしょうか。私たちがその背後の状況と、時代的な状況があったということを忘れてはなりません。

この第2の教主という言葉も、結局は神様の摂理を進める中心人物の継承問題と関係があるのですが、摂理の中心核であり核の中でも核である、アダム・第2アダム・第3アダム、こういう全ての中心の中の中心人物の縦的な継承、継代を続けていく問題は全て、神様の真の愛・真の生命・真の血統と関連づけて説明されるべきであり、それ以外には関連がありません。

四位基台や三大王権、皇族圏など、さらには子女権・父母権・王権などは、全てこの中心核の中の核と関連することが最も中心になります。

このような点で見ると第2の教主といった言葉は、この世的な言葉であり、基本の神様の創造理想と合う言葉ではありません。

2000年11月に歴史的な父子協助時代を宣布され、父子協助時代の出発を宣言されました。

それは神様と真のお父様を中心として考える時は、お父様の使命は今では祝福権の委譲と共に顯進様に委譲され、その次に成約時代の出発と共に始められた母子協助時代の7年の期間が終わり、父子協助時代の父と息子の因縁で伝承され、相続されるという重要な宣言であり摂理的な進展なのです。

み言の意味をこうした根本原理と摂理原則から私たちが把握し、結論を下して考えなければならないのです。

ではお父様はなぜお母様にそのように語られたのでしょうか。

父子協助時代として、本格的に母子協助時代が過ぎ去ったと宣布され、お母様が基元節の時まで本然の女性像、言い換えれば神様の前に真なる娘、お父様の前に真なる妻、真の子女様と万民の前に真なる母、本然の女性像を全て正しく立てることができなければならず、責任を果たせなければならない、基元節の前にどうしてもお母様はそれをしなければならないという指示を、私たち全体の前に何度も語られたのですから、お父様がお母様にどれほど沢山の指導をされたことでしょうか。

その後様々な真のお父様の摂理的な基台がしっかりと続けられた後にも、何度か訓読会や朝の聖日集会の時に、「皆、拍手せよ」と言われながら、お母様に栄光を返すように誘導されたりしました。

なぜそうされたのでしょうか。

既に真の愛・真の生命・真の血統を中心として継承されるアダムの偉業、第3アダムの偉業が既に伝承されましたが、その中で第2の教主がどういう大きな意味があるでしょうか。

それを語られながらお母様に対して拍手まで誘導されるのを、私は心痛く思いました。

残念なことに顯進様をお父様がそのように立てられてから、度々お母様とお父様が一体化されていない姿を私は見ました。

言い換えると、お父様のみ言とお父様のみ旨と心情に一直線に連結され、順従される姿勢がお母様に相応しい姿勢だと思いますが、そういう姿が見えない時が度々ありました。

その理由を私はここで全ては言えません。

このようにお父様が度々お母様からそういう不順従と一体になっていない姿に触れたならどれほど残念なことでしょうか。とがめられたことでしょう。

それでもまたこのようにお母様を立てる為に、お父様がそういうみ言を語られたことが、何度かさらにあったと理解しています。

志のある祝福家庭や年功の多い先輩家庭は、お父様の全体的な環境の中で、なぜこのようなみ言を語られたのかということまでも考える、そういう少し知恵、深い解釈をして、お母様のみ言もそういう点で全体的な摂理原則、また神様の本然の創造理想、原理的で摂理的な基準をしっかり立てて、そこで判断して結論づけて行うべきであって、適当にしてはならないと自問したいと思います。

第五編につづく

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