徳野会長の対策講話へ反論2
元CARP北日本ブロック長 Yoshioka Shunsuke
前回は私の声明文に対する徳野会長の対策講話に対して、み言を中心として反論をしました。前回のポイントは以下の四点でした。
- 徳野会長はお母様の「独生女」論と「クリスマス発言」に一言も触れていない。
- 徳野会長は私のイメージを下げるために、明らかな嘘を語っている。
- み言より実体が優先であるという主張は詭弁である。
- 結論:徳野会長はお父様とお母様が一体であるという確信が無くなってきている。
今回は、2008年~2009年に起こった摂理的混乱と、真の父母様の神格化問題について、述べてみたいと思います。
1.2008年~2009年に起こった摂理的混乱について
徳野会長は対策講話の中で、「2008年、2009年というのを覚えておいてください。この頃が最終的には一番難しい問題なんです。2008年から2009年。で、この2008年から2009年の頃にですね、顯進様は徐々に、徐々に難しくなっていかれました。」と語られました。
実際にこの時期は、國進様が財団理事長、亨進様が世界会長に就任された時期であり、また一方で、顯進様の担当範囲が縮小され、遂にはすべての公職を停止され、最終的に顯進様が家庭連合を去られることになった、大混乱の時期でした。徳野会長は、その時期のご自身の心境に関して次のように語られています。
「教会側で顯進様や顯進様のグループに対して、これが真実だ、彼らはとんでもない、という内容と、顯進様の方から私に伝わってくる、これが真実だ、徳野さん、騙されちゃいけない、徳野さん、顯進様を信じてください、という情報と180度違う。どっちが本当なのか。ヨシオカ君もこういう場合があったでしょう。何が真実かわからない。わたしもその3か月くらいは、どれが真実かわからないくらい戸惑った期間でした。」
当時の教会側(家庭連合)から流された情報というのは、指導部であった亨進様と國進様から発信された情報でした。当時はお二人に対する信頼感が高い時期でしたので、多くの指導者と食口たちが、その情報を信じることとなりました。しかし、お二人は今、サンクチュアリ教会におられ、お母様を痛烈なまでに否定されています。今から振り返った時に、当時の顯進様に関する情報は、本当に正しいものだったのでしょうか?私はそうは思いません。
私は2008年~2009年に統一家の中枢で混乱が起きた際、その場に居合わせた者ではありませんので、当時の出来事一つ一つについて細かい言及をするつもりはありません。ただ、私自身はお父様の聖和以降、家庭連合と顯進様支持の方々、双方の主張を比較しながら、多くの点において顯進様支持の方々の主張の方が納得できるという結論に至りました。今回の私の反論を通して、皆さんに2008年~2009年の大混乱期に、一体何が起こったのかという真実に今一度関心を持っていただき、お一人お一人に祈り、考えていただくきっかけになればという思いで、最低限のポイントとなる点を指摘したいと思います。
仁進様の米国総会長人事はお父様の意に反して秘密で行われた
2008年当時、家庭連合側では、「お父様によって仁進様が米国総会長に任命されたにも関わらず、顯進様が総会長を降りずに、争っている」という情報が流れました。これは本当だったのでしょうか?以下は、当時の出来事を時系列で並べたものです。
2008年7月29日 | 亨進様の公文により、仁進様が米国総会長の任命を受ける。それまでは顯進様が米国の最高責任者であり、その下で金炳和大陸会長夫妻が担当する立場であったが、亨進様の公文は、仁進様の地位と役割がどのようなものなのか不明瞭であった。そこで金炳和会長がお父様に直接確認したところ、お父様は、仁進様は総会長(Chairman)ではなく、祝司長(牧師)であると語られた。 |
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2008年9月24日 | コディアックでの訓読会の際に、金炳和会長は米国総会長は顯進様であるというお父様のご意向を仁進様に伝えて差し上げたが、仁進様は受け入れなかった。 |
2009年2月21日 | お父様は改めて、米国の全体責任者は顯進様であり、仁進様は祝司長なので牧会に専念しなければならないと語られた。朱東文氏がこれを顯進様側にも伝達した。 |
2009年2月23日 | 國進様の指示を伝える公文が発表され、仁進様が米国総会長であることに念を押すものであった。 |
以上の流れを見ると、私達のような末端の食口までも、米国総会長は仁進様だと思っていて、それに対して顯進様が指示に従わないなどと聞かされている時期に、お父様だけが、顯進様が米国総会長だと思っておられたということになります。今から振り返ってみた時に、亨進様が出した公文、人事措置は、本当にお父様の確認を取り、裁可を得たものだったのでしょうか?極めて疑わしいと言わざるを得ません。
顯進様がクーデターを起こすために、米国理事会を勝手に変更?
上で述べた仁進様の総会長人事とも関連する出来事ですが、対策講話の中で徳野会長が次のように語られています。 「アメリカ統一教会の理事会を顯進様のグループが牛耳ろうとする試みがあったんです。それでお父様はそのことを聞かれて、カンカンに怒られているわけです。それで集まったのが、2009年の3月8日、これが有名な束草事件なんです。」 徳野会長は当時、亨進様が世界会長であった家庭連合本部からの情報をその如く信じて上のように語っておられるのだと思います。しかし、以下の時系列を見れば、信憑性に疑いが出てきます。
2008年7月29日 | 仁進様が米国総会長に任命される(亨進様の公文) |
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2008年8月22日 | 仁進様が米国理事会を招集、理事の大部分を変更。 |
2008年8月23日 | 理事の変更を聞いたお父様がこれを認めず、原状復帰を指示。ところが仁進様は一部だけ元に戻し、大部分はそのままにされた。 |
2009年2月21日 | 朱東文氏がお父様に確認したところ、やはり顯進様が総会長であるとされた。亨進様も顯進様が米国総会長というお父様の意向を知っていたが、発令せず。 |
2009年2月23日 | 石チュノ世界宣教本部副本部長による二つの公文が発表される。一つ目は國進様の指示を伝えるもので、仁進様が米国総会長であることに念を押すものであった。二つ目は、亨進様が世界会長としてお父様を代身するため、顯進様の上官であるというものであった。 |
2009年2月24日 | 上の二つの公文を知った顯進様は、お父様の指示が通らない状況に対して、米国統一教会理事会をお父様の指示通りに戻すことを決心され、理事会を招集された。しかしこれを「顯進様が米国理事会を勝手に変更しようとしている」「お父様の権威に対する挑戦」「兄弟間の争い」と報告され、國進様は「顯進様によるクーデター」と強く非難された。 |
徳野会長の「アメリカ統一教会の理事会を顯進様のグループが牛耳ろうとする試みがあったんです。」という言葉はそのまま、國進様の「顯進様によるクーデター」という言葉と重なりますので、当時の家庭連合指導部から出た情報が、ほぼそのまま徳野会長の認識になっているということが分かります。
しかし上の流れを見ると、亨進様が勝手にお父様を代身する立場に立ち、國進様や仁進様、あるいは幹部が協力して、お父様の願いとは異なる人事措置を展開しておられたことが見えてきます。
2009年にはこの後も、亨進様がUPF世界会長に就任してしまう(お父様は否定されるが、人事は撤回されず)など、重要な人事に関してお父様の意向が通らないということが続きました。虚偽の報告と人事権の濫用を通して、一体誰が「お父様の権威に挑戦」し、「クーデター」を起こしたのか、改めて考えさせられます。しかし冒頭で述べたように、当時は亨進様に対する信頼感が非常に高い時期でしたので、世界本部から出てくる情報を多くの指導者や食口たちが信じてついて行くことになりました。
上に私が述べてきたことは、顯進様を支持する人でなくても、理性的に考えれば理解できるのではないかと思います。こういった情報はインターネットを通していくらでも知ることができます。二年ほど前、私は家庭連合と顯進様支持の方々、双方の主張を整理して、松濤本部の太田朝久先生に「顯進様支持の方々の方が説得力がありますが、反論しないのですか?」という意味を込め、CARP会長を通じて提出したことがあります。しかしそれ以降、家庭連合側がこれに対して具体的な証拠に基づいて反論をしたのを見たことがありません。
その代りに、反論できないものに対して家庭連合が絶えず行ってきたのはイメージ戦略です。とにかく「分派」「お父様の指示に従わなかった」「彼らの主張はでっち上げ」というイメージを植え付けることで、食口たちがこういった情報に触れないようにさせるということでした。
2.2009年の徳野会長の「判断」について
上述してきたように、徳野会長は2009年に、180度異なる情報が錯綜する中で、当時のご自分の心境を以下のように語られています。
「何が真実かわからない。わたしもその3か月くらいは、どれが真実かわからないくらい戸惑った期間でした。ただ、幸いにも、わたくしの場合はお父様とお会いする機会が、その後もあったので、実際にお父様にお会いしました。もうお父様の判断に委ねるしかない、…(中略)…顯進様の今の信仰姿勢、あるいは在り方、活動のし方、これを良しとしているのか、だめだと思っているのか、良しとして肯定的に評価しているのか、いけないと思って評価しているのか、これに委ねるしかないと思って、わたしは訪韓しました。お父様にお会いしました。お父様は…(中略)…はっきり言われました。『顯進がやってることは先生の願いでも何でもない』と。」
当時の徳野会長は、お父様をすぐそばで支えられている亨進様と國進様が、後にサンクチュアリ教会を立てられるということは、夢にも思っておられなかったはずです。また、米国総会長の立場で顯進様との間に混乱が生じていた仁進様が、後に明らかになるように、すでに生活に問題を抱えておられたこともご存じなかったかも知れません。また、お父様のすぐ真横におられるお母様が、後にお父様の血統を否定されるようになるとも、夢にも思われなかったはずです。
今から振り返ってみれば、当時、90歳を間近に控えたお父様が、そういった周囲の方々から受ける報告は非常に歪曲されたものだったのではないでしょうか?今から振り返っても、当時、その方々がお父様に虚偽の報告をされていないと言えるでしょうか?
それにも関わらず、徳野会長は、「もうお父様の判断に委ねるしかない」と判断されました。これは「従順」と言えば聞こえはいいですが、「無責任」とも言うことができます。つまり、お父様にすべての判断を委ね、もしも失敗した場合には「私はお父様に従ったまでで、私には責任はない」という立場をとった、ということになります。徳野会長ほどお父様と近かった方が、どうしてそのような僕(しもべ)的な姿勢で判断をされてしまったのでしょうか?
ご自分で語られている通り、徳野会長は今に至るまで、「とにかく、お父様がこう言った」ということがすべての判断の基準であり、ご自分で事実を細かく探求されてはいないと思います。なぜなら「アメリカ統一教会の理事会を顯進様のグループが牛耳ろうとする試みがあったんです。」というのは、仁進様の総会長人事の経緯も含め、事実を少し探求すればすぐにわかる間違いであるにも関わらず、何の躊躇もなく発言されているからです。
3.統一家全体が陥った真の父母様の「神格化」問題
ここからは、2008年~2009年に、どうして上述のような当時の指導部の扇動が可能になってしまったのかについて、真の父母様の「神格化」という問題を指摘したいと思います。
キリスト教の信仰では多くの方々が、イエスは神であり、その神が受肉して人間の姿で顕現され、十字架で全人類の罪を贖ってくださったと考えています。そのようなキリスト教の信仰を正そうとしたのが『原理講論』であったはずです。キリスト論によれば、再臨主であるお父様は第三のアダムであり、完成されたとしても、あくまでも一人の人間です。
キリスト教の中でイエス様のイメージが神格化されていった如く、統一教会の中でもイエス様のイメージにお父様を重ねることで、お父様のイメージが神格化されていく傾向が間違いなくあったと思います。お父様のエピソードには、確かに時によってお父様が超人的な能力を発揮されたというものがあります。しかしそれがいつもではなかったし、神様のように全知全能ですべてを知っておられたわけでもないはずです。
自叙伝を読めば、少年時代のお父様も、一生懸命に勉強されなければ日本語を上手に話せませんでしたし、真理を解明するために日本に留学して勉強され、様々な経験を積まれる必要がありました。要は、初めから神様のようにすべてをご存じではありませんでした。
お父様に近かった指導者の方は、お父様と議論されながら、お父様が人の話をよく聞かれ、「そうか」と言って途中でご自分の考えを変更されるのを何度も見てきたと言われます。お父様も、側近の方々の情報をもとに判断されるのです。
次に、私達がよく視聴する1988年の神の日の祈祷では、
お父様、私も60代を越え、限界線が遠くない明日を眺めながら、70代へと綴られる人生の路程がいかに惨めか感じるときが多いのです。私が若かったならば、もっと大胆に世界に影響を及ぼしたろうと思う時……」
と祈られています。
自叙伝でも、年を取られてからは目が悪くなり、ご自分の足の爪が見えないのでお母様に切ってもらっているという風に語られています。
つまり、お父様は明らかに一人の人間としての限界を持っておられるし、歳を取られれば、それだけ若い時と比べて色々な面で能力も衰えて来られるということを認めておられるのではないでしょうか?
お父様のメシヤ性というのは、びっくりするような超人的な能力にあるのではなく、真の家庭を完成させ、四大心情圏と三大王権を完成させ、全人類が従うことができる先例を立てることで、地上天国の門を開かれることにあるのではないのでしょうか?それは、超人的な能力が一つもなくても、真の愛があれば可能なことです。それが、『原理講論』が打ち立てたメシヤ観ではなかったでしょうか?
私が今まで何人かのリーダーと話した際、「顯進様サイドの人は、お父様はもうろくして判断を誤ったと言って馬鹿にしている」と批判するのを聞いたことがあります。しかし私は、お父様も一人の人間としての限界を持っておられ、歳を取られれば能力も落ちてくるというのは、決して顯進様サイドの話ではなく、『原理講論』に基づいて考えた結果であると思います。ところが『原理講論』を学んできたはずの食口たちが、いくつかのエピソードの影響で、勝手に『原理講論』を離れ、お父様を神格化(全知全能で間違えることがない)して理解してきたのではないかと思うのです。
ですから多くの食口が、「(すべてを知っておられるはずの)お父様が、顯進様についてこう言われた!」という指導者の言葉に弱いのです。また指導者自身も、お父様を神格化して理解していた可能性が高いです。私が今まで議論してきた責任者も、私がいくつかの証拠を挙げながら話すと言葉に詰まり、最後には決まって「それでも顯進様がお父様の言葉に従わなかったのが問題だ」と答えました。
さらに、神山威先生はお父様とのやり取りを以下のように記録されています。
私も涙ながらに『お父様はどうして間違った情報や、それを報告する人を信じるのですか?』と真剣にお聞きしました。お父様はこう言われました。『先生は疑って人の話を聞くことができない。疑うということは堕落圏でのできごとだ……。騙された人、騙した人。神様からみたらどちらが正しいか!正しい立場の人を騙したらかならず審判をうける。蕩減しなければならない……』と。 私が『お父様に間違った報告がなされ、お父様から叱られると嫌な思いをしますが』と正直に尋ねますと、お父様は、『その環境を受け止めておけ。いろいろな問題を解決する蕩減条件と思って・・・。時が解決するから・・・。』と言われたのです。
「歴代会長及び有志代表による声明文」に対する反論その1より
これを見ると第一に、お父様は「疑って人の話を聞くことができない」ため騙されることがある、ということ、第二に、お父様は、間違った報告を受け誤解して人を叱ることがある、ということを認めておられることが分かります。
再臨主であるお父様を神格化して見つめがちであった私達ですが、皆様に以下のことを理解していただきたいのです。
- 90歳近くなられたお父様は、実際に周囲の方々のお世話を受けて生活せざるを得ない状況であったため、若い時のようにご自分で現場を視察し、事実を確認することができない立場でいらっしゃり、大部分は報告を通して知り、判断をされていたということ。
- 再臨主であるお父様は第三のアダムであり、あくまでも一人の人間であるため、当然ながら、全知全能の方ではないということ。
- お父様も老齢ゆえの能力の衰えはやはり持っておられたということ。
- お父様は再臨主として、嘘の報告であっても、「疑って人の話を聞くことができない」という信念をもっておられたこと。
- お父様も虚偽の報告ゆえに本当に誤解してしまうことがあったということ。
一般食口ならばともかく、徳野会長ほどの方であれば、以上のようなお父様でいらっしゃることを、ご存じだったのではないでしょうか?そうであるにも関わらず「もうお父様の判断に委ねるしかない」とは、「楽な方を選択した」と言わざるを得ません。本来ならば異なる情報が錯綜する中で、徳野会長ご自身が情報を精査され、お父様に事実を報告した上でご意向を伺うのが、子女としての姿勢ではなかったでしょうか?
実際には上のようなお父様であることを、徳野会長を含め、近くで侍る方々は経験上よく知っていたはずです。しかしその一方で、末端の多くの食口は指導者の教育によってお父様を神格化して見つめるようになっていました。
統一家全体のこのような状況は、サタンによって大いに利用される可能性がありました。もしも指導部の人々が邪な動機からお父様を利用しようとすれば、虚偽の報告を通してお父様から都合の良い言葉を引き出し、それを食口たちには「(絶対に間違えることのない)お父様がこうおっしゃった」と教育することで、全体を扇動することが可能になってしまいます。悔しいことですが、実際にそのようなことが起こりました。結果的に、お父様が「利用された」ということにもなりますが、これは決してお父様が無能だったというのではなく、「真の愛は、ある意味で非常に偽りに弱い部分がある」というのが、私の考えです。
結論:お母様の神格化が可能にした「独生女」論と祝福中心家庭の責任
2008年、2009年というのは、真の家庭と統一家全体にとって、基元節に向けて非常に重要な時期でした。その時、サタンが真の愛と原理を守られるお父様につけ込み、周囲の人々に侵入して摂理的クーデターを起こしたのです。
しかし今、お父様が神山先生に語られたように結果が表れてくる時だと思います。
騙された人、騙した人。神様からみたらどちらが正しいか!正しい立場の人を騙したらかならず審判をうける。蕩減しなければならない……」「その環境を受け止めておけ。いろいろな問題を解決する蕩減条件と思って……。時が解決するから……。
混乱から8年が経った今、お母様までもがお父様の血統を否定される発言をされるようになりました。一方で、誤解と妨害を受けながらも顯進様は模範的な家庭を築かれ、その活動は世界的に驚くべき摂理基盤を築かれました。誰もが冷静に振り返れば、何が真実だったのかがわかる時になってきています。
徳野会長は統一運動を代表する指導者の一人として、2009年に「お父様の判断にすべてを委ねる」という「選択」をされました。その結果、「お父様がこう言った」という根拠の下に、当時は亨進様からの情報を信じ、お父様の聖和後はお母様を信じて歩んでこられました。また、食口たちも徳野会長の判断を信頼し、従いました。ところが今、亨進様は去られ、徳野会長ご自身がお母様の「クリスマス発言」によって追い詰められています。
家庭連合はお父様を再臨主として信じればお母様の発言を否定することになり、お母様を信じればお父様の血統を否定することになる、という絶対矛盾に陥っています。なぜ、このようになってしまったのでしょうか?
基元節までの路程において長成期完成級に該当する2008年~2009年、統一家に巧妙にサタンが忍び寄っていた時に、その分かれ道において徳野会長のされた「選択」が正しくなかったために、今日、たどり着いた先が「クリスマス発言」による行き止まりになっているのではないでしょうか?
徳野会長は今、お母様に直接侍られながら、お母様をどのように見つめておられるのでしょうか? 統一家全体がお父様を神格化する傾向があったため、妻であるお母様に対しても神格化してとらえる傾向があります。しかし原理から見て、お母様は今、真の家庭を完成させるための責任分担を遂行される過程であり、率直に言って、成功することも失敗することもあり得る立場にいらっしゃいます。
お母様の「独生女」発言を、誰もが原理的に理解できないと感じながらも、なぜ何も言わずに今日まで来てしまったのでしょうか?これも、お母様に対する神格化の傾向が大きく作用しています。神格化してしまうと、「お母様が仰ったのだから」と、お母様にも5%の責任分担があるという事実を見失ってしまいます。徳野会長は、真の子女様たちの5%だけでなく、お母様の5%も認識すべきです。
顯進様は、何度もお父様と言い争われた姿を通して「不従順だ」と非難されて来ましたが、実はそうではないと思います。顯進様はお父様が虚偽の報告ゆえに重要な判断を誤ってしまわないように、お父様と意見がぶつかっても食い下がって意見をされたそうです。そして今も顯進様は、お母様に真の母として勝利していただきたいという孝の心情ゆえに、「独生女」論に対しては断固として反対し続けておられるのです。これは、本当の孝行息子の姿であり、カインの子女である祝福中心家庭が見習うべき姿勢ではないでしょうか?
ちょうど一年前の2016年3月、全国の青年指導者の会議で徳野会長は、「私は宣言します。天はお母様をお父様と同じ基準において準備された、という確信を私は得ました。」と語られました。これはお二人とも無原罪ということでした。しかし今や、お母様の発言は「お父様は原罪あり、お母様は原罪なし」です。徳野会長が一年前に得られた確信は、お母様を神格化したところからくる、盲目的な確信だったのではないでしょうか?
2014年7月1日にお母様が初めて「独生女」に言及され始めた当時から、もしも徳野会長が顯進様のように、真の息子としてお母様を見つめ、率直に質問し、話し合っておられたとすれば、今日、お母様がお父様の血統をハッキリと否定されるところまで、「独生女」論はエスカレートしなかったはずです。しかし今からでも遅くはないと思います。重要なのは私のような下っ端の叫びではなく、母の国の会長である徳野会長の決断です。
人間の堕落において「善悪を知る木」であるエバが鍵を握っていたように、今日においても間違いなく真のお母様の立場が重要です。そして「独生女」論は大きな分かれ道です。霊界のお父様は「独生女」論を語られるお母様に何と言われているでしょうか?お母様にも5%の責任分担が間違いなくあります。歴史をかけた天宙史的な戦いにおいて、徳野会長がその重責を全うされることをお祈りしています。
2017年3月31日
CARP北日本ブロック長 Yoshioka Shunsuke