元本部家庭局長 櫻井節子
先日、本部より、私に関する公文が出されました。
このことで、祝福家庭の皆様には、少なからぬ不安やご心配をおかけしたとするなら、大変申し訳ないと思います。
また、本部としましても、立場上こうした公文を発信せざるを得なかった事情も、ある程度は理解しているつもりです。
私も長い年月を教会と共に生きてきました。教会組織を守りたい思いは人一倍大きいものがあると思います。 しかし、私たちには教会組織以上に何よりも大切にしなければならないものがあるのではないでしょうか。 それは言うまでもなく、神様のみ旨であり、真の家庭であり、食口たち一人一人の霊的生命です。 この間、食口の皆様にお伝えしたいことが山ほどありました。 しかし、そういった内容が現場でご苦労される食口の皆様に重荷を背負わせることになりはすまいかと思うと躊躇したり私もそれなりに言動を慎んできたつもりでした。 昨年秋に発信した書簡を最初で最後にしようと思っていましたし黙っていることで事態が好転するのであれば、そうすべきだとも考えました。 しかし、教会全体に、あまりに事実とかけ離れた情報や誤解が広がっていく様子を見つめながら、今一度、口を開きペンをとることにしました。
善悪が交錯し、全く真逆の情報が飛び交う時代です。私自身も無条件、自らの主張があくまでも正しいと固執するつもりはありません。
しかし、少なくとも、真実を追求し天の御意を尋ね求めようとするならば、曖昧にすることはできず、また、どうすることが先輩家庭としての責任を担うことなのかを真剣に真剣に考え続けました。 公文が記すように、私の言動が、本当に神様の御意に反するものであり、食口たちの霊的生命を脅かすものであり、多くの人々を誤った方向に導くものであったのかどうかは、どうぞ皆様御自身がその目で確かめ、清い良心と深い祈りを持ってご判断いただきたいと思います。
最初の書簡
昨年11月、私が何人かの方々にお送りしそれが全国に広がっていった書簡文は、私が祈りに祈って書いたものでした。
多くの方々にとっては、突然のことに思えたかもしれませんが、私にとっては、長い期間考え続けて来た内容であり、まず何人かの責任者の方々に思うところを述べ、解決の道を開いていただきたい旨をお話して来た経緯もありました。
しかし、教会も組織である以上、責任者もまた、組織としての判断に立たざるを得なくなり、中心者の判断が真実となり、組織の判断が善とならざるを得ないのでしょう。 しかし、私たちは信仰を持つ者たちです。 何が正しくて、何が誤りなのかは、真理と神霊によって、御言と祈りによって謙遜に尋ね求めることが大切なのではないでしょうか。
疑問を抱くことをやめ、天に問うことをやめ、祈り求めることをやめてしまっては、信仰共同体ではなくなってしまいます。
私が最初の書簡に記したことは、私自身が長年の悩みと祈りのなかで至った結論でした。 無論、それが絶対に正しいとは言いませんし、それが教会組織の現時点における公式見解と異なっている箇所があることも自覚しています。 しかし、「見るな、聞くな、触れるな」ではなく、「見て、聞いて、触れて」判断すべきであると思うのです。 私はあの書簡を決してお母様批判や教会批判のつもりで書きはしませんでした。
もし、まだこれを読んでおられなかったり、あるいは単なる一方的な偏見で判断しておられるなら、どうぞ今一度、何を言わんとしているのかを、真っ白な思いをもって読み返していただきたいと思います。
UCI行事に参加するまで
2017年1月、私は韓国で顯進様が行われた真の神の日の行事に参加してきました。 責任者の方々の強い反対を押し切ってそこに臨んだのは事実です。
それは私にとっても、決して容易な決断ではありませんでした。 昨年書簡を出して以降、私は本部より謹慎を言い渡されておりました。
公的集会で語ることは一切認められず、本部で特別に開かれるようになった教理担当の方々との月1回の勉強会だけが唯一許された発言の場となりました。 ただ、私は教会の公式見解に異論を唱えた立場ですから、それも寛大な処置だったのかもしれません。そこには、心ある方々の口添えや責任者の方々の配慮もあったと感じています。
私としても、勉強会を通じて、本部の責任ある方々と共に率直な議論を交わすことが大切だと感じ、更なる行動に出ることなど当初は考えていませんでした。 しかし、この度の韓国での集会が、これまで8年間ひたすら沈黙を守り、深い祈りと精誠の期間を越えて来られた顯進様が、新たな出発を期する場として、先輩家庭や二世たちを呼ばれていると知った時、ただ組織が違うとして一蹴してしまっていいのか、上から許可が出ていないとして無視してしまっていいのかと、とことん悩み祈り続けました。
その間責任者の方々からは、「お父様が顯進様に対してこう言ったんだ、ああ言ったんだ」という話を多くうかがいました。 しかし、私もお父様に直接侍る機会が多かった立場です。 カインの言葉や報告によって、お父様がああもこうも言われるのを見てきました。 だからといってそれは決してお父様の絶対性を否定するものではなく、親として、子女たちの言葉を信じようとするものであったと思います。 メシアは真の愛の勝利者であられ、それ故時には誤解もし、あるいは騙されることだってあるでしょう。 だからこそ侍る者の姿勢がとても重要なのです。 無論、周囲にそこまで誤解させたのだとしたら、顯進様に非がないとも言い切れません。
しかし、そのことと神の御意がそこにあるかないかは別の話です。 また、責任者の方々からは、「顯進様はああなんだこうなんだ」と問題点を指摘するような話も多く聞かされました。 しかし、それを語る方々のうち、誰一人、今の顯進様に直接会い、その姿を見て来た人はいませんでした。 いずれも8年前の教会側の主張を繰り返すだけなのです。
顯進様は「私を知るには、私が何を語り、何をしてきたかを見て判断してほしい」と言われて来ました。 イエス様も語っておられます。「我が語る言葉を聞き、我がなす業を見て信ぜよ」と。 私は顯進様の言動に共感を覚えましたが、しかし、直接顯進様のお人柄や今のお姿を知っているわけではありませんでした。 私が責任者との話し合い(激論と言った方が正確な時もありました)の末、あらゆる反対を押し切ってまで渡韓した理由は、「行かなければ何も分からない」と思ったからであり、また祈るなかで「行け!」と押し出す強い導きを感じたからでした。
韓国で見た顯進様の姿
韓国で目にした顯進様の姿は、昔と何ら変わらない、いや、むしろ昔以上に、神様を愛し、父母様を愛し、御旨を愛する、そうした真剣そのもののお姿でした。
私が参加したのは真の神の日と愛勝日の行事だけでしたが、それだけで、顯進様の心情世界の深さを思い知らされました。 事細かに伝えることはできませんが、最も印象に残ったことは、姜賢實先生のことに触れられた時の顯進様のお姿でした。
「父母様とあんなに長く共におられた方が、そんなに簡単にお母様を見捨てられるのか、そんなにも簡単に真の家庭を捨てられるのか」と泣かれたお姿でした。 「私はお母様を諦めない、私は真の家庭を諦めない」と語られる姿に、私は顯進様の真実を見たような思いがしました。 そして、言われました。「中途半端にお母様批判をしたりしてお母様を辱めてはならない。 誰かを批判する必要もない、ただ私を信じてついて来てほしい。私は必ず、真の家庭の本来の姿を取り戻す」と。
教会ではこうした内容についても、詭弁だとか演技だと言うのでしょうか。人には霊性があり、真実とは魂で感じるものです。 私はこれまでの信仰生涯において、たった一度も、分派や霊的問題に引っかかったことがありませんでした。 何故なら、彼らが語る言葉が原理から外れているばかりか、その背後の動機が、真の愛に立っておらず、私心があり愛の減少感や恨みが根底にあることに気付かされたからです。 しかし、顯進様のなかに見たものは、教会で言われ続けて来た、そうした顯進様像とは無縁のものでした。 顯進様についてよく言われて来た事は強くて外的で恐れを知らない人、どちらかというと独りよがりなイメージがあったと思います。 しかし、私が見たものは、始終目頭を熱くされ、泣かれ、涙をぬぐわれる、内的で心情的なお姿でした。 また天を思い、天を慕い、父母様を愛し、真の家庭と祝福家庭に責任を持とうとされる、一貫した天の孝子としての顯進様のお姿でした。 時には優しく、また時には厳しく叱責される姿を見ながら、迫害期にあったこの7、8年間、この方は本当に祝福家庭の為に祈って来られたのだということを肌身で感じさせられると共に、私たちはこの方を、何の事情も知ろうとしないまま、打ち続けてしまったのかという何とも言えない心苦しさと罪深さの自覚でした。
そして涙で祈られた祈りがどれほど心情的で切実な祈りであったか知れません。 神様が共におられるということを感じずにはいられませんでした。 また、私はその期間、うちから込み上げてくるような懐かしさをも覚えました。 真のお父様の香りを感じさせられたからです。
フィリピン大会で感じた希望
韓国では内部向けの集会を、フィリピンでは外部に向けた大会を行うということで、この二つの行事を見れば、顯進様が何を成して来られたのかが分かるというのが私が聞いていた説明でした。 そのため、私は韓国行きを決めた時、同時にフィリピン大会までは見てみなければと心に決めていました。
無論、責任者の方々には良い顔をされるはずがありませんでしたが、むしろ私はこの機会に、是非国家メシアなり、先輩家庭なり、巡回師の方々なり、分別のある方、原理的に揺るがない方々を一緒にフィリピンに送っていただきたいともお願いしました。 反対しているだけでは、何の事実も見えてこないからです。 第一、現場を見もしないで何をもって「問題だ」と批判できるのでしょうか。 フィリピンにおける大会の重要なテーマは南北統一による世界平和でした。 韓半島の分断は国際社会によってもたらされたものなので、これを解決するにも、国際社会の協力が不可欠であるとして、アジアでもう一つのキリスト教国家であり、韓国動乱を共に戦った国、古くから韓国と親交のあったフィリピンを足場として、南北統一に向けた一大イベントを開催するようになったと聞きました。
私が参加したのは3500名の有識者を集め、3泊4日に渡って行われたGPC2017(グローバルピースカンファレンス)及び韓国から有名歌手グループを招請して一万名の若者たちの熱狂的な大歓声のなかで開催されたONE K グローバルピースコンサート、そして同じく一万名の青年たちを集めたグローバルユースサミットの3つでした。
全て英語で行われた、これら3つのイベントの内容を私には未だに正確にレポートすることはできませんが、何よりも私が驚いたのは、全員が自ら会費を支払って会議に参加し、自分たちの会議という自負心を持って集まって来ているという事です。 そして、親のような歳格好の元大統領、大実業家、学者たちまで、顯進様に敬意を払い、先生を慕う生徒たちのように、フロアに顯進様が姿を表わすと、すぐ周りを取り囲み、親しく談笑し合う熱いその情景を見ながら、「ああ顯進様はこういう方々を基盤として、本気でお父様の夢であった天一国の実現を成そうとしておられる」そういう真実でした。
あれほどの凄まじい非難や迫害の真っ只中にあって、黙々と歩まれ、これだけの基盤を築き上げて来られたのです。 真のお父様がPWPA、IIFWP、UPF等々数多くの組織体を興し平和世界を実現しようとして来られた夢が今こうして蕾をつけ花をつけまさに一斉に咲きほころうとしているのです。
私たちが認めようと認めまいと社会の人々はこの方こそ南北統一の為の歩みの先頭に立ち、世界平和への道を必ず切り拓いていかれるに相違ない、という夢と期待を顯進様に寄せておられるのです。 南北統一はお父様の生涯をかけた悲願でした。 もし、お父様がこの場におられ、これをご覧になったとしたら、どうお思いになられるでしょうか? 顯進様は自らの立場を代弁する代わりに、黙々と摂理的基盤を築き、それらを天に捧げることによって、神様と父母様に対するご自身の変わらぬ愛と忠誠を示し、貶められた父母様の名を高めようとされる、必死なるお気持ちが伝わって来る思いでした。
神山先生の聖和式と追慕礼拝
神山先生という方は、正直で純情で、正義感に溢れた方でした。 気性の激しさから、時に血気に走りやすい所もありましたが、苦労を厭わず、常に御旨の先頭に立たれ、奉仕と犠牲の道を実践されました。 更に特記すべきは、先生は誰よりも御言を愛し、御言に生き、御言に死すことを目指して歩まれた方であったと思います。 そんな神山先生が「顯進について行くな」というお父様のいいつけを破ったと言う一点でこの間多くの非難を浴びてきました。 無論、行き過ぎた表現や言動によるところもあったと思うのですが、しかし晩年、日々衰えていく病床生活にありながらご自身が知ったお父様の愛と御言を後世に伝えるのだと、最後の最後の瞬間まで来訪する人々に証し続けられました。
そして、そのような死の床から神山先生が命懸けで兄弟姉妹に残したかったこと―それは真の家庭の一体化及び顯進様の真実に関する内容でした。 現時点においては、それらも、残念ながら、教会に反する分派集団の戯れ言、組織を脅かすとんでもない爆弾の如くに、一蹴されてしまうのでしょうか。
しかし、人がその生涯を終え、永遠の世界への旅立ちに際し、聖和を悼むことは、共にみ旨を歩んだ兄弟姉妹として至極当然のことであると思うのです。 私は昨年12月、アメリカで行われた神山先生の聖和式に参加しました。私たちは同じ43双として祝福を受けた者たちであり、しかも神山家と櫻井家は三位基台でもあったからです。
当初、私は故人のたっての願いであるとされた原殿での代表祈祷を自ら辞退しました。責任者の方々からそれを担当しないようにという指示を受けていたからです。 今回、日本で行われたのは、100日の追慕礼拝でした。 私はこれに先駆け、責任者の方から「その追慕礼拝はUCI側の啓蒙集会になるのだから絶対に参加しないように」と言われました。
しかし、組織の話と追慕は別です。私は、教会で公式的に行うことが難しいのであれば、家庭会等で行うことはできないものかと本部側に進言もしました。 何といっても神山先生が残された功績は多大なものがありますし、先生の考えや主張に同調できなくとも、その生涯を讃え追慕したいと願う兄弟姉妹は少なくないに相違ありません。 たとえ戦時中でも、互いの死者を弔うために休戦することもあったと言われます。 組織としては難しくとも同じ祝福家庭として、真心から追慕の一日をもってお送りしたいというのが私のたっての願いでした。 しかし、こちらの願いとは裏腹に「追慕礼拝には絶対に参加しないように」、「勧誘があった場合は直ちに本部まで通達するように」といった旨のあまりにも厳しい公文が出されました。
私は思い余って、同じ43双の方々に手紙を送りました。 「皆で参加して祈って差し上げましょう。責任者の方々に参加させていただけるようにお願いしましょう」と。 そのことがそれほど大変な問題だったのでしょうか? 私にとっては、教会は組織である前に兄弟姉妹の共同体であり神様を中心とする兄弟姉妹であればたとえ一時各々の立場が変わり、考えや思想を違えたとしても、教会から遠く離れてしまったとしても、祝福によって結ばれた永遠の家族たちなのではないでしょうか。
また、私が代表祈祷をせざるを得なかったのは、あの凄まじい公文を見てお役を担当すべき人々が、次々に辞退してしまったからでした。 そして私はそのこともあらかじめ、本部にご報告してから追悼式に参加させていただいたのです。 様々な事情から追慕礼拝に参加できなかった方々の為にお伝えします。 本部ではこれを問題視し、あちらの宣伝のための集会なのだと断定されましたが、追慕礼拝はひとえに神山先生という、神様を愛し、父母様を愛した一人の兄弟の歩みを共に偲ぶ心暖まる式典だったのです。
最後に
今や、今日まで神様のみ旨も分からなかった、外のカイン圏の人々が集い始めています。
顯進様を通じて神様のみ旨が何であり、真の父母様がどなたであるかについて、人々は気付き始めています。
一教団の教祖としてのみ崇敬される父母様像でなく、人類一家族という神様の夢の実現に生きた、「人類の真の父母」としての父母様の位置と威信とを回復させようと今、顯進様は必死に歩んでいらっしゃいます。
しかしながら、父母様に最も近い内側のカイン圏、子女様方の実の弟妹の位置にある祝福家庭には、そういった顯進様の歩みの真実が隠されてしまっているのです。 こうした事実が広く統一家に伝えられ、理解されねばならない、私は祝福家庭の一人として、真の家庭をお支えすべきカイン家庭の一員として、この事実を祝福家庭の皆様にお伝えしたい、それが今回この書簡を記した理由です。
どうすることが真の父母様を愛し、侍ることなのか。 どうすることが神様のみ旨を成就し、ビジョン2020を成就することなのか、何卒、真剣にお考えいただき、祈っていただきたいと思います。 私も更にこのことを祈り、残された人生を自らが真実だと考える通りに生きて行きたい、そのように思います。
2017年4月8日 櫻井節子