再臨主の聖和後わずか数年で、真の家庭も家庭連合も分裂しました。かつて「キリスト教の統一」を標榜した再臨運動に、何が起きたのでしょうか。「新しい真理」とは、かくも無力だったのでしょうか。ところが気がつくと、天の父母様聖会はカトリックと同じ轍を踏んでいるようなのです。
キリスト教はその出発から、教理解釈を巡って分裂を繰り返してきました。
カトリック教会では神の独り子を誕生させた母親に罪があるのはおかしいと、聖母マリアを無原罪にしています(無原罪の御宿り)。
統一原理では聖母マリアが受胎の過程で示した絶対信仰を讃えますが、その後ザカリアの家庭に留まらず責任を果たせなかった失敗を明らかにしています。
またマリアの胎中は聖別されていても、マリア本人は無原罪ではありません。
胎中聖別は聖書の謎を一貫して説明する、画期的な理論でした。
しかしキリスト教の聖職者や神学者で受け入れる人は、ごく僅かでした。
とりわけカトリック教徒は、「マリアは責任を果たしていない」と聞くや心を閉ざしてしまうのです。
全く同じことが、独生女を支持する食口にも見られます。
このブログでも、真の母という位置に立つ女性に責任分担があったことを繰り返し主張してきました。
神様は人間の責任分担に介入できないという原理から、将来起きるできごとについて相反する預言をされることがあります。
「第三のお母様」と呼ばれた方も同様であり、全てを果たして完成したかのように讃えるみ言葉もあれば、真の母として責任を果たせないとどうなるのか呪いのようなみ言葉もあります。
教理研究院は前者だけを引用し、分派と呼ばれる兄弟姉妹は後者のみを引用します。
「第三のお母様の責任分担」という原理的観点からは、どちらかが成就してどちらかが成就していないと解釈するのが正解です。
私の眼から見て、天の父母様聖会はカトリック教会と同じ轍を踏んでいるように見えます。
先祖解怨・祈願書という免罪符に収益を依存し、度重なる改革の呼びかけを封殺し、無原罪ではない人間を無原罪だと教理化しています。
教団としては存続するのだとしても、復帰摂理の器として放棄される運命は免れないのではないでしょうか。
いま聞く耳のある魂は幸いです。
真の母について、祝福と呪いの相反するみ言葉があります。
真の母が呪われるなんて想像するだけでも罪深い、縁起でもないと、感情的な拒絶反応を示していないでしょうか。
キリスト教を統一する原理を学んだあなた自身が、カトリックと同じ轍を踏んでいないでしょうか。
神様は、聖母マリアを無原罪と教理化した行動を全く評価されていません。
独生女を神格化する教理研究院の行動も、摂理歴史の汚点でしかないのです。
参考記事
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