コスタリカ在住 20 年。動画「お母さま、そっちは崖です」を制作している薬師寺さんの体験をご紹介します。

 

…お互いに 70 歳になってみると、時々二人で道を歩きながら「英語も話せないようなのが無謀にも地球の裏側にきて、飢えもせず生きてる、1 歳だった子供は今 21 歳、奇跡としか言いようがないね」と話します。そして胸に湧き上がってくる感謝を噛みしめます。このペアだったからスリル満点の 20 年を生き抜けたと、神様とお互いに感謝するのです。

コスタリカに来ても日本にいた頃のまま、伝道は自分がやるのだと思っていたものですから、現地語もろくに使いこなすことができない私は、ここで半分諦めながら伝道してきたと思います。最近、それは全然違うなあと悟るようになりました。伝道は神様がされます。

薬師寺家庭の集会や名節儀式に、時々参加してくれる人のことを考えてみたら、勇んで電話がけをし、チラシやイベントで伝道した人は過ぎ去っていって、ほとんどの人が身近な生活圏で因縁を持った人ばかりでした。

雨漏りを直してくれる大工さんだったり、主人の指圧院の患者さんだったり、折り紙アクセサリーのファンになってくれた人だったり、その従弟だったり、翻訳が必要で探し出した翻訳者だったり…、原理を勉強した・しないにかかわらず、時々送る手作りビデオやみ言葉画像に相対してくれます。やがて自然に巡ってくる出会いがあり、神様は待ってましたとばかりその人のための道を私たちに準備させるのです。

中には、おそらく何かがあって悔い改めの言葉を伝えてくる人もいるのをみるにつけ、そうか、神様こそ最高の教育者だったと改めて気が付くのです。

唯一、何の因縁もなく自ら来た人がいます。
私たちが FPA に来てから、家庭連合を脱退した家庭だということを知った上でやってきた家庭連合の若者です。

彼は、家庭連合が何かおかしいと気づき始めてから自分でいろいろな情報を探したといいます。独生女のことは知っていました。他にも情報は意外とたくさん知っていたように思いますが、主にサンクチュアリのビデオから得たものが多いようでした。

「コスタリカに正しい情報を得られるところは他にないのか」と聞くので、私たちは「ここ以外にはない」ときっぱり言いました。

コスタリカ人の霊の孫が援助に来てくれたおかげで、彼に顕進様のこと FPA のことを伝えることができました。彼は薬師寺家庭の集会に参加することを約束して帰っていきました。

その時、気になることが起きていました。
彼が我が家に到着する直前、家の前の道で男の人が倒れました。赤十字の車が来て、ずうっと心臓マッサージをしていました。そんなことを横目で見ながら私たちは彼を迎えたのでした。

話が終わって彼が帰っていくとき、その男性には、頭から白い布が被せてありました。

わたしはヒヤッとしました。これは私たちに対するメッセージだと感じました。同時に瞬間的にある体験が頭の中で結びつきました。

「お母様、そっちは崖です」のビデオを作る時のこと。

私たちは長い間、天宙史的葛藤のテーマに取り組むのを葛藤していました。でもやはりこれを扱わないわけにいかないと、決心したのです。

それで携帯のカメラで撮影するので三脚が必要になり、それを買いに行った帰り道のことです。バスに乗り、私が窓側に息子が通路側に座りました。中心街に入る交差点で一台の乗用車が私たちがいる座席に向かって突っ込んできました。バスが高かったので大丈夫だったのですが、もし私たちがタクシーとか乗用車に乗っていたらおそらく潰されていたと思います。

サタンは天宙史的葛藤のテーマに取り組もうとする新参者を死で脅し、一人の若者が FPA側にこようとすると死の代価を求めた…私にはそんなふうに感じたのです。

天宙史的葛藤に死がまつわってくるのは、これがどれだけ生死(肉的・霊的)をかけた闘いかを悟るべきだったからではなかろうか…、顕進様が超えてこられたのがまさにこういう戦場だったにちがいないと思いました。

原理講論訓読の 21 日精誠期間は、神様の切々とした願いを聞く時であり、あまりにも分かっていなかった自分に呻吟する時であり、人間の 5 パーセントの責任を痛感するそのような時でした。それはまた、戦場で勝利された顕進様の勝利圏伝授式だったような気がします。

原理を学ぶことは私たちが霊的命綱を掴むことだと感じました。

 


薬師寺家庭が作成していらっしゃる「お母様、そっちは崖です!」はこちらから。

カテゴリー: マイストーリー

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