家族と一つになって問題を解決するのが前提
私の家は、家族で一つになって行動することを重要視しています。2018年に家族で家庭連合から退会し、FPAに入会しました。
家庭連合時代、私自身は、中高生時代にはJr.STFを通過し、その後、青年のサブリーダーを経験して来ました。父はカープ出身で、原理の講義が出来るので、私がいた頃の小学生礼拝と中高生礼拝の原理講師をしており、母も伝道された人の教育係をしていたので、父をサポートする形で二世教育に携わっていました。
元々両親は、原理に基づいて摂理が進んでいるのかを注視するタイプでしたので、2000年初頭から徐々に献金摂理が中心になっていく教会のシステムに両親は違和感を持っていました。
ですから、家庭中心の時代だというお父様の御言葉を受け、教会では祝福家庭を築く上で最も重要な二世の教育を中心に活動していました。
顯進様が投入して下さったその当時の二世教育は、活気に溢れていました。私は顯進様の教育プログラムであるJr.STFに参加し、父母はFEを担当しており、大人数の教会だった事もあってか、二世も父母も活気がありました。
ただ、私も成長していくにつれ、教会が家庭中心ではなく、組織中心の方向に進んでる気がする事も多々ありました。 家庭間で起きてる問題にも関わらず、当人同士で話さないまま、教会に来て献金をし、アベルに報告し、条件を立てれば解決する、といった風潮が少なからずあり、何かあればまず家族に話すことが習慣だった家で育った私は、「話さないと分からないのに」と子供心に思っていました。
自分が神様と縦の関係で一体化していて、責任分担がどこにあるのかをちゃんと知っておく事が重要
私は一人っ子でしたので、私一人に家系の氏族メシアの復帰が託されていると思っていました。また、それに対する自分への責任の重さはそこまで負担に思っていませんでした。単純に親や親族に愛されて育ったので、すんなりと受け入れられたのだと思います。
私が幼い頃、母は宣教で南米に行きました。私は根本的な寂しさから不安定になったこともありましたが、母は日本にいられるときには、私のそばにいて、愛の減少感を解消できるようにと根気強く接してくれました。
そういうこともあって、私は自分が祝福二世であるというアイデンティティ自体が嫌になるということはありませんでした。世間から離れた孤独な道ではなく、そこには絶対に家族がいてくれるという安心感があったからだと思います。
私は教会に行く動機は、友達に会いに行くというよりも、一週間の心情を整えるため、という方が強かったです。小学生の時はそれこそ礼拝よりも友達と遊ぶ事の方が頭にはありました。また中学生の時は部活で忙しくて、教会の日も練習試合があって行けない等、教会に通うこと自体から離れていた時期もありました。教会に行けない時は父母からの講義を受けて家庭でシェアリングをしたりしていました。
そのおかげで、大事なのは教会に行くこと自体ではなく、自分が神様と縦の関係で一体化していて、責任分担がどこにあるのかをちゃんと知っておくことだと知りました。
二世たちの中には、親が「教会にとりあえず行かせれば何とかなる」と思って送られてきたような、ムスッとした子たちがいます。私はそういう子たちとはどう接したらいいかはわからなかったです。それは、教会でどう復興したとしても、そもそも家族関係がうまくいっていないのであれば、根本的に意味がないのではないか、と思っていたからです。教会でいくら私たちが姉として愛を注いでも、親にしか出来ない事はたくさんあります。
原理と照らし合わせて読んだ時、顯進様の方が正しいと感じた
兄弟姉妹との心情で教会につながる子もいる事は分かってますし、そういった心情文化も絶対に必要です。しかし、私はどうしても兄弟姉妹関係の前に、家族の愛が必要だと思いました。 その事をどうしたら分かってもらえるか、当時から考えており、他のオンニや同い年の兄弟姉妹達とは、一世中心のこの組織を、より良くするには?といった議論を繰り返していました。
そのような状況の中で、母が櫻井夫人の動画を偶然見たのだそうです。以前から両親の間で、お母様の方向は正しいのか…?と言った話し合いはしていたそうなので、その動画をきっかけに櫻井正実会長の天宙史的葛藤に関する講義を聞き、21日間条件を立てて、様々な資料を集めて、原理と照らし合わせて読んだ時、顯進様の方が正しいと感じたそうです。両親で一緒に動画を見て、父は泣きながらこちらが正しいと思い、二人でまた条件を立て、最後に私に伝えてくれました。
祝福は、相手を選ぼうという動機で受けるものではない
その当時、私たち家族は家庭連合の祝福講座や父母同士の会に参加していました。候補になる人はいっぱいいるけど、どうしても家族に対する信仰観が合いませんでした。摂理をあまり理解していない二世や、とりあえず祝福を受けさせたくて…と言った親が多く、それでは祝福を受ける意味が分かってないのでは…?と感じてしまいました。
両親は、そもそも今の教会が間違っているのだとしたら、二世のもっとも重要な「祝福」を、そのまま受けてしまうのは危ないのではないか…?と考えたそうです。もちろん祝福を受けることは大事ですが、摂理として正しい方向に行かなければならないという大前提があってこそです。
母とFPAに入会するか否かについて話し合った際、母は、「祝福を受けるタイミングが遅くなるかもしれないし、相手がもしかしたらいないかもしれないけど、いい?」と聞きました。私も顯進様の動画を見たり、学んだりしており、FPAの理念に疑いはありませんでしたが、確かに周りには知り合いもいない状態になるし、家庭連合よりも祝福候補になる相手の人数自体が少ないかもしれない、そもそもFPAの誰かに話を聞いて入ったわけではないので、二世がいるのかさえ知らない状況でした。
しかし、私はそもそも祝福は、相手を選ぼうという動機で受けるものではないと思っており、自分の良心に従って、神様が願われる方向に正しく導かれたのなら、そこにこそ自分に用意された相対者がいるだろうと思いました。
原理にのっとって正しい方を向いているかを確認する
FPAのことを伝えた時に家庭連合の方々が一番悩むのは祝福のことだと聞きます。家庭連合ではすんなり祝福を受けられるのに、FPAに来ると適齢期が過ぎて祝福を受け入れてもらえないのでは、と心配する人もいました。
しかし祝福はただ受ければ良いということでもなく、受けた先でどんな祝福家庭を築くかが大切だと思います。家庭連合で祝福を受けていたとしても、家庭連合の方向性に疑問を抱いてる時点で、後々信仰観の歪みが生じてしまうと思います。それなら、時間がかかってもいいから自分たちの良心に従って、正しいと思っている方向に行こうと思いました。
我が家は原理にのっとって正しい方を向いているかを常に確認すると母が言っていました。「知り合いから誘ってもらったから」とか「友達もいるから」など、周囲の影響で物事を判断する人も多くいましたが、私の家庭ではそうではありませんでした。家族間で、今正しい道に行っているかをしっかりと考えます。もちろん家族間で話し合えば必ず正しい方向に進むわけではありません。一人一人が神様とアラインしている必要があります。その上で、一体化している家庭に神様は働かれるのだと感じています。
一時期、お母様の御言や教会に疑問に持っていた家庭も、今は普通に受け入れて家庭連合で生活している方々もいます。何が正しいのか分かりにくいように、どんどんと浸透してきてしまっているのを感じました。 私たちは何を中心とすべきだと学んだのか、今この瞬間、私は神様に何を願われているか、やり方は家族形態や個人に与えられた個性により様々ですが、神様を中心とした摂理を進める家族として、同じ正しい方向を向きながら歩めたらいいなと願っております。
より深く真実を知りたい方は、以下の動画を御覧ください。(概要欄の目次のリンクをクリックすると途中から見ることもできます)
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