祝福家庭の声明文

真実の前に沈黙を破って

元北米大陸会長 金炳和 

 秋の果実がたわわに実る収穫の季節となりました。しかし、不安な国内外の情勢と混乱した摂理の季節は喜びではなく悲しみが、歓喜より煩いが、私たちの胸の片隅を押さえ付けています。

 「いつも戻って来る季節は私に夢を与えますが、成就することのできない夢は悲しい、私を悲しませます」

 10月になると誰もが一度振り返る「忘れた季節」の歌の一節です。

 私は10月に祝福を受け、10月に長男を授かり、3年前の10月には愛する妻を天国に送りました。10月は私に大きな夢を与えてくれましたが、再び訪れた10月は忘れた季節、忘れたい季節になってしまいました。

 45年間、み旨一筋に牧会と宣教の開拓地で滅私奉公の心情で多くの国境を越え、時には国家的な迫害を受けて監獄生活もしながら、苦難を共に歩んだ生涯の伴侶、妻を失った10月、「清海清心、萬世香花」正海の清い心は萬世に長く輝く香りの花であれ…真のお父様が、彼女の孝心をご覧になり、尊い揮毫をくださった妻の聖和3周年がいつのまにか10月20日に近づいています。

 美しく変貌した落ち葉が風に舞い消えるこの季節、個人的にも胸の痛む感性に濡れますが、生涯、お父様の教えとみ旨に従い、天のごとくに侍ってきた真の家庭から聞こえてくる知らせが私たちの胸をさらに痛くさせます。

 今では、誰もが知っている厳然たる事実、統一家は既に四分五裂となり、骨肉の争いの悲劇は、連綿と続いています。この悲劇を止めるには、不必要な訴訟は取り下げられなければなりませんが、未だに法廷での争いに起因する深刻な流血は止まることを知りません。お母様は統一家の未来に責任を負うべき子女様を差し置いて、一人で摂理を導いていかれるとおっしゃられますが、そのお母様の無原罪論とお父様に対する有原罪説が私たちの胸を痛めます。さらに悪いことに、最近、サンクチュアリ教会の亨進様による「新しい真の母の擁立」という驚天動地の事件は、世界の祝福家庭をパニック状態に追い込みました。その奇妙な発想と不埒なハプニングは、統一家を揺るがす唖然とする事件であるにもかかわらず、数十年、父母様に侍り、み旨に従い、公職で苦労してきた元老たちは、思いを明かさない人のように何も反応がなく、韓国協会や世界本部からもいかなる釈明もありません。

 このように極端な状況になるまで、行くところまで行ってしまった統一家の現状を見ながら、私たちはただ傍観していなければならないのでしょうか。それほどまでに願われた神様の夢と希望を果たして成就できるのでしょうか。それとも、このまま挫折し、自暴自棄となってしまうのでしょうか…

 私は韓国で牧会をし、1984年にタイの宣教師として派遣されました。以後25年間、タイ、台湾、フィリピン、ネパール、インドなど、アジアとアメリカで宣教活動をしながら、1998年から登場した真の子女様たち、特に顯進様、國進様、亨進様、仁進様とみ旨の第一線で共にした時間を他の一世の指導者よりも多く持ちました。その中でも、2009年に統一教会が分裂するという悲劇的な事件が発生するまで、私は、10年以上、特に顯進様の姿と活動を近くで見てきました。

 ところが最近、私の胸の片隅で本心の声、良心の声が聞こえてきました。

 「このまま、これ以上沈黙することはできない。正義の側に立って真実を話せ」

 「誰かには不快で負担になる不都合な真実であっても、これまでの摂理史の大転換期にやむなく起きた事情の真実を明らかにし、お母様と顯進様が一つになり、顯進様と弟たちが一つになれるように立て」

 「今日、統一家の試練を解決するためには、ただ一つの道、顯進様が帰って来られなければならず、お母様は顯進様と必ず一つにならなければならず、弟たちは兄と和解して手をとらなければならない」

 そのような声が私の本心から聞こえてきて、私に対しこの10月に、長い沈黙を破って出ることを命じました。

 私は顯進様の明確な摂理観、み旨に対する忠誠心、父母様に対する孝心、カリスマのあるリーダーシップ、優れたみ言葉の能力、そして合理的な思考と経営能力、対人関係の専門性、そしてお母様を最後まで保護し、兄弟たちも包み込もうとされる努力を目撃しました。

 周知のごとく、本来、お父様は多くの子女様たちの中でも、すべての面において特に秀でた顯進様を後継者として立てようとされたことは明らかであったように思います。

 1998年7月19日、真のお父様は顯進様を世界平和統一家庭連合の世界副会長として、ニューヨークのマンハッタンセンターで、400人の世界指導者たちの前で公式に任命されました。私もその場で感動的な歴史の一場面を目撃しました。真のお父様はその日、顯進様にお父様の生涯の業績を相続し、長子権を継承する後継者として任命され、三代、すなわち、神様 – お父様 - 顯進様に渡って神様の願いと夢が成就されることを期待され、「顯進が私より千倍万倍 優れることを願い、私は心から神様に深く感謝申し上げます」と祈祷されました。そしてお父様は顯進様を2000年にCARP世界会長、2001年には世界平和青年連合の世界会長に任命され、名実共にお父様の後継構図に楔を打たれました。

 ところが顯進様が新しい時代の新しい指導者としての位相を固められながら、お父様から与えられた権限で本格的な教会改革と革新を試みられると、過去に縛られ、安住してきた一世指導者との葛藤が始まりました。顯進様に対して反感を持つ者は、顯進様に「顯進様の教えはお父様の教えとは違う」「真の父母様の権威を超えている」「太陽が二つあってはならない」と言いながら、顯進様に対して否定的な感情を表わし始めました。重大な使命をお父様から一身に受けた顯進様の登場は、疎外感を感じた他の兄弟たちと指導者の嫉妬の標的となったのが事実でした。

 それにもかかわらず顯進様は、二世を立てて神様の夢の実現とお父様の業績と伝統を正しく相続·定着させるための新たな統一指導者の文化を立てて行かれ、これをご覧になったお父様の顯進様に対する期待は実に大きいものでした。

 私は、お父様が顯進という息子をどれほど愛され、誇らしく思われていたのかを確かに見ました。2007年12月に開催されたフィリピン・マニラでのGPF大会の時には、お父様がお父様専用の飛行機を出してくださり、太平洋を横切ってアメリカからフィリピンまで飛ばれる顯進という息子を励ましてくださり、大会を終えて帰ってくる息子を午前3時までニューヨークのイーストガーデンで寝ずに待たれ、勝利して帰ってきた息子を迎えながら喜ばれるお父様を私は忘れることができません。

 2008年の5月頃、私は北米大陸会長に就任するやいなや顯進様が推進されるGPF大会を準備しましたが、その年の8月にワシントンの国会議事堂前で開催されたGPF大会は、実に感動的でした。顯進様が数万の観衆の前で咆哮する雄弁さで、「30年前、私の父が語られたこの場に、今日、私が立っている」とされ、アメリカン・ドリームと超強大国アメリカが行くべき道を提示し、アメリカ国民を感動させたその現場を忘れることができません。ヘリコプター墜落事故の直後にこの行事の勝利の報告を聞かれたお父様は本当に満足され、特に、顯進様が直接作成されたGPF大会の基調講演の原稿を聞かれて非常に感動されたことを今でも鮮明に覚えています。

 また、私は、2008年、全世界で開催された主なGPF行事に参加しながら、顯進様の非凡で度量の大きいリーダーシップに大きな希望を見出しました。顯進様が、アメリカのメガチャーチの代表的なクリスチャン指導者たちはもちろん、世界の主要宗教圏の最高指導者と親しい関係を広げられ、その方たちをGPF運動に引き込む力は言葉で説明することができず、天が下した貴重な能力としか言えません。このような息子が真のお父様の血統を通して現れたことに、ただただ感謝し、感謝しました。

 このような中で私は、北米大陸会長に就任する約1ヵ月前の2008年4月頃、家庭連合の実質的な責任者が顯進様から亨進様に急に変わった知らせを聞いて、大きな衝撃を受けました。当時、顯進様は、南米パラグアイで大きな問題が発生したため、お父様の要請を受けてその火を消すために余念のない時でした。アメリカで顯進様を訪ねお会いした時、孝進様の死に心を痛められながら「お父様が私に南米でパラグアイ問題を解決し、12,000人の平和大使を教育するようにと語られました。しばらくはアメリカにいないかも知れない」と語られたことがありました。私は後に、家庭連合世界会長の離就任式が、顯進様が南米を巡回されている時に突然に行われ、顯進様には全く通知されなかったことを知り、何かがたいへん間違っていると思い、未来に対する不安な思いをどうすることもできませんでした。

 当時感じた不安な思いは、不幸な現実として現れ始めました。亨進様が責任を持たれた家庭連合はおかしな方向へ流れて行き、ついに家庭連合の看板を下ろし、統一教の看板を再び掲げることになりました。多くの指導者と食口たちは、摂理を逆戻りするような亨進様の措置に対し、強い不信と疑惑を持っていましたが、これがすべて真の父母様の指示であるという言葉にどうすることもできず服従するしかありませんでした。

 当時、北米大陸会長であった私が最も理解できなかったことは、亨進様の登場に続き、仁進様が再び舞台に立つという事件でした。真の子女様の一人一人に対する真の父母様の措置に対し、私たちがあえて割り込める立場ではありませんが、仁進様に対するお父様の指示が無視され歪曲されるのを見て、大きな衝撃を受けざるを得ませんでした。

 2008年5月、私たち夫婦は北米大陸会長として就任した後、顯進様をアメリカの実質的な最高責任者として侍り活動していました。ところが突然、2ヵ月後の2008年7月29日、世界本部から仁進様をアメリカ総会長として発令するという公文書が全世界に通達されました。すると仁進様は公式就任式を持つ前に、直ちにアメリカ教会の理事会を自分の最側近に大部分替えました。この知らせを聞いたお父様は叱られながら、理事会を再び元に戻すようにと指示されました。しかし、その指示は実施されず、一部の人たちだけが元の位置にもどされ、仁進様が主管できる人たちは続けて理事会に残りました。

 仁進様の発令に対しアメリカで混乱が続くと、2008年9月4日、ニューヨークを訪問した國進様はアメリカ教会の役員たちに「アメリカ総会長は文顯進ではなく文仁進」であると改めて強調しました。私はお父様にこの事実を直接確認したいと思いました。アメリカに責任をもつ大陸会長として、この混乱を収拾する責任があったからです。そして2008年9月20日、アラスカのコディアックで、私はお父様に仁進様のアメリカ総会長発令の件について報告し、お父様の意志であるのかを確認しました。その時、お父様は「仁進はアメリカ総会長ではない!誰が仁進を任命したのか。仁進は教会の牧師、祭祀長だ!」と明確に語られました。私はみ言葉をそのまま録音し、仁進様にも聞いていただきましたが、仁進様はこれを完全に無視し、それ以降、共同大陸会長であった私と妻を遠くされ始めました。

 2009年2月に入ってのお父様は「アメリカの責任は顯進」であると語られ、もう一度整理してくださいましたが、その指示は全く効力が発揮されませんでした。ついにお父様の指示があった直後、亨進様と國進様は石俊淏世界宣教本部本部長の名で公文書を送り、文仁進氏のアメリカ総会長に変わりがないとう意志をアメリカ側に伝え、私は二人の行動に大きく失望しました。結局、彼らの無謀な決定は、わずか3年で仁進様の不倫により破局を迎え、この事件は、アメリカの二世の信仰を焦土化させ、アメリカ摂理を数十年後退させる惨事として記録されました。もしその時、仁進様が顯進様の下で祭祀長の役割に専念していたなら、今日のような悲劇的な事態は発生しなかったかもしれません。

 顯進様は2009年2月、お父様の命を受けて世界巡回に発つ前、アメリカ教会の理事会を招集し、理事を本来のメンバーに戻そうとされました。私も当時、アメリカ教会の理事だったので、2009年2月26日に開催された臨時理事会に参加することになりました。ところがこの会議は、最終的に國進様と亨進様、仁進様の反対により無効となりました。ところがこの理事会について顯進様が大きな騒動を起こしたとの報告を受けられたお父様は、三人の男の子女様と仁進様夫妻、私たち夫婦とマイケル・ジェンキンスアメリカ協会長夫妻まで、束草に集結するようにと命じられました。2月26日、理事会が無効になった直後、私たち夫婦は顯進様に侍って束草に最初に到着し、お父様にお会いし、理事陣復帰のためのこれまでの経緯を報告しようとしましたが、お父様は他からすでに知らせを聞いておられたのか、一切報告を聞こうとしませんでした。結局、この対立は繕われないまま、顯進様は翌日の2月27日、GPFの世界ツアーのために日本に出国されました。

 顯進様が日本とアジアを巡回される間、私は妻と共に束草に残り、血の凍るような時間を過ごさなければなりませんでした。 2月27日から3月7日までのわずか一週間程の期間に、想像することのできないことが準備されていたことを間近で感じたからです。國進様と亨進様、金孝律、梁昌植、黃善祚、金孝南といった指導者たちがお母様の陣頭指揮の下、顯進様を完全に排除するための作戦を緻密に進めていました。当時、私はフィリピンと台湾での行事を主管された顯進様に「今、顯進様を逆謀者として排除するための罠が仕掛けられていますので、行事を中止して早く戻ってきてください」という電話を何回もしましたが、顯進様は不義が幅を利かせているところには戻らないとされ、続けて巡回することに集中されるとおっしゃいました。ところが、結局、彼らはお父様を通して顯進様にすべての巡回スケジュールを中断させ、すぐに束草に帰還することを命じ、顯進様はその命令に従い、3月8日、束草に戻って来られました。

 その日、束草では何が何か分からない食口が見ている前で人民裁判のような法廷が開かれました。彼らが準備した霊界報告書が発表され、顯進様の全ての公職活動を停止する命令が下されました。いわゆる逆謀という言葉がお父様の口から飛び出し、それに対する反論を提起する機会も与えられず、理事会で顯進様の側にいた金炳和、朴正海北米大陸会長夫婦とニール・サローネン・ブリッジポート大学総長、タイラー・ヘンドリックスUTS総長、郭珍滿モンゴル分捧王も全員免職されました。

 お父様の夢を実現することに対し懸命に歩まれていた顯進様は突然にして逆謀者とされ、この時から顯進様は父母を裏切って財産を盗み逃走した破倫者という烙印を押されることになりました。こうした内容は世間のメディアにまで報道され、その結果、真の家庭は、世の中から嘲笑されるようになり、統一教会が真の家庭運動をもって地上天国を成就するという、世の中に知られていたことが嘘になってしまいました。

 2008年から失われた9年という歳月、このような歳月がなければ、顯進様のリーダーシップの下で摂理がどれほど発展していただろうかと想像してみたりします。短くないこの9年という長い歳月が、恨めしくもあり嘆かわしくもあります。

 私と妻は、この期間、ひどい試練の運命を顯進様と共に過ごしました。その過程で、妻はショックに耐えることができず、病魔に悩まされ、3年前に霊界へと旅立ちました。顯進様が経験された試練とは比較になりませんが、私と妻が越えるには本当に大変なものでした。私は顯進様との連絡を絶ったまま、遠いところから8年余りの歳月を静かに過ごしました。公職も名誉も、最愛の妻さえも失い、寂しい野人となって、アメリカでは安いゴルフ などをしながら、すべての辛い記憶を忘れて静かに一生を終えようと思いました。

 ところが今年2月、私は顯進様と8年ぶりに劇的に再会する機会を得ました。顯進様の周旋により韓国での真の神の日の行事と愛勝日の行事に参加することとなり、原殿まで行き、3日間、顯進様のみ言葉を聞くことができました。8年ぶりに私の前に再び現れた顯進様!いつの間にか中年紳士となられて現れた顯進様のその情熱とお姿、行動は、まさにお父様の顕現を見るようでした。この父にしてこの息子でした。お父様がそれほどまでに愛された顯進様、お母様がそれほどまでに誇りとされた顯進様がそこにいらっしゃり、父母様とみ旨のために流された顯進様の熱い涙を見ました。私よりも百倍千倍、凄まじい試練と苦痛の日々を送られたにもかかわらず、顯進様は試練を克服され、不屈の意志で、夢見てきた神様とお父様のレガシーを拡大していくための活動を滞ることなく進めてこられたことを知り、その躍動感ある勝利の実績を聞きながら大きな感動を受けました。

 顯進様のみ言葉で最も記憶に残るものは「祝福家庭は神様を忘れている。神様を中心に侍らなければならない」というみ言葉と、「摂理歴史の中で最も重要なものは真の家庭」というみ言葉でした。顯進様はサタンが真の家庭の基盤を破壊しようとしていると語られながら、祝福家庭は真理と正義と善の側に立って、真実を語る勇気ある者となれと励まされました。「私は死にゆく家庭を生かそうと、死にゆくお母様と兄弟を生かすために努力している」と韓国語で涙ながらに訴えられる姿に皆が泣きました。絶望と挫折の中で進むべき道を見失った今日、私たちに希望のメッセージを投げかけられる顯進様の集会は、毎日7時間続きましたが、私は疲れることも知らず感動と恵みの中で酔いしれました。「お父様に短く語ってくださいとお願いしたことがありましたが、いつの間にか私も長く話をするようになりました」と笑われる顯進様の姿に、私はお父様のDNAを見ることができました。

 しばらくして私は、フィリピンで開催されたGPC行事と世界青年指導者大会、そしてOne K Globalコンサートに参加するためにフィリピンを訪問しました。2007年、フィリピンのマニラで顯進様をお迎えしてのGPF大会が開催されてから実に10年ぶりに再びフィリピンを訪れたのです。マニラ空港に到着した瞬間、数多くの紆余曲折を経験し、既に故人となった妻朴正海会長と共にフィリピンの基盤を築いた24年間の歳月が走馬灯のように通り過ぎました。

 2年以上国家的迫害を受けながら統一教会の活動が閉ざされる最大の危機の中にあって、フィリピンのメディアと行政部、司法部の最高人士を動かし、逆ねじとして宗教の自由を掲げ、検察の公訴を棄却させ、劇的勝利へと導いた感慨深いフィリピン。保安と警戒を担当する軍人1000人が動員され、現職大統領と行政部の主要機関、マスコミ、民間団体が大挙して参加する中で、汎国家的な次元で初めてGPF行事が開催された国、フィリピン。全国民が神様を信じる国、フィリピン。このようなフィリピンを、人は汚く暑く貧しい国だと思っていますが、お父様はフィリピンを娘の国と命名され、沈清のような孝心を持っていると祝福してくださいました。そして顯進様は、歴史的な洞察力を持ってフィリピンを摂理的に重要な国であると認識され、お父様に代わって重要な行事と大会をたくさん開催されました。

 顯進様をお迎えして行われた2017年のGPC行事は、誰もがその規模とレベルに圧倒されるものでした。多くの苦難を経験する中で、わずか10年にもならない期間にこのような世界的基盤を築かれたとは、本当に賞賛されるべきものでした。2007年のGPF大会の時には現職大統領として出席したアロヨ元大統領が、GPCの開会式に祝辞者として参加し、本当に縁が深いと思いましたが、私が本当に驚いたのは、この行事に参加したほとんどの最高VIPが、過去9年間、顯進様を通してGPFと初めて縁を結んだ指導者であるということでした。アメリカのヘリテージ財団創設者であり、現在アメリカを動かす保守界のアイコンであるエドウィン・フュルナー博士、アメリカのキリスト教界の最も代表的な家門のロバート・シュラー牧師、グラミー賞を6回受賞した文化界の巨匠ジミー·ジャム&テリー·ルイス。各分野ごとに現職で世界を主管する最高の人物たちでした。それだけでなく、この行事はフィリピンIBMのようなフィリピンの大型企業が後援しており、マニラで公演会場で最も有名なスポットであるSMアリーナで開催された青年学生指導者大会は、フィリピン最大の企業であるSMグループがすべての費用を負担したということに開いた口がふさがりませんでした。

 どうしてこのようなことが可能なのかとフィリピンGPFを担当しているアルドリン会長に聞くと、彼は親切な声で「すでにGPFはフィリピンで最高レベルの社会団体として認められています。今年、フィリピン全体で数万とあるNGOの中で、約300の団体だけに与えられる最高の地位を獲得しました」と答えました。私と共にこれを聞いていた金チャンギュン会長(36家庭)は、非常に誇らしい表情で 「私の息子、ジンスが、このアジアでGPFの責任を任されて働いている」と言うところ、顯進様の下に優れた二世たちが皆集まっているというが過言ではないという思いがしました。私はそこで、古い仲間であったフィリピン平和大使たちと10年ぶりに再会しました。驚いたことに彼らは、一人も漏れることなく2009年に教会の混乱が始まった時から顯進様に従っていました。一度だけ会ったことのあった元民主党の代表である韓和甲氏もこの行事に参加していたので挨拶をしましたが、彼が語るには「平素からお父様を尊敬してきた」とし、「全く同じ第二の文総裁、その息子がここにいました」としながらとても賛嘆していました。

 GPC行事一つを見ても胸が高鳴りますが、続いて開かれたOne K Global Concertは、今までに見たこともなかった統一運動の歴史に輝く空前の大ヒット、勝利の力作でした。どうして韓流の熱風を統一運動に取り入れることができたのか、顯進様の奇抜な発想と優れた知略は、誰にも真似できるものではありませんでした。さらに、この行事をKBSが共催し、KBSによって全世界に中継されるとは。どのようにして大韓民国の公営放送を巻き込むことができたのか…大韓民国、さらにすでに世界的なスターとなった韓流K-POP歌手らが相次いで出演するたびに熱狂するフィリピンの聴衆たち。10年ぶりに再び訪れたフィリピンがどのように変わったのか、一瞬にして目撃することができました。私はフィリピンの青年たちがこれほどまでに韓国の歌と踊りに魅了されていることを知りませんでした。私には歌手ではなく、TVの携帯電話の宣伝でより馴染みのある顔となっているソルヒョンという司会者が、「One Dream!、One Korea!、One World!」を叫ぶ時、数万の聴衆が共に叫ぶのを見て、戦慄しました。「アジアでキリスト教を受け入れた韓国とフィリピンが道徳的価値を現わす中心国家となり、世界の精神文化のルネサンスを成さなければならない」と熱弁される顯進様の演説に熱狂するフィリピンの青年たち。すべてが感動に感動でした。妻が生きてこの場面を目撃したなら…私は心の中で「あなたがこれほどまでに愛したフィリピンの若者が今、一つの夢、一つのコリア、一つの世界を叫んでいますよ。あなたが一番好きだった顯進様が今、歴史的なみ言葉を語り、この奇跡を作っているよ。」と言いながら、この感激のシーンを妻と共に過ごしたいと思いました。私は、音楽で一つになる世界を見て、このOne K Globalコンサートと共に顯進様が世界巡回をされれば決まりだ、み旨が一瞬にして成就されると、このコンサートを通して感じました。

 長い沈黙を破って、今になって、私の本心を話すことが恥ずかしいですが、私は今でも確信しています。顯進様は本来お父様が立てようとされた長子であり、後継者であり、相続者でした。顯進様のみ旨に対する忠誠、み言葉の能力、あふれるカリスマ、リーダーシップ、経営能力など、すべてが準備された方でした。天が準備した新千年の指導者像です。ところが、2009年以降、このような顯進様を追い出し、お母様が成熟していない亨進様を立てることに汲々した失策が、今の災いを呼んだのではないかと推測します。不正な方法で顯進様を排除した後、教会がどのように変わりましたか。真の家庭の位階秩序は崩れ、真の家庭の価値が下がりました。サンクチュアリ教会を導く亨進様は、お母様に対抗し天倫に反する者となり、結局、亨進様を擁立されたお母様の計画は完全に失敗に終わりました。

 この過程で顯進様は、お母様と弟らからあらゆる侮辱を受けながらも少しも恨みに思わず、いつもお母様と弟らを守り、真の家庭の位相を責任を持って再び立てようとされ、顯進様を非難してきた食口をむしろ励まされる方です。いつも神様の夢、お父様の夢、コリアンドリームを語られ、その夢を成就するという真の父母様のすばらしい息子です!

 そのため顯進様は、独りで天路歴程を歩んでおられますが、天が顯進様と共にあり、必ず顯進様を通して天が願う夢が成就されると信じます。

 お母様はどうか早く、このように誇り高く心強い長子を横に置いて、摂理して行かなければなりません。以前のように顯進様の最も心強い支援者となられ、顯進様が再び先頭に立って、総体的な難局を打開していかなければなりません。もはやこれ以上、時間がありません。

 お母様がこのような決断を下すことができるように、兄弟たちと祝福家庭は積極的に歩んでくださることを私は願います。私自身も残された人生をそこに集中させたいと思います。

 聖書にある「もしこの人たちが黙れば、石が叫ぶであろう」というイエス様の嘆声を記憶し、正義の声を、見たごとくに、感じたごとくに述懐しました。そして顯進様が書かれた「コリアンドリーム」243ページの「私一人では世界を変えることができない。しかし私が投げる石一つは多くの波を作り出すことができる」という一節のように、私の沈黙を破った告白が静かな波動へとつながることを期待します。

2017.10.16
金炳和 元北米大陸会長

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