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チョ・ヨンジュ氏の心情日誌(2018-05-31)

2018.05.31(木)

今日(イム・ヒョウォン二世)部長が声明文を安山の食口に発表した。いつもカカオトークをあまり確認しないので、遅れて確認するかもしれない状況だったけど、すぐに、多くの人の携帯電話に「部長の声明文が送られた」ということを知った。「知ってる?」「これってどういう意味?」「これって違う気がする」などという言葉から、部長の声明文が多くの食口を混乱させているという印象を受けた。声明文を書いたという話は聞いていたが、「一体、何をどのように書いたのか」胸がドキドキしてすぐにカカオトークを見ることができなかった。読まなくてよいものなら読みたくないという気持ちになるほどだった。でも読まなければ状況把握ができないので、心配半分期待半分で読んだ。声明文を読みながら「結論から申し上げますと」という言葉から始まった内容は、私が読んでも「このように言ってしまえば当然追い出されてしまう」と思った。

私が書いたわけでもないのに怖いものを感じ、読みながらひたすら部長の家庭が心配になった。声明文をよく読んでみるという余裕なんかなかった。いつも多くの話を交わしていたので、このような結論に至ったということも理解できるが、声明文に書かれた内容はいつもの会話での内容とは深さが違った。摂理の内容、顯進様が長子であること、真の家庭と三大王権の崩壊、お母様を神格化している!等の言葉は、いつも部長と話すとき、「違うかもしれないじゃないですか」と言いながら始め、同じ言葉で終えた話の結論のようで、今まで悩んで来られた内容がどれほど重く、深刻だったのかを感じた。しかしその声明文だけでは部長のことも、声明文に出てきた顯進様や家庭連合…、すべてのことを理解することができなかった。

食口のなかには部長の声明文が学生たちに広がらないことを願う人たちもいた。部長の声明文には、今後も対話を望み、それでも共に行きたいと表現されていたが、私の結論は「成和学生には見せないでおこう」というものだった。

部長は数時間もしないうちに安山教会の教会長(部長のお父さんにあたる方)によって公職の位置から退くことになった。「教会長はどう思われているのだろうか?部長はこのような結果を願われたのだろうか。おそらくこうなることは分かっていただろう…」今までの部長が一瞬思い浮かび、二度と会えないような気がして胸がつまった。

それなのに何にもなかったかのように部長から電話があった。「あっという間に首になってしまった。こんなにすぐに首になるとは思わなかった。やはり分派に対しては…」という言葉から「部長はそのままだ」と確信した。昨日も、おとといも、声明文に出て来る内容について話を交わしたにも関わらず、声明文が発表されてからわずか数時間で不信の思いが私にも湧いた。「昨日までの部長のままなのだろうか」「部長はどのような立場なのだろうか」と疑い、「後悔しないのだろうか」と心配になった。私はこれからどのように部長に対応すべきか、何度もシミュレーションしていたが、部長は変わらずそのままだった。

部長も怖かったそうだ。それでも食口の中には慰めてくれる人もいて、力を出せたとのこと。決定を尊重するという人もいたみたい。すべての食口を本当に愛してきた結果であり、いつもの行動の結果だと思った。それとは逆にごちゃごちゃ言う人もいたらしい。私はそれは当然のことだろうと思った。部長の声明文は、あまりにも鋭い文章ではなかったかと思った。部長の答えは、責任感のある行動とは何なのかについて精誠を尽くした結果だというものだった。部長の感じた責任感とは、私たちが目的地を失い、方向性を失っているということを伝えることだとし、私は考えていることのすべてを理解することはできないが、何を言いたいのかは分かった。しかし私は「それは確かなことなのだろうか。部長が間違っているのではないだろうか」という疑問が脳裏をよぎった。「違うかもしれないじゃないか」ではなく、本当に今、その言葉の意味を知らなければならないと考えた。

一日中、頭の中が複雑になった。食口たちは傷つかないか、皆は混乱しないだろうか、部長は後悔しないのか、霊界の真のお父様に杭を打ち込むことではないのだろうか、真のお母様は傷つかれないだろうか、神様はこの様子をどのように見ておられるのだろうか…。真のお父様は…。いくら祈っても何が何だか分からない。

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