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チョ・ヨンジュ氏の心情日誌(2018-08-23)

2018.08.23(木)

「それで私が何をすべきであり、何ができるのか」という考えに毎日耽っている。私もメッセージを書いて発表してみようかとも考えてみた。部長は自らが声明書を書いたのは責任感ある行動だと言ったが、私は率直に恐ろしい。影響力もなく…、「私には今すぐできることがない」というのが軟弱な私の結論だった。私の頭の中の想像では一日に何回も、親たちの前で「確認すべきです!!」と訴える姿も想像し、学生達にも同じく顯進様側では何と言っているのか知らせてあげたくもあり…、一応最も重要なのは食口たちの先入観だが…、それをどうやって越えるべきか、という想像をしてみる。

久しぶりに部長に電話をした。「どう過ごしているのか」と聞かれて「よく分かりません、何が正しいのかも。皆が平穏に暮らしているのに私だけがこんな苦悩をしているようで、皆が知っていても自分の立場を守りながら知らないふりして生きているのではないか。私だけが無駄に苦悩しているのではないか。皆、自分が生きていくのに忙しいので」と言った。部長は私がどんなに沢山考え苦悩しているのかご存知ないだろうと、もどかしくて、ぼやいてしまった。

その言葉に非情な答えが返ってきた。「辛くても考えることを止めるな。今このようになってしまったのは皆が考えることを放棄したからだ。負担を与えたくはないが…考えることを放棄すれば希望が消えてしまう」と言われて…、こんな真摯な答えを願ったのではないが…、「はい」と言った。

「皆がセミナーを聞いてみればよかろう」が第一の心、「私でも顯進様の側に行って教育をちゃんと受けて、ここで再び教育してみようか」と思う第二の心、「私だけ知らないふりをすれば、安山の学生達も私も安楽だ」が第三の心。

どうしても第一の心が最も大きくなる。皆が聞いてみて判断すればよいだろうに、何故皆それほど勇気がないのか。いや、同じ原理を教えているのに…、私たちが知っていたことと違って数多くの誤解があることを知ってくれたらいいのに。この諸問題をどう収拾するのか。

「セミナーに行こうというのが…第一」…悪くない答えのようだが、本当に私がしようとすることは教会から見るとスパイであり逆賊、ゴミだろう。…どうか…「私」からという程度の覚悟が出来ているかの問題だ。親たちが先に関心を持って確認しようとすべきなのに…もどかしい。

安山教会のリーダーたちを集めて、映画観点スタディを始めた。私ができることはこういったことだ。「神様が何をなさりたかったのか」を教えてあげること。映画観点を通じて、互いに似た観点を持ちたかった。ただ本当に純粋に「神様の観点」について一緒に苦悩したかった。神様が人類をどのように見ておられるのか、宗教の中での限定的な観点ではなく、皆が神様の夢を成し遂げてさし上げる主人になって欲しかった。映画の中の主人公たちが挫折し続け、何度倒れても再起するように、明確な目標と動機を持つことを望んだ。私が「正しいことを正しい」と主張した瞬間に多分全ての人々が後ろ指を差すだろうが、学生達だけはそういう後ろ指に動揺することなく、神様を中心とした人類一家族を創っていく二世というアイデンティティに対しては混同することなく、その価値を失わないで欲しい…、自分たちがどんなに大切な存在なのか…。

リーダーたちを見ながら、いつかこれが拡大し、安山の成和子女全体が神様をめぐって苦悩する日が多くなったらよいと感じる。そうする為には今すぐは自信がないとしても、図々しく学生達の前に立つべきだ。

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