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チョ・ヨンジュ氏の心情日誌(2018-09-13)

2018.09.13-15(木-土)

2泊3日間の摂理機関公職者特別修練に参加した。学校から急に教授が連絡してきて、今日から清平で特別修練するが、修練に参加できるかと聞かれた。準備も備えも何もなく、約束していたことも多く、することもあまりにも多かったが…。悩んだ後、母に電話して「お母さん、私に特別修練に行けと言われるのだけれども、行って来た方が良いだろうか」と聞くと、母は「お前がH1、H1と言い続けるから、神様が腹を立てられたのではないか。行って来て、祈祷を沢山しなさい」と言った。母の言葉も意味があるようなので「行く」と言った。今の私には何でも必要だった。それを通じて確信が得られるかも知れない…。有り難いことに、教授の車で行くことになった。私が参加した修練は摂理機関で働かれる方々が来る回だったようだ。もう何回も参加した方々も多かったようで、先輩たちもおられたが…、それでも一人で来たと思って集中しようと思った。その方々のことを、「どういう心で公職をするのか」という視点で見つめていたように思う。会う人毎に「君はなぜここにいるのか」と聞かれたが、返す言葉がなかった。教授は修練にしっかり参加せよと言った。精神を集中して、そして「私を全て空にしなければならない」と言われた。確かに私が呼ばれてきた理由は H1 のゆえというのは正解のようだ…。「君は誰が呼んだのか分かるか」と聞かれて、「いいえ、分かりません」と答えたが、私の推測では協会のようでもあり…、いったい誰なのか考えた。

「妍娥様が特別に呼んで下さったのだ」ということだった。「特別修練期間に私を全て空にして、悔い改めよ」と。「おぉ、大当り、全く知らなかった」気分が悪くはなかったが、私が何故悔い改めなければならないのだろうかとも考えたが、感謝の心で受けることにした。

修練は普段とは確かに違う心得で参加したようだ。少し生意気かも知れないが「神様、私が間違っているなら、間違っていると教えて下さい」、「そしてお父様、今悲しいですか、悲しくないですか」、「孝進様、興進様、その他の弟(妹)たちが出て行かれていますが、どう見ておられますか」、「私が間違っていますか」、「私が異常なのですか」と尋ね続けてみた、何度も続けて…。

第一日目の讃揚役事から私は自分を空にすることができなかった。「私を空にしよう」が私の目標だったが、雰囲気が盛り上がるにつれ「新しく生まれかわるようにして下さい」、「許して下さい」、「お母様、お母様!お母様!!!!!」というような、司会の方の激昂した声を聞きながら、とても悲しくなった。「なぜお母様に私たちが赦しを請わなければならず、どれほど誤ったので、こんな特別修練を進めているのか」と思うようになった。讃揚役事の意味も変質しているようで「お母様の前に私たちは子女ではなく罪人なのだ」という感じが押し寄せてきた。こういったことを通じて、参加した皆に「お母様から離れれば大罪人だ」というイメージを植え付けているような感じを受けた。「今お母様中心にこんなに見事に一つになっているのに、子女様はなぜあのように出て行って気を障らせるのか」と誰もが思うでしょう。私も多分恐れ入るべきだったのだろうが、臆病になるどころか「なぜこのようになってしまったのだろうか」、「これが最善だろうか」と思ってしまった。

清平に対してあまり良くない話を聞いたからのようだ。今の家庭連合は他の聖地を全て捨てても、清平を立てて食口たちが清平で集まって来ることができるようにしているということ。人々が清平に集まると献金も沢山出るし、天苑団地を高く持ち上げて独生女の威厳を見せつけようとしているということ。そういう全ての内容がなぜか今の姿とあまりにぴったりと符合し、そういう言葉を信じたくなくても信じさせられてしまうようだ。協会長も元々清平の苑長だったし…、前進大会の度毎に讃揚役事をするのも同様だ。清平の霊的役事を信じさせ、期待させるようにすることなど…。お父様が願った清平の姿と役事と違うようで、全てをお父様が本来なさりたかった通りに探し立ててさし上げなければならないと思う。

第二日目は聖地祈祷に行って来てから特別祈祷室に入って祈祷した。特別祈祷室は機会があって何度も入ったが、いつも声を出して祈祷をしても他の人々の祈祷内容がよく聞こえなかったり、そんなに悲しく聞こえなかったが、今回はやや違ったようだ。始めるやいなや皆が泣き喚きながら叫んだ名前があったが、それが「お母様!」であった。内容まで…、とても生々しく聞こえた。それは一人の声ではなく、多くの人の声だった。「独生女を証すことができなくて申し訳ありません」「解らなくて申し訳ありません」「独生女を必ずこの朝鮮半島に…」といった内容だったが、そういう声が聞こえ始めたので…我知らず嗚咽するようになった。そのように人の多い所で大声で泣いたのは初めてのようだ。「この姿がお父様が願う姿ですか」と尋ねたら、もっと悲しくなった。「今現場に行けば、不幸で、また不幸で、可哀想に生きる食口たちが多いです。生きることに疲れ切って神様を忘れてしまった食口たちが多いです」、「全てご存知ではないですか、全てご覧になっているではないですか…」、「お父様はこんなことをさせようと私たちを祝福して下さったのではないでしょう。そうでしょう。実践せよと…実践せよとおっしゃったでしょう」、「お母様を愛することができなくて、証しできなくて、なんで…、私たちの方向性が外れてしまっているのでしょうか」と、泣いてしまった。食口たちを思いながら涙が出た。私の観点自体が既に神様と人類の平和と統一の為に力を尽くしておられると感じた顯進様の立場から私たちの姿を見るようになっているようだ。お父様は確かにその方を応援していると思った。皆が「独生女を証すことができなくて申し訳ない」と言うが、本気だろうか、心から湧き出る涙だろうか、と疑わざるを得なかった。

夜の徹夜祈祷の時間も同じだった。本当に3時間の始めから終わりまで涙が出た。歌を歌う時から…歌詞からが罪人の感じなので悲しくて…前に出て声を出して報告祈祷して下さる方々は全て同じ内容で叫んでいた。「独生女を証すことができなくて申し訳ありません」、「独生女を悟れなくて申し訳ありません」、「新しく生まれ変わらせて下さい」という祈祷が、全て同じだった…。益々恐ろしくなった。私たちはどういう方向に向かっているのか。本然のものを然るべく教えてくれずに、自分たち同士で権力争いして、利用する間に何も知らない食口たちは全て従ってきたが、これからは愛してきたお母様に容赦を求めなければならない時が来た。今この瞬間にも、泣き叫び祈祷して「お母様の実体聖霊の力を受けて新しい決意をしました」という言葉だけではなく、しっかりとしたまともな真の家庭運動と神氏族メシヤを助けなければならないと思う。私たち祝福家庭は常に家庭は守られていないのに、外に出て「真の家庭」という言葉を使う。家庭を顧みるように助けなければならない。指導部は実際に祝福家庭の中に神様に侍り生きることができるように助けたことがあるのか。

公職者たちの話も今では二世たちの間にもっぱらの噂となっている。ある時はヘブンジーバーガーに座って窓の外を見ながら、友達が「あぁ、あれがジェネシス…、とても高いけど、誰が下りてくるか見てみよう」、「お、大当りだ。あれも外車だ」などと話している。「お金が多いのか」、「外部活動をするのに恥ずかしくないようにと、教会で支援してくれているのだろうか…」といった噂も時には聞こえたりする。「お母様が教区長たちに 5,000万ウォンずつ下さったそうだ」、「教区長が今回自分の月給が少ないから上げてくれと言っていたが、それが 600だそうだ」、「今回百貨店に行って服を仕立てて下さったそうだ」、「お母様のイヤリングだけで 2000万ウォンだそうだ」といった話を聞いていると…。

顯進様は「リーダー」は模範となり先例を立てるものだと語られる。自分に従う追従者を育てるのではなく、神様と連結されることが重要だと語られ、指導者の指導者になれと語られたが、私たち公職者たちの間では「お母様がこのようにせよと語られました」と言って食口たちに要求だけして来たのだ。実践した人たちがどれほどいるだろうか。

食口たちももっと知るべきだ。純粋に「そんなはずがない」と言うなら仕方ないだろうが、既に顯進様はお父様が開いて下さった道を歩んでおられ、先例を立てておられる。私たちもその方の追従者になるのではなく、その方を見て「お父様が願った生き方がそういうことだ」と悟って、そのように生きて行くべきだと思う。顯進様が歩んで来られた道を見れば、財産が欲しくて盗んでいく欲張りのようなものは絶対に見えない。むしろ私は公職者たちを見て「いつ変わるだろうか」、「変わることがあり得るのか」と心配してきた事柄に対する答えが今は見える。

希望がある。神様のみ旨の為に実践する人に会ったので…。真の父母と真の家庭の使命を再び蘇らせようとしておられるので…。

徹夜祈祷の時、孝進様に何回も尋ねてみた。「長子の役割をすべき顯進様がお母様に早く侍ったら良いでしょうに。利用しようとする者たちではなく、本当に愛する人が横にいて下さったら良いでしょうに。孝進様も顯進様がいらっしゃって安心しておられますか。私は、真の家庭を守ることができる人は顯進様だと思います」と…、祝福家庭たちは真の家庭の為に祈らなければならない時だと思った。

妍娥様の最後の証しで特別修練は終わった。初めの挨拶の言葉から、謙遜で優しい方のようだった。妍娥様は今年度初めにお母様に大きな罪を犯したと反省した。お母様が「独生女」をある公式席上で語れと言われたが、その時に「これをなぜあえてこの席で話さなければならないのか、どうすれば自然に話しながら越えることができるか」と苦悩したと言われる。しかしそれを受け容れることができなかった自分が恥ずかしかったと、大きな罪だと思ったと言う。その時、以前にお父様が「できるかできないかを悩まないで、したのか、しなかったのかを悩め」というみ言葉を下さったことを考えながら、「私が何者だからお母様のみ言葉を悩むのか。お母様は霊界におられるお父様と既に一つになられた方であられ、既に神様と一つになられているので、そのみ言葉を語られる意味があるはずだが」と言って証して下さる部分は2泊3日の修練の間に聞いた話の中で最も率直な話だったようだ。

統一家の人々はもっと率直であるべきだ。あまりに盲目的に信じろとして、びっくり仰天する時が一回や二回ではない。そうして妍娥様の話を聞いてみると「妍娥様もそういう苦悩をされたのか」、「人間らしい」という気がした。「みな真心でやっていることだろうか」と思ってきたことが妍娥様を通じて少しは解消された。「皆そういう苦悩をするものだな」

とにかく、特別修練に招待して下さった妍娥様と教授に感謝したが、真心から私を空にして反省してお母様に赦しを請う人になることができなかった。今までと同じく神様の夢を成し遂げてさし上げるとさらに決意し約束する時間になった。それで感想文を送れと言われたが、送ることができなかった。書こうと思っても筆が進まない。李基誠協会長が特別修練に参加した方々に対する感想文を読んで下さったが、「温かい聖霊が臨むのを感じた」とか、「お母様が実体聖霊なのを感じた」とか、「お母様のパワーを感じた」、「孝進様と興進様がお母様にしっかり侍れと言った」といった感想ばかりで、私は違うことを感じているようで…、願われる感想ではないようで、送ることができなかった。

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