前提
1.
私たちは、文鮮明・韓鶴子総裁に対して、信仰的には「真の父母様」と呼びますが、統一運動の各機関を創設した立場から、対外的には「総裁」と呼称し、天道を教え信仰共同体を指導する立場では「先生」という呼称も使用します。
2.
本文で真の家庭の子女様に関しては、全体的に「顯進様」「國進様」「亨進様」と称し、職責に応じて、「文顯進会長」「文國進理事長」「文亨進会長」などと表現しました。
3.広い意味での「統一運動」と、狭い意味で特定組織を言及する時の混乱について
この本で、私は故・文鮮明総裁の霊感を受けた多くの個人や組織、事業を「統一運動」と言及し、時には「統一教会」とも表現しています。さらに広い意味での「統一運動」と、特定組織の間には差があることを理解することが重要です。また、文総裁は、新しい宗派を作ろうとする意図がないとはっきり主張しており、代わりに、人類が宗教を超越し、神様の息子娘として一つとなり、世界平和をなすことを願われました。
文総裁は、ご自分の教えを全世界のキリスト教界に伝播するために、1954年に「世界基督教統一神霊協会」を設立しました。そして1996年に「世界平和統一家庭連合(家庭連合)」を創設する時、文総裁は、霊的成長と発展のための中心は、宗教組織や聖職者ではなく、家族単位であることを明らかにされました。重要な点は、世界基督教統一神霊協会と世界平和統一家庭連合のどちらの組織も「統一教会」でないばかりか、これらが組織階層を構成したことはなく、どの組織階層の一部でもないということです。この組織は法的な組織階層構図がない、膨大な統一運動団体の中の2つに過ぎません。文総裁は「宗教時代の終焉」を宣言し、世界基督教統一神霊協会の使命終結を宣言した後、新たに別途の摂理機関として家庭連合を創設しましたが、人々はその後もなお、文総裁の霊感を受けて活動する組織と事業を指して、「統一教会」と呼びました。このため、組織と運動に対する名称においては、いまだ混乱が続いています。文総裁は、いわゆる「教会」時代が過ぎたと言われましたが、社会の大半においてもそうであり、統一運動内の組織文化においても、ダイナミックに変化している統一運動に対して、依然として固定観念が残っています。
また、残念ながら、現在の統一運動は、正統性と権威と統制権を主張するいくつかの勢力が、互いに似通っていたり、区別しがたい団体名を使用して分裂しており、この状況をさらに混乱させています。
4.霊的権威と法的権限の問題
文鮮明総裁は、カリスマ性を持って統一家を率いた霊的指導者でした。私を含めた多くの人たちは、彼をメシヤ的な人物として認め、その方が神様のみ旨に絶対的で献身的に一生を生きてこられた姿を見ながら、その方を尊敬しました。したがって、文総裁は、統一運動を構成する多くの個人や組織に対して、大変な道徳的かつ霊的な権威を持っておられました。文総裁の霊的指導を尊重する人たちが、その方の決定が神様のみ旨と一致したものと受け入れることは、珍しいことではありませんでした。しかし、文鮮明総裁が霊的権威と法的権限を区別され、ほぼ大部分の統一運動の内部組織を統制する法的位置を持たれなかったことを理解することは重要です。
5.原理と『原理講論』
この本を通して、私は原理の重要性について言及しました。用語の類似性により、混乱が生じる可能性があるため、私は文総裁がご自分の人生を通して見せてくださった包括的意味での「原理」と、狭い意味での『原理講論』という本の間に差があるということを、明確にしたいと思います。『原理講論』の本は、原理を社会(特にキリスト教信徒)に伝播しようとする文総裁の試みの一つであり、活字化された内容です。それは草創期の牧会活動の中心でした。しかし、『原理講論』は、特定の聴衆に向け、特定の脈絡をもって執筆されたものであり、原理全体を明らかにしたり、説明したものではありません。文総裁は生涯にわたって原理を教えられ、『原理講論』には記録されていない新しい内容が、後で出版された数百冊に及ぶ『文鮮明先生御言選集』や多くの著書など(例えば、『天聖経』など)に含まれています。『原理講論』を含むそれらの本はまた、「八大教材教本」の一部となっています。
はじめに
勝利と試行錯誤を繰り返しながら成長し完成していく
「天一国創建の摂理」を私たちは記憶しなければなりません
私の心の中に永遠に残る痛みがあります。
目を閉じれば浮かぶ懐かしさと、どうしようもない切なさがあります。
過去10年間、多くの変化がありました。
誰も想像できなかった真のお父様の聖和は、私たち全ての悔い改めと痛みの現実となりました。
真の家庭の中で発生した摂理観の衝突と分立は、真の父母様の位相と生涯の業績に惨たんたる泥を塗りました。
この葛藤がどのように帰結するか、多くの人たちが思い悩んでいることと思います。しかし、正しい原理的基準だけ持っていれば、結果を予見することは難しくないでしょう。
真の家庭の構成員それぞれの心情の現住所は、どこにあるでしょうか。
今日、その方々の歩みは、神様の摂理の方向と一致しているでしょうか。
人々に対するこれまでの言行は、天理とお父様の教えに反していないでしょうか。
何よりも重要な判断基準は、神様のみ旨に従い、残されたお父様の遺志を果たしていく方々の実績となります。
真の家庭だけではありません。私たち祝福家庭もまた、同じ基準によって評価されるという事実を心に留めなければならないでしょう。私たちに差し迫った危機は、各自の責任分担で乗り越えていかなければならないのです。
過去10年間、私は普通の先輩家庭たちとは異なり、特別な日常を送ってきました。悪口を言い、後ろ指を差す兄弟たち、同僚たちの元を離れて、お父様の教訓と伝統にしがみつき、孤独な道を歩んできました。
宗教ゆえに長い歳月を追われてきたことは、耐え得るものでした。しかし、共に歩みを成してきた兄弟たちや食口たちから顔を背けられることは、余りにも胸痛いものでした。「天情の因縁に、かくもひびが入ることがあるのか」という苦悩は、一時的に身動きもできないように私を縛りつけました。
しかし、私は今、お父様の夢と遺志に従う正しい摂理の道の上に立っています。
常に温かい神様の動向を感じ、感謝して生きています。
過ぎて見れば、そうなのです。神様の特別な恵みで、お父様に最も近い所で侍りながら、中心摂理と分離することができない人生を私は生きてきました。昨今の事態に対して、長い期間、愛で育ててくださり、任せられた重責を行ってきた者として、責任を免れることができない私の立場です。
これまで見聞きし、経験したことに対して、歴史的な証言を記録しなければならないという召命感から、このようにペンを取りました。
沈黙している間、「事必帰正 (*1)」の原則に従い、全てのことが早く本然の位置を探し出せたらという思いが切実でした。しかし、時間が流れても、私たち統一家が摂理に逆行し続けて行くなら、子孫と世の中に迫る試練に耐えることは難しいという危機感を持ちました。
神様は決して、み旨を放棄されません。
準備した道に混乱と間違いが大きいほど、その一方で正道をしっかりと築かれる神様です。
混乱期に自ら混迷した者は、神様が予め備えられた新しい機会に出会うことはできないのです。
この本を通して、祝福家庭たちが過ぎ去った歳月を冷静に見つめ直す契機になることを祈ります。
この本が、全ての食口たちをして、神様の深い心情の中で、自らの定位置を探して行く動機になることを祈ります。
この本の第3章からは「摂理の中心において、この凄まじい混乱がなぜ起こったのか」という根本原因を扱っています。本当に血を吐く心情で、一節一節を辛苦の末に書き記しました。
真のお母様は尊貴な方です。そのため、真のお母様が神様と真のお父様の前で本然の正しい位相を守られることは、何よりも重要なことです。原理的な基準とお父様のみ言葉を根拠に、真のお母様のみ言葉と行跡について、またご子息の行跡について、客観的に分析しました。
「現在の試練が過去の結果」であることを正しく悟る必要があります。
これがすなわち「み旨をなす力」になってくれることと思います。
私たちが直面し闘った悪が、摂理を崩すためにどのような働きをなしてきたか、摂理歴史の教訓と私の経験を通して振り返ってみたいと思います。それをもって、今後、み旨をなそうとする全ての人たちの揺るぎない土台にしたいと思います。
統一家の摂理は、勝利と試行錯誤を繰り返しながら成長し完成していく天一国創建の摂理です。
決してあきらめてはなりません。
真のお父様が粉骨砕身して進展させてこられた二世時代の父子協助時代を迎え、お父様は百倍千倍雄飛して、天一国を実現しようとされました。しかし、徐々に高齢となられ、周辺の人たちによって目と耳が覆われ、ご自身が志された通りにできない心苦しい事情の前に、またとなく残念な思いであられました。
そのような真のお父様の事情がどうであられたか、この本を通して祝福家庭が心情的に少しでも共感することができることを祈ります。
2018年を基点に、大韓民国は夏季と冬季のオリンピックを両方開催した国となりました。
平昌で韓半島の旗が全世界の選手たちの前ではためく中で、地球村を一周して戻ってきた聖火が、南北の最終ランナーを経て点火された、感動的なその場面を私は覚えています。
それは私に、真の父母様に侍り、メイン競技場で88年のソウルオリンピックを迎えた瞬間を想起させる場面でした。
ソウルオリンピックは、荒野時代を超えて、東西和合の気運を盛り上げ、統一韓国の大望を立てようとした世界史の転換期的出来事でした。
当時、真のお父様は訪れた天運を主人の心情で迎え、顯進様と恩進様を国家代表選手として参加させ、世界の若い代表たち、特にカイン(共産)圏の選手たちを歓迎して大きく支援されました。喜んでおられたその時の真のお父様のお姿を、今でも忘れることができません。
その後3年、ソ連が解体し、東西ドイツが統一される歴史的な出来事が相次いで起こりました。この時、真の父母様は、ゴルバチョフ大統領と金日成主席に会い、歴史的な和解をなす奇蹟を作り出されました。
それから30年が過ぎ、2018年、平昌において新たなスタートが告げられました。
天のメッセージを明らかに見てとれます。
近い将来、私たちは神様が志された国と世界を見ることでしょう。
南北統一と平和世界を構築するためには、漠然とした信仰を超えて、現実的な政策と戦略、献身的な実践が伴わなければならないと思います。復帰時代とは異なり、父子協助時代、二世時代を経る天一国創建時代の摂理進行の違いを再認識しなければならないのです。
ありがたいことに、真のお父様の後を継いだ文顯進会長が、すでに7年前から韓半島の統一運動を立体的に展開してきています。到来する天運を予見し、主人の心情で、持続的な精誠と具体的な実践を並行して行っています。国内外で様々な統一運動と共に、平和世界を実体的に開いていく「コリアンドリーム」のビジョンを提示しています。
私たち全員が、これに同参することを念願します。
到来する天運の前に、思いもよらない幸運だけを待つ、みすぼらしい統一家であってはなりません。
私たちの家庭もまた、みすぼらしい家庭になってはいけません。
正しい決断を促す歴史的召命の前に、私たちは全て、分裂と傷と無気力さを悔い改めながら、謙虚に責任を果たさなければなりません。
過去10年間、心を一つにして一致団結し、平和な国家基盤の上に、真の父母様の栄光を現さなければならなかった統一家の指導者として、そのようにできなかった罪悪感を本当に重く感じます。
真の家庭に侍り、あの龍平リゾートで、平昌オリンピックの喜びを迎えなければなりませんでした。しかし、そのようにできませんでした。
顯進様の勝利的基台の上に、神様の主権を立てて差し上げなければなりませんでした。しかし、いまだそのようにできていません。これは私をはじめ、私たち全員の最も重要な課題となりました。
それでも、神様の摂理は続いています。勇気ある者には明日の希望が成就することを確信します。
私は顯進様の家庭を通して「3代の縦的直系の血統の中に生き、実を結ぶ神様の驚くべき役事」を目撃しています。真の家庭の中で、長子の相続権と共にあふれる神様の愛の世界がますます拡大していることを実感しています。
顯進様は不当に追い出された孤独な立場で、荒野時代を終結させ、真のお父様の夢と遺志を固く守られました。勝利的な真の家庭の在り方、リーダーシップモデルと教育、平和世界へと至る基盤を打ち立てられました。
私は、苦難の歩みの中に訪れたこのとてつもない感動と希望を、真の父母様を慕う私たち祝福家庭の兄弟たち全員に伝えたいと思います。
兄弟間の争い、母子間の葛藤、財産争い……。
これが今日、私たちの運動を眺める世の中の見方です。真のお父様が陣頭指揮された時とは、多くの点で異なっている現実です。恥ずかしく胸の痛いことです。
しかし、これもやはり、過程に過ぎません。
神様の理想を地上に実現するために、生涯を捧げられたお父様のその偉大な生涯、その高い思想、その実践、犠牲、遺業は、どこかに行ってしまったのではありません。しばらくもつれて汚物がはね、変色することはあったとしても、遠からず、その原型が世界と歴史の前に明るく現れるものと確信します。
なぜなら、その根は神様の心情に届き、人類が本心から渇望する望みの焦点となる「至高至貴」の価値だからです。不義が永遠に踏みにじることのできない精誠の遺産だからです。それゆえに「事必帰正」なのです。私たち一人ひとりが、早く本来の定位置に戻らなければなりません。
全てが透明になる時代です。一つの事件、一つの真実が地球村全体に広がっていくのに、わずか数秒で十分な時代です。
今や、統一家にも闇が消え、霧が晴れ始めるでしょう。
虚飾のない素顔を、お互いにまっすぐ見つめるようになるでしょう。
偽りと陰湿な攻撃と讒訴の言葉とその結果は、決して長く続かないでしょう。
非原理と反摂理で築き上げられた砂の城は、真実の水に出会えば、簡単に崩れていきます。
私は現時点で統一家が収拾され、世界から早く公認される道を知っています。
真の愛、真の家庭、平和、統一の神様の理想と真のお父様の貴い生涯路程が正しく公認されることは、そのいかなる看板や組織、経済基盤、宣伝や会員数に代え得るものではありません。
それは真の家庭の長子である顯進様が、理想的な家庭と平和世界を指向する勝利的基盤の上に立って、「これは神様の理想であり、私の父母様が教えてくださり、成したかった夢である」と証言することを通してのみ可能です。
顯進様は6年前、シアトルで行われた真のお父様の聖和式で、次のように述べています。
「この地上で、息子がお父様に捧げることができる最高の礼は、その生涯を正しく照らすと共に……真のお父様が主唱され、生涯を通して実現しようとされた全てのことが、息子とその家庭を通してなされることを確信します。息子の生涯はお父様が抱かれた価値と夢と情熱の生きた証拠となるのです。息子を通して父が現れるのです」
また、拡大された真の家庭である私たち祝福家庭も、今や、自らの姿と家族の生活を通して、隣人と世の中を導き、お父様の教えを証さなければなりません。 この本が世に出るまで惜しみなく労力と愛情を注いでくださった関係者の皆様に、頭を垂れて感謝の気持ちを伝えます。 また、この本に触れる読者の皆様の家庭に、天の無限なる愛と祝福が共にあることを祈願いたします。
2018年12月28日
郭錠煥
- 韓国語で使う四字熟語、万事は必ず正しきに帰するという意味。