もしも一年休んだら
もしも文鮮明師の2009年3月8日の「一年休んで一緒にいるように」という言葉に文顯進会長が従っていたのなら、それは父子そろって霊的牢獄に入れられるようなものだった、ということを書いて、前回の記事は終わりました。
私は2011年夏に西海岸に引っ越すまで、イーストガーデンで文鮮明師の訓読会があれば、とにかく参加していました。文顯進会長に忠誠心を持つ人が、紛れ込んでいたわけですが、とがめられることもありませんでした。たとえ文鮮明師が幹部の言うことを信じて、文顯進会長に圧力をかける人を選ぶクジを引かせても、不思議と私は、ごく少数しかなかったハズレのクジを引きました。ハズレたことに感謝しました。
そして、そのイーストガーデンの様子を見ながら私が感じたのは、文顯進会長への攻撃圧力でした。文顯進会長を離婚させ、親子を引き裂くこともあり得ると感じさせるものでした。
教会員の中には、「まさかそこまでしないだろう」と言う人もいるかもしれません。しかし、偽霊界メッセージが使われるようになることなど、誰が予想しましたか?でも前回書いたように、それを作るように命じたのは韓鶴子夫人でした。「そこまでしないだろう」という歯止めのようなものをもう超えていたのです。
郭錠煥先生の本、「事必帰正」の235ページには、「行って顯進を連れて来い。来ないと言うなら、全淑を離婚させてでも連れて来い。」と文鮮明師が郭先生に命じた時のことが書いてあります。イーストガーデンでの様子は、まさにそれを感じさせるものでした。文鮮明師が周りの人に影響されて、おかしな言動をするのも私は見ていました。
文顯進会長が西海岸に引っ越すことになったのも、韓鶴子夫人が文顯進会長の長男に、如何に文顯進会長夫妻が悪い人かと説得して、親子の間を裂こうとしたことが引き金でした。文顯進会長は、子供や孫が祖母に対して悪い記憶を持たないように、会わないようにしたのでした。
文国進氏は文顯進会長に対し激しい対抗意識を持っていましたが、文国進氏には離婚の経歴がありました。文仁進氏も文顯進会長に敵対していました。2009年まだ離婚していませんでしたが、後に不倫が明らかになったように、夫婦仲は良くないのがわかりました。
文顯進会長が再起不能になるようにするのに最も効果があるのは何かと考えれば、離婚させ、親子を引き裂き、家庭を破壊してしまうことであるのは、私にも察しがつきました。
その破壊行為のために振りかざされるのが、絶対服従の要求です。一旦、絶対服従の枠組みにはめてしまえば、どんなことも可能になります。「一年休んで一緒にいるように」に従うことが何を意味するかは、私にも予想できました。
人間的な家庭問題ではなかった
これはただの人間的な家庭問題ではありません。神様の創造目的は神様の理想家庭にあります。神様の摂理は、神様の理想家庭が現れなければ挫折してしまいます。神様を一代として、二代、三代と、最低三代にわたって理想が成就され、三大王権が立てられなければなりません。それが頓挫するのかどうかです。
また、三大王権が立てられるかどうかには、血統的後継がなされるかどうかがかかっていました。でも統一教会の幹部は、自分達は優秀であり、自分達が教会を相続するべきだという思いを持っていました。
例えば、今も、日本の統一教会の田中会長は、「御子女様は、お父様を自分の父親だと思い、我々のようにメシアだと思っていない」と語ったりします。「あなたのメシアの定義は何ですか」という質問をしなければなりませんが、理由はどうあれ、世界の統一教会の幹部達は、「お子さん達はわかっていない。自分達が相続するべきだ。」という思いを持っていました。
そして、幹部が相続できるようになる基盤は天一国憲法として準備されました。
文鮮明師は1970年には以下のように語っていました。
「イエス様が妻を迎え、息子・娘をつくっていたとしたら、教皇には誰がなるのでしょうか。ペテロのような人がならなければならないのでしょうか。(笑い)いいえ、イエス様の直系の息子・娘たちがローマの教皇にならなければならないのです。」(1970年12月6日)
当時は、文鮮明師の問いが笑いになったようですが、ずいぶん変わったものだと思いませんか?
もしも弟子である統一教会の幹部が相続したとするのなら、それはイエス様が殺されて、子女が相続できず、弟子が教皇となったのと似た、悲劇的状況をつくることになるのに、統一教会の幹部はそれを感じることも無くなったのではないでしょうか?
ソクチョ以降
ソクチョ以降は、ブルドーザーにように、韓鶴子夫人と文亨進氏の援助を得た幹部達が、文顯進会長に対する総攻撃をかけました。教会員の中で、何か文顯進会長に対して悪いイメージを持っているとしたら、この時期に仕掛けられたキャンペーンの影響が強いはずです。
ざっと挙げてみるだけでも以下のようになります。もっと詳しくは、郭錠煥先生の本、「事必帰正」の224ページからご覧ください。
*2009年5月から7月、金孝律氏と朱東文氏がU C Iから文顯進会長を追い出そうとした。(224から225ページ)
*2009年8月、日本統一教会がワシントン・タイムズ支援のための送金を中断。メディアと文鮮明夫妻の専用機への支援を文国進氏が中断。文顯進会長を親不孝とののしるキャンペーンをした。(227ページ)
*2009年11月、朱東文氏がワシントン・タイムズ航空(W T A)の2100万ドルを宣教会へ不法送金。W TAは会社の規定に従い、返金を要求。統一教会は、「顯進ニムがお母様を告訴する背倫行為を行った」とキャンペーンをした。(228ページ)
*2009年9月、文国進氏が郭錠煥先生の周辺をしらみつぶし調査し、郭先生に対する無差別の訴訟を起こした。(228から229ページ)
*2009年9月、文仁進氏が全米の礼拝を主管し、説教台を文顯進会長への攻撃に使うようになった。(229ページ)
*2009年10月、文亨進氏が家庭連合の名称を、「統一教」に変更。家庭連合を文鮮明師が創設した道を逆戻りさせた。(246ページ)
*2009年10月、文亨進氏がU P Fの世界会長に就任。U P Fは統一教に牛耳られた。11月4日に、文顯進会長は、統一教に牛耳られたU P Fとは別の道を行くと発表。(248ページ)
*2010年2月、金孝律氏が世界リーダー会議で、文顯進会長批判を展開。文顯進会長へのネガティブ・キャンペーンの口火を切った。(252ページ)
*2010年5月、文顯進会長がブラジル教会の招きを受けて訪問。申東謀大陸会長は、礼拝の壇上に寝そべって集会を妨害。申氏を叱責した文顯進会長の姿を映したビデオを見た文亨進氏は「もっと刺激駅な映像に作り直せ」と指示。韓鶴子夫人と文亨進氏は、寝室で起きたばかりの文鮮明師を説得し、異端者、爆破者宣言文を書かせた。(255ページから263ページ)
*2010年6月、金孝律氏は宣言文が公文となったのを見て、「宣言文に文顯進の名前3文字を刻み込めなくて惜しい。いつかはそうしたい。」と申東謀氏に伝えた。2011年5月29日、「真の父母宣布文」となって発表されて、彼らの願いは果たされた。(262から263ページ)
*2010年6月6日、趙誠一氏が文顯進会長批判講演をし、人格殺人キャンペーンが始まった。柳慶錫氏や鄭珍華氏などが、韓国と日本、米国など全世界を回り批判講演を継続。(263ページ)
*2010年10月13日、文亨進氏が「郭錠煥は堕落したルーシェル、兄である顯進ニムは堕落したアダム」と非難。日本の梶栗玄太郎協会長が「郭錠煥はサタン、文顯進様は堕落したアダムだ」と公的な場で宣言。(264ページ)
*韓国で牧会者をカメラの前に立たせ、忠誠盟誓を強要しながら、文顯進会長と郭先生を堕落したアダムとサタンとして糾弾し、断罪するよう強要。(264ページ)
*2011年5月、U C I訴訟を始めた。
*2011年7月、文顯進会長を攻撃し続けるために、真の父母様宣布文実行委員会(朴普煕委員長)を設立。(264から266ページ)
まだまだ延々と続くのですが、この辺りまでで、教会員が文顯進会長に対して持つイメージは、最悪のレベルまで下落し、定着してしまったはずです。
ソクチョ事件は仕立て上げられた人民裁判のようなものでした。その人民裁判は、偽霊界メッセージを用いた茶番でした。その茶番を受け付けなかった文顯進会長に対して、統一教会の幹部達は、徹底攻撃したのです。
下の図は、情報操作によって、統一教会が人民裁判所と刑の実行部隊となった構図を簡単に描いたものです。もしも、文顯進会長が悪い人だ、親不孝者だ、泥棒だ、と思ったことがあるとしたのなら、果たして皆さんは、人民裁判と刑の執行部隊に参加したいかどうか、考えてみて頂けたらと思います。
政治的に“勝ち組”になびいた
ほとんどの教会員が認識していなかったことは、この頃になると、金孝律氏や朱東文氏のようなトップ幹部の、一段、二段下のレベルの、米国リーダー達の間では、文鮮明師を馬鹿にして、韓鶴子夫人の側になびく人たちが増えていたことです。それに対して、文顯進会長の下にいた人たちは、どこまでも文鮮明師に忠誠心を貫く姿勢を持っていました。ゆえに、私の友人は、U P Fに留まっていたリーダーから、「まだお父様についているのか?」と馬鹿にされたことがあります。
馬鹿にする人が持ち出したのは、文鮮明師の言動に関してでした。例えば、リーダー集会で文鮮明師が前に座っていた教会員を、米国の閣僚レベルの人と勘違いして、「??さん」と語りかけた一件でした。そのような姿を見たリーダー達は、次の時代のボスになるのは誰かと政治的に権力の計算をするようになったのです。ソクチョ事件以降、彼らの目には、文顯進会長は負け組、韓鶴子夫人、文亨進氏、文国進氏、文仁進氏は勝ち組に見えたはずです。
例えば、U C I裁判でも、ごく最近まで、文顯進会長は負け組に見えていたはずです。本当は、世俗の裁判所の判断で信仰的是非は判断できないのです。統一教会側のリーダーには、この裁判の進行する中で、「お前達がたくさんの血を流すのが見える」とあざけった人もいます。
彼らは裁判を勝つための手段としました。それだけではありません。例えば文国進氏は、お金の流れをコントロールし、調査や監査で人の弱みを握って言うことを聞かせる手段を用いていました。さらには、霊的権威や道徳的権威ではなく、法的手段に訴えて、組織を牛耳る方法を使っていました。そのようにしてコントロールされた教会組織の中から、大きな声で聞こえてきたのが、文顯進会長が「悪い人だ、親不孝者だ、泥棒だ」という宣伝でした。
もちろん、勝ち組、負け組で自分が行く道を決めるのも信仰者の道ではなく、弱みを握られて負けるのも信仰者の道ではありません。しかし、統一教会全体が大きな濁り水の中にあるような状態でした。その濁りは、長い時間をかけて溜まったものだったと見ることができます。
そして、文顯進会長のように濁りに立ち向かい改革をしようとした人は、「水清ければ魚棲まず」と嫌われて、ソクチョ事件のような詐欺的策略を用いて、統一教会からも社会からも抹殺しようとした、というのが、私が見てきたことです。
勝ち組、負け組と見えるものは入れ替わります。勝ち組と見えていた側が負け組となります。それが今起きています。勝ち組と見えていた側は、とっくの昔に天から呪われていました。汚れを振い落として、正しく選ぶ原動力は、信仰の力であるべきです。
より深く真実を知りたい方は、以下の動画を御覧ください。(概要欄の目次のリンクをクリックすると途中から見ることもできます)
2件のコメント
YOSHIO KAWASAKI · 2022年11月28日 2:30 AM
「2009年9月、文仁進氏が全米の礼拝を主管し、説教台を文顯進会長への攻撃に使うようになった。」これは全くありません。アメリカで説教を聞きました。聞いたことありません。これは私が出会った範囲なのでご了承ください。アメリカで説教を聞いた立場からの投稿です。
daichi · 2022年11月30日 1:48 PM
この記事の著者も米国在住ですから、米国で実際に確認された事例だと思われます。